夢の雫~保元・平治異聞~

橘 ゆず

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第三章 確執

摂関家

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この三日の間に槇野まきのがあちこちから聞き集めてきた情報(というか噂話)によると、先日の事件の首謀者は前の関白で、世に「宇治の禅閣ぜんこう」と呼ばれておられる藤原忠実ただざねさまとのことだった。

忠実さまが、為義さまらに命じて摂政さまのお邸を襲わせたのだ。
その話を聞いた時、私は耳を疑った。

「そんなまさか。嘘でしょう」
被害にあわれた摂政忠通さまは、忠実さまのご嫡男。お二人は親子の間柄なのだ。
噂が本当ならば、父が武士を雇って息子の邸を襲わせたということになる。

「それが本当なのでございますよ」
槇野がしたり顔に言った。

「正確には忠実さまとその次男であられる左大臣頼長さまが共謀して、摂政さまのお邸を襲わせ、ご一門の長の証であるその何やら言う器を奪わせたということにございます」

槇野の無類の噂好き、お喋り好きなところには閉口させられたことも多いけど、こういう時はそれが頼もしくさえある。
余計なお喋りも多い、その槙野の話を総合してみると。

そもそも、忠実さまとご嫡男の忠通さまはもとよりあまり折り合いが良くなかったのだそうだ。

遡ること今から三十年ほども前。

当時、関白の地位にいられた忠実さまは、時の「治天の君」であられた白河院のご不興をかわれ、その職を解かれ、宇治に蟄居を強いられるという憂き目をみられた。
その折に、父君にかわって関白の位につかれたのが当時、若干二十五歳であられた忠通さまである。

のちに、白河院がご薨去あそばされ、鳥羽院の統べられる御世になると忠実さまの勅勘は解かれた。

忠実さまは、遅くに生まれ、宇治での蟄居中もお側において育てられた幼い若君を溺愛していらっしゃった。今の左大臣、頼長よりながさまである。

忠通さまには長らくお子がみえなかった。
このままでは藤原家の嫡流とも言える御堂流の血筋が絶えてしまうことを懸念された忠実さまは、忠通さまに年の離れた弟御である頼長さまを猶子ゆうし(養子)として迎えることを勧められた。

忠通さまはそれを受け入れ、頼長さまをご自身の跡取りと定めておられたのだけれど。

今から七年前、忠通さまに待望の若君がお生まれになられた。
こうなると異母弟よりも、実の我が子に氏の長者の位を譲りたいと思うのは人として自然なことで……。

忠通さまと頼長さまの間には、次第に亀裂が入り始めた。

その亀裂が表面化することになったのが、今上帝の後宮問題である。

今年の一月。
御年十二歳になられた帝はご元服をなされた。
それに伴い、かねてからの予定通り、頼長さまのご養女、多子まさるこさまが入内された。

摂関家の当主として、帝のお側に娘を上げるというのは悲願であり、権力を握る為には必須とも言えることだけに、この折の頼長さまのお喜びようは一通りではなかった。
けれども、そのお喜びは長くは続かなかった。

多子さまが入内されてから一月後の翌2月。
間髪をおかずして、兄、忠通さまのご養女、呈子しめこさまが入内なされたのだ。

呈子さまは、九条の太政大臣の姫君であられたが、幼少の頃より鳥羽の院のお后で、帝のご生母であられる美福門院さまのご養女となっておられた。
時の摂政、忠通さまのご養女であり、帝のご生母、美福門院さまのもとで養育された呈子さまの入内の儀は、華々しく行われた。

摂政さまは呈子さまの入内にあたり、お付きの雑仕女ぞうしめを選ぶという名目で、都のうちから美女千人を集められた。
千人のうちから百人を選び、百人のうちから十名を選んで呈子さま付きの雑仕女とされたのだという。

そのような派手やかな挿話のかげに隠れて、先に入内なされていた多子さまの影はどうしても薄くなってしまわれた。
忠通さまはこのお妃問題を通して、かねてより頼長さまと不仲であられた美福門院さまと連携されることで、はっきりと弟君と対立する姿勢を見せられたのである。

これに危機感を覚えられた頼長さまは、

「もしも、仮に多子よりも呈子どのが先に立后するようなことあらば自分は出家遁世する」

とまで公言されて、多子さまの立后を強く求められた。

宇治の忠実さまからも重ねての奏上の末、今年の三月十四日。
多子さまは『皇后』として立后された。

そして、それから僅か一月余り後の四月二十一日。
摂政・忠通さまのご養女呈子さまもそのあとを追うようにして入内され、その二ヶ月後の六月二十二日。
『中宮』として立后された。

これにより、忠実・頼長さま親子と、忠通さまとの御仲は、親子、兄弟の間柄でありながらもはや修復不可能なところまで来ていた。

そんななかでの、先夜の騒動である。
この立后騒動での憂憤が原因だったのだろうか。

去る九月二十六日の夜。

宇治から上洛された忠実さまは、左大臣頼長さまのお邸に入られると、以前よりお側近くご重用になっておられた源氏の棟梁、六条判官、源為義さまらに命じて忠通さまのお邸、東三条殿に押し入らせた。

「摂政忠通は自分に不孝をなした。年来怨みを持ちながらも耐え忍んできた。しかし、かねてよりの約定通り、摂政の位を頼長に譲るように何度も要請したのに、これを甚だ無礼な態度で拒絶し続けてきたことは、いよいよ許しがたい。よって、嫡子忠通より、摂政の位を返還させる」

というのが、その言い分であられた。
為義さまらは、東三条殿の蔵に押し入り、摂関家の氏の長者の証である『朱器台盤』を接収された。

氏の長者とは藤原一族の頂点にたつ統率者であり、一族の惣領とも言えるお立場である。
氏神さまの祭祀を司り、父祖伝来の荘園を相続し、朝廷におかれては皇室の重要な補佐役である摂政関白の位に任じられる。

それゆえ、本来摂政の位と氏の長者というのは同一人物であることが通例であったのだが。

忠実さまはその通例を破られてまで、強引に氏の長者の証を嫡子、忠通さまから奪い取り、ご次男の頼長さまに譲り渡された。

これにより、頼長さまは先代の関白であり、氏の長者である父君ご承認のもと、氏の長者の地位につかれることとなった。

けれど、摂政の位は朝廷から任ぜられるものなので、一族内の勝手にすることは出来ず、そのまま忠通さまが留まられたため、摂政と、氏の長者が分離するという藤原氏の長い歴史のなかでも異常事態ともいえる状況になってしまっていた。

この摂関家の対立が、のちに『保元の乱』と呼ばれる、あの戦の原因のひとつとなるのだが。

今の私にはそんなことは知るよしもなかった。



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