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第二章 上洛
京の秋
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京での暮らしが始まった。
四条に父が用意してくれた小家があることをお伝えると、正清さまはあからさまに安堵されたご様子だった。
「すまぬな。結局、何から何までそなたの実家頼みで」
複雑な表情で呟かれる正清さまに、私は笑顔でかぶりを振った。
「お気になさらないで下さいませ。私が殿のお役に立てることといえばそれくらいでございますゆえ」
それが当り前で、むしろそれを目当てに婿入りしてまったく恥じない人も多いこの世の中でそんな風に仰る正清さまの、そんなところが私は好きだと思った。
「我が父は、武士は半分、残りの半分は商人のような利に敏い人でございますゆえ。伊勢の海の交易で私腹を肥やしているのでございます」
にこにことそう云うと、正清さまは飲んでいたお酒を危うく噴出しそうになられた。
「な、なにも俺はそんな事は言うておらぬが……!」
「従兄の致高どのが、事あるごとにそんな事を申しておりましたゆえ……何かおかしなことを申し上げましたでしょうか?」
「いや……。ただ、それは長田の父上の前では、あまり口にせぬ方がよいぞ」
「はい」
私はこくりと頷いた。
義父上のお指図であったとはいえ勝手に上洛してしまった事を、正清さまはあれ以来ひと言もお咎めにはなられなかった。
そのかわり、久しぶりにお会い出来たというのに、特別に嬉しそうにして下さるわけでもなく……。
そのことが私をひそかに落ち込ませていた。
(殿は、やっぱり私に京に来て欲しくはなかったのかしら……)
そう思うと、いくら能天気な私でもさすがに悲しくなってくるけれど。
でも、もう来てしまった以上、そればかり気に病んで沈んでいても仕方がない。
面と向かって「実家に帰れ」とでも云われたのならしょうがないけれど、そうでないうちはあんまり深く考えないで普段通りにしていよう。
そんなある日。
夕餉のお給仕をしていた私に正清さまが云われた。
「明日、殿の北の方がお会いになって下さるそうだ。そのつもりで支度をしておくように」
私はきょとんとした。
「誰がでございますか?」
「そなたのほかに誰がおるのだ」
「私が、でございますか?」
「ああ。家中の噂から俺の妻が京に上がってきているということをお聞き及びになられたらしく、一度会ってみたいとの有り難い思し召しだ」
言葉のわりにそう有り難くもなさそうに正清さまは言われた。
「どうしてまた…?」
「殿の乳兄弟である正清の奥方ならば、私にとっても乳姉妹のようなもの。一度話をしてみたい、との仰せであられた。公家の女人の考えられることなどは俺などにはよく分からぬが」
「はあ……」
曖昧に頷きながら、私はにわかに緊張してきた。
義朝さまの北の方さまといえば、言うまでもなく正清さまには主君のご正室にあたられるわけで。
そこで私に何か粗相があれば、夫である正清さまの御名にもかかわるのではないかしら。
「なんだか怖うございます。失礼があったらいかが致しましょう……」
不安になってそう言うと、正清さまは目を細められた。
「相変わらず子供のような事を言う。そんなに心配せずとも、ご挨拶だけしてすぐに下がってくればよい。
北の方さまには、妻は晴れがましい場所などは苦手な人見知りな性質なので、ご容赦くださいと申し上げておくゆえ」
そう言っていただくと、少し不安が和らいだ。
「それにしても、そなたも年が明ければもう十六であろう。いつまでも、そんなに子供っぽいことでは困るな。こちらにおれば家中の者などと顔を合わせる折も増えよう。もう少し人慣れせねば」
「はい。そのように努めます」
素直に頷くと、正清さまは満足げに笑われた。
「明日は俺もともに参上する。頃合を見て北の方さまの御前へ参るゆえ、そうしたら一緒に下がってくればよい」
「はい」
私は頷いて、徳利を取り上げ、空になっていた正清さまの盃にもう一度お酒を満たした。
四条に父が用意してくれた小家があることをお伝えると、正清さまはあからさまに安堵されたご様子だった。
「すまぬな。結局、何から何までそなたの実家頼みで」
複雑な表情で呟かれる正清さまに、私は笑顔でかぶりを振った。
「お気になさらないで下さいませ。私が殿のお役に立てることといえばそれくらいでございますゆえ」
それが当り前で、むしろそれを目当てに婿入りしてまったく恥じない人も多いこの世の中でそんな風に仰る正清さまの、そんなところが私は好きだと思った。
「我が父は、武士は半分、残りの半分は商人のような利に敏い人でございますゆえ。伊勢の海の交易で私腹を肥やしているのでございます」
にこにことそう云うと、正清さまは飲んでいたお酒を危うく噴出しそうになられた。
「な、なにも俺はそんな事は言うておらぬが……!」
「従兄の致高どのが、事あるごとにそんな事を申しておりましたゆえ……何かおかしなことを申し上げましたでしょうか?」
「いや……。ただ、それは長田の父上の前では、あまり口にせぬ方がよいぞ」
「はい」
私はこくりと頷いた。
義父上のお指図であったとはいえ勝手に上洛してしまった事を、正清さまはあれ以来ひと言もお咎めにはなられなかった。
そのかわり、久しぶりにお会い出来たというのに、特別に嬉しそうにして下さるわけでもなく……。
そのことが私をひそかに落ち込ませていた。
(殿は、やっぱり私に京に来て欲しくはなかったのかしら……)
そう思うと、いくら能天気な私でもさすがに悲しくなってくるけれど。
でも、もう来てしまった以上、そればかり気に病んで沈んでいても仕方がない。
面と向かって「実家に帰れ」とでも云われたのならしょうがないけれど、そうでないうちはあんまり深く考えないで普段通りにしていよう。
そんなある日。
夕餉のお給仕をしていた私に正清さまが云われた。
「明日、殿の北の方がお会いになって下さるそうだ。そのつもりで支度をしておくように」
私はきょとんとした。
「誰がでございますか?」
「そなたのほかに誰がおるのだ」
「私が、でございますか?」
「ああ。家中の噂から俺の妻が京に上がってきているということをお聞き及びになられたらしく、一度会ってみたいとの有り難い思し召しだ」
言葉のわりにそう有り難くもなさそうに正清さまは言われた。
「どうしてまた…?」
「殿の乳兄弟である正清の奥方ならば、私にとっても乳姉妹のようなもの。一度話をしてみたい、との仰せであられた。公家の女人の考えられることなどは俺などにはよく分からぬが」
「はあ……」
曖昧に頷きながら、私はにわかに緊張してきた。
義朝さまの北の方さまといえば、言うまでもなく正清さまには主君のご正室にあたられるわけで。
そこで私に何か粗相があれば、夫である正清さまの御名にもかかわるのではないかしら。
「なんだか怖うございます。失礼があったらいかが致しましょう……」
不安になってそう言うと、正清さまは目を細められた。
「相変わらず子供のような事を言う。そんなに心配せずとも、ご挨拶だけしてすぐに下がってくればよい。
北の方さまには、妻は晴れがましい場所などは苦手な人見知りな性質なので、ご容赦くださいと申し上げておくゆえ」
そう言っていただくと、少し不安が和らいだ。
「それにしても、そなたも年が明ければもう十六であろう。いつまでも、そんなに子供っぽいことでは困るな。こちらにおれば家中の者などと顔を合わせる折も増えよう。もう少し人慣れせねば」
「はい。そのように努めます」
素直に頷くと、正清さまは満足げに笑われた。
「明日は俺もともに参上する。頃合を見て北の方さまの御前へ参るゆえ、そうしたら一緒に下がってくればよい」
「はい」
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