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第四章 動乱前夜
決裂(二)
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夕刻までお二人のお話合いは続いた。
辺りに夕闇が落ちてきた頃、お部屋から出ていらした義父上に、夕餉を上がって行っていただくようにお勧めしたけれど、
「いや、また今度にしよう」
と言われて、そのままお帰りになってしまわれた。
正清さまもお見送りにもいらっしゃらない。
門のところまでお見送りしながら、思わず
「あの義父上。また近いうちにそちらへお邪魔してもよろしいでしょうか?」
とお声をかけてしまった。
無言のままこちらに背を向けられた義父上がいつになく寂しげで、疲れていらっしゃるように見えて言わずにいられなかったのだ。
義父上は小さく笑われた。
「よいよい。正清に叱られるのであろう」
「そう、なのですけど……また、菊里さんや鶴若さまがたにもお目にかかりたいですし」
口ごもりながら言うと、義父上が手を伸ばしてぽんぽんと頭を撫でられた。
「佳穂は良い娘だな」
「はい。…あ、いえ……」
「佳穂」
「はい?」
顔を上げた私は、義父上が思いのほか真面目な顔でまっすぐこちらをご覧になっているのを見て、思わず背筋を伸ばした。
義父上はそんな私を、じっと見てゆっくり口を開かれた。
「正清を頼む」
「……え?」
「あれは不器用な男だ。つらい時につらい顔も出来ぬ、本当に欲しいものを欲しいとも言えぬ、しようのない男だ。わしと亡き妻があれをそのように育ててしまった」
「……義父上?」
「若君が一番に大事だと。自分のことはいつでも後回しだと。そのように教えて育ててしまった。だから、あれがあのように朴念仁のつまらぬ男になってしまったのはわしのせいだ。恨むならわしを恨んでくれ」
「何を仰せられます」
私は戸惑いながら言った。
「私は殿がそういう御方だからこそお慕い申し上げております。お恨みするなど……私を殿の妻にと望んで下さったのは義父上だと伺っております。私はずっと、義父上には感謝して……きゃっ!!」
だしぬけに両手でぐしゃぐしゃっと髪を撫でられて私は悲鳴を上げた。
「何をなさいます!」
義父上は大きな声で笑われた。
「佳穂はほんに可愛いのう」
「もうっ。真面目にお話しておりましたのに」
「悪かった悪かった。謝るゆえこれからも正清を頼んだぞ。面白味のない男だが見捨てず側におってやってくれ」
「当たり前です。その前に私の方がお払い箱にならなければの話ですけれど」
冗談めかして言うと義父上が小さく笑われた。
「あれはそなたに惚れておる。そなたが思うよりもずっとな」
「そうでしょうか」
いつもの揶揄い口だとばかり思ったのに、義父上のお声は真剣な響きを帯びていた。
「あれはどうせ自分の口からは言わぬのであろうから、わしがかわりに保証してやる。だから、愛想を尽かさんでやってくれ。あれを、一人にしないでやってくれ」
「義父上……」
私は急に不安に襲われて、義父上のお顔を見た。
「あの、やはり夕餉を召し上がっていって下さいませんか? そのつもりでご用意したのです。菊里さんがご心配になられるようなら七平太を使いに出しますので」
その申し出を義父上はやはり、微笑みながら断った。
「今日は互いにこれ以上顔を合わせておらぬ方が良いであろうからな」
そう言って去って行かれる後ろ姿を、私は角を折れて見えなくなるまで見送っていた。
数日後。
為義さまの命を受けた、次郎義賢さまが源家重代の宝刀であり、歴代の棟梁に継承されてきた「友切の太刀」を授けられて関東へ下られたという話が伝わって来た。
下野守の地位に就かれた長兄、義朝さまに対抗する勢力基盤を関東に築くためとのことだった。
それは、為義さまが正式に次代の棟梁に義賢さまを指名したことを意味していた。
それまで緊張状態にありながらも、一門としての最低限の交流は保たれていた父子の仲は、それを機に完全に決裂した。
辺りに夕闇が落ちてきた頃、お部屋から出ていらした義父上に、夕餉を上がって行っていただくようにお勧めしたけれど、
「いや、また今度にしよう」
と言われて、そのままお帰りになってしまわれた。
正清さまもお見送りにもいらっしゃらない。
門のところまでお見送りしながら、思わず
「あの義父上。また近いうちにそちらへお邪魔してもよろしいでしょうか?」
とお声をかけてしまった。
無言のままこちらに背を向けられた義父上がいつになく寂しげで、疲れていらっしゃるように見えて言わずにいられなかったのだ。
義父上は小さく笑われた。
「よいよい。正清に叱られるのであろう」
「そう、なのですけど……また、菊里さんや鶴若さまがたにもお目にかかりたいですし」
口ごもりながら言うと、義父上が手を伸ばしてぽんぽんと頭を撫でられた。
「佳穂は良い娘だな」
「はい。…あ、いえ……」
「佳穂」
「はい?」
顔を上げた私は、義父上が思いのほか真面目な顔でまっすぐこちらをご覧になっているのを見て、思わず背筋を伸ばした。
義父上はそんな私を、じっと見てゆっくり口を開かれた。
「正清を頼む」
「……え?」
「あれは不器用な男だ。つらい時につらい顔も出来ぬ、本当に欲しいものを欲しいとも言えぬ、しようのない男だ。わしと亡き妻があれをそのように育ててしまった」
「……義父上?」
「若君が一番に大事だと。自分のことはいつでも後回しだと。そのように教えて育ててしまった。だから、あれがあのように朴念仁のつまらぬ男になってしまったのはわしのせいだ。恨むならわしを恨んでくれ」
「何を仰せられます」
私は戸惑いながら言った。
「私は殿がそういう御方だからこそお慕い申し上げております。お恨みするなど……私を殿の妻にと望んで下さったのは義父上だと伺っております。私はずっと、義父上には感謝して……きゃっ!!」
だしぬけに両手でぐしゃぐしゃっと髪を撫でられて私は悲鳴を上げた。
「何をなさいます!」
義父上は大きな声で笑われた。
「佳穂はほんに可愛いのう」
「もうっ。真面目にお話しておりましたのに」
「悪かった悪かった。謝るゆえこれからも正清を頼んだぞ。面白味のない男だが見捨てず側におってやってくれ」
「当たり前です。その前に私の方がお払い箱にならなければの話ですけれど」
冗談めかして言うと義父上が小さく笑われた。
「あれはそなたに惚れておる。そなたが思うよりもずっとな」
「そうでしょうか」
いつもの揶揄い口だとばかり思ったのに、義父上のお声は真剣な響きを帯びていた。
「あれはどうせ自分の口からは言わぬのであろうから、わしがかわりに保証してやる。だから、愛想を尽かさんでやってくれ。あれを、一人にしないでやってくれ」
「義父上……」
私は急に不安に襲われて、義父上のお顔を見た。
「あの、やはり夕餉を召し上がっていって下さいませんか? そのつもりでご用意したのです。菊里さんがご心配になられるようなら七平太を使いに出しますので」
その申し出を義父上はやはり、微笑みながら断った。
「今日は互いにこれ以上顔を合わせておらぬ方が良いであろうからな」
そう言って去って行かれる後ろ姿を、私は角を折れて見えなくなるまで見送っていた。
数日後。
為義さまの命を受けた、次郎義賢さまが源家重代の宝刀であり、歴代の棟梁に継承されてきた「友切の太刀」を授けられて関東へ下られたという話が伝わって来た。
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それは、為義さまが正式に次代の棟梁に義賢さまを指名したことを意味していた。
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