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第四章 動乱前夜
五月雨(二)
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これまでにも、それに近い意味のことを女房の何人かに聞かれたことはあった。
その度に私は困ったように微笑んでみせたり、時には冗談めかして泣き言のようなことを口にしたりもした。
相手の興味本位の好奇心に付けこまれ過ぎないように。
かといって、適当に受け流されたと気を悪くさせないように。
うまくやってきたと思う。
それなのに、鬼武者さまの口からそう問われたとき、私は自分でもびっくりするくらい狼狽してしまった。
「まあ……」
そう言ったっきり、言葉に詰まってしまった私を鬼武者さまがじっと見つめていらっしゃる。
由良の方さまによく似た涼しげなその目元、すっきりと通った鼻筋。
ひとつ、ひとつの部分は母君にそっくりでいらっしゃるのに、そのちょっと眉をひそめた表情。
ぎゅっと引き結ばれた口元など。
この頃の鬼武者さまは何かの拍子にこちらがはっとするほど、義朝さまによく似た面差しを見せられる瞬間があった。
子供が、父親と母親、両方の血を引いて生まれるというのはこういうことだ。
ふいに、目の奥がかあっと熱くなった。
(いけない)
私は慌てて袖で目元を抑えた。
「佳穂?」
気遣わしげなお声がかけられる。
(何でもございません。ちょっとゴミが入ってしまって)
そうお答えしたいのに、喉がぎゅっと引き絞られているみたいに声がでない。
お邸勤めに戻ったばかりの頃。
御方さまは何も仰らなかったけれど、千夏や小妙には何度が尋ねられた。
「あんなに何度もお召しがあったのに断り続けていたものを、どういう心境の変化なの?」
「何かあったの?」
と。
「悠もだいぶ、邸に馴れてきたし、久しぶりにこちらのお邸が恋しくなったのよ」
と私は答えた。
茄子の漬物の一件は結局誰にも何も言わなかった。
何もと言っても具体的に何かがあったわけではないのだけれど。
茄子が嫌いなひとなんて、世の中にはいくらでもいるんだし。
そんなことで、悠が正清さまの実の娘だと…「俺の子ではない」と仰ったお言葉が嘘だと思いこむなんてあまりに馬鹿げている。
そう思うのに、その日を境に私のなかの悠を見る目が変わってしまった。
「かあしゃま」
と、あどけない声で呼ばれて小さな腕を差し伸べられたりすれば、可愛いと思う。
思わず抱きしめて頬ずりしたくなる。
けれど、そうしながらも、悠の顔立ち、表情、仕草のひとつひとつから探さずにはいられないのだ。
あの人に似たところを。
半ば無意識にしていたそれに最初に気がついたときは自分で自分にぞっとした。
愛らしい笑い声を立てながら、膝に身を摺り寄せてくる悠の背を優しげに撫でてやりながら、私があの子を見る目は、氷のように冷たいものではなかっただろうか。
手の指の爪のかたちがそっくりだと気がついたときには、思わず握っていた手を放していた。
もし、自分が産んだ実の娘だったら、そんな発見も嬉しくて愛しくてたまらなかったはずなのに。
ぽかんとしてこちらを見上げる悠の顔を見た瞬間、自己嫌悪で泣きたくなった。
ぱっちりとした瞳に愛らしい口元など、正清さまには似ていないと思うところを見れば相手の女性の面差しをそこから想像して苦しくなった。
紗枝どのとのことを知ったときも悲しかったし腹もたった。
けれど、今回のこれは、その時とはまるで種類の違う痛みだった。
相手の女性の存在そのものよりも、その人が正清さまとの間に得ている、子供という決して切れない繋がりに対して私は苦しいほどに嫉妬した。
親同士が決めた縁談によって結ばれた私とは違って、その女性は正清さまがご自分の意志で選ばれて、望まれて、お側にお召しになったお相手だ。
その人が、私がどんなに願っても得られなかった子供を得ている。
それはとても決定的な答えのように思えた。
私はひどく打ちのめされた。
跡継ぎを儲けるのが自分でなくても、それでも側にいたい。
離れたくない。
そう願っていた思いには変わりはないけれど。
実際に「そうかもしれない」というだけの事態に陥った私は、殿とも悠ともまともに顔を合わせることさえ
怖いと感じるようになってしまっていた。
そんな日々をしばらく過ごした後。
私は逃げるようにして、こちらへのお邸勤めに戻ることを決めた。
以前は、私がこちらへ度々上がることにあまり良いお顔をされていなかった正清さまは、存外あっさりと
「佳穂がそうしたいのならば好きにせよ」
と、お許し下さった。
実際、近頃の正清さまは大変にお忙しそうで、お悩み事も多そうで、私のお邸勤めにことになど頓着しているお暇はなかったのだと思う。
以前ならば突き放されたようで寂しく感じたのであろうそれも、その時の私にはありがたかった。
留守の間の悠の世話が楓が引き受けてくれた。
悠も、楓には私以上に懐いているのでこちらは何の心配もなかった。
外に出て四六時中、一緒にいるわけではなくなると後ろめたい思いもあってか、まったく以前のままとはいかないまでも比較的穏やかな気持ちで悠と接することが出来るようになった。
「佳穂?」
ふいに手に柔らかなものが触れた。
「ごめんね。変なことを聞いてしまって」
黙り込んでしまった私を、鬼武者さまが気の毒そうに、申し訳なさそうにみつめながらそっと手を握ってくださっていた。
私は慌てて笑顔をつくった。
目を細め、頬を無理矢理持ち上げたその顔がちゃんと微笑んでいるように見えたかどうか自信はないけれど。
「いえ、とんでもございません」
鬼武者さまの小さなお手をそっと両手で包むようにして、膝を屈める。
目線の高さを合わせ、ひとつ息をついてから私は精一杯、朗らかな声で言った。
「御子を多く儲けられるは武門の殿方のつとめ。その御子の養育をまかせていただけるのは、正室としてこのうえない誉れだと思うております」
我ながら綺麗ごとだとは思ったが、でも、主家の若君お相手にこれ以外になんとお答え出来るだろう。
案の定、鬼武者さまは不服げに口を尖らされた。
「母上もいつもそう仰せられる。子を多く儲けられるのは殿方のつとめゆえ父上がよそに通い所を幾つもお持ちでいられるのも仕方のないことだと。けれど私はそうは思わない」
鬼武者さまはまっすぐにこちらをご覧になって言われた。
「この頃、母上はいつも悲しそうにしていらっしゃる。私や竜王たちの前ではお元気に振舞っていらっしゃるけれど私には分かる。父上はこれまでもずっと母上を悲しませてばかりだ。たった一人の妻でさえ幸せに出来ず、祖父上や叔父上たちとも仲違いをして、一門に不仲の種をもたらすようなやり方が武門の長として相応しいものとは私にはとても思えない! 父上は皆を不幸せにしておられる」
「鬼武者さま……」
私は真剣な顔になった。
「父君さまが皆を不幸せにしておられるなどと。そのようなこと誰が若君に申し上げました? 祖父上さまや叔父上がたと仲違いをしておられるなどそのような事……」
「誰って皆が言ってるよ。父上は一門の誰彼とも喧嘩して皆に嫌われてるって。お優しい祖父上を困らせているって。我ら源氏がいつまでたっても平氏に追いつけないのは、父上が皆を仲違いさせて一門のなかをかき乱しているからだって」
「まあ、何ということを……」
根も葉もないでたらめです、と言いかけて私は躊躇った。
鬼武者さまのその怜悧そうな眼差しの前で、その場しのぎのことを言っても何の意味もない気がした。
それでもたった九つのお子が、お父上の事を悪く言いながらご自分のお言葉に傷ついていかれるようなお顔をしているのをそのままにはしておけなかった。
私は鬼武者さまのお手をとったまま、口を開いた。
「夫はいつも申しております。義朝さまは都のご一門、郎党の方々のみならず東国に住むすべての武士たちが、少しでも今よりも良い暮らしが出来るようにと、その為に懸命にお働き下さっているのだと」
「すべての武士たち?」
「はい。鬼武者さまもご承知の通り、御父上さまはご幼少の頃より東国は鎌倉の地にてお育ちになられました。それゆえ、都暮らしの長い祖父君さま、叔父君さまがたにはお分かりにならないご苦労も沢山積んでおられます。そんな御父上さまだからこそ、お見えになるもの、お分かりになるものがおありなのでございましょう」
「父上だからこそ、お見えになるもの……」
「はい。ですから今、ご一族の方々と道を分かたれていらっしゃるのも決してご自分の勝手なお気持ちからなどではないのです。それらはすべて、都以外の地に住まう武士たちのことを考えてのことだと存じます。御父上の深いお志を理解出来ずに口軽く謗る者もおりましょう。けれど、御父上さまの跡を継がれる鬼武者さまが、そのような言葉にお心を惑わされてはいけませんわ。御父上のことをご信頼あそばしませ」
ほとんどは常日頃、正清さまから事あるごとに伺っている義朝さまへの賛辞の受け売りだった。
鬼武者さまは私の言葉を黙って聞いておられたけれど、やがてこくりと頷かれた。
「……そうか。分かったよ、佳穂」
「出過ぎたことを申しました。ただ我が夫は心から義朝さまをお敬い申し上げ、一命を捧げる覚悟でお仕えしております。このお邸のうちにはそういった方々が大勢おります。それをお忘れなきようにお願い申し上げます」
「うん。でも……」
そこで鬼武者さまは言葉を切って、じっと私をご覧になった。
「母上を悲しませているところはそのお志とは関係ないよね。私はそんなことはしない。大人になったらただ一人の愛する人を妻にして、生涯その人ひとりを大切に守っていくんだ」
そう言ってにっこりと微笑まれた。
黙っていると少し冷たい感じのするほど端正で涼やかなそのお顔立ちで微笑む様子はまるで、白い花がふわっと開いたかのようで、九つのお子を相手に不覚にもどぎまぎさせられてしまった。
「若君の北の方になられる女性はお幸せでございますわね」
「私は妻にするなら佳穂みたいな人がいいな。優しくて縫い物が上手で。いつもにこにこしていて可愛いし」
「まあ、お戯れを。さあ、そろそろ参りましょう。お稽古に遅れてしまいますわ」
鬼武者さまを促して歩き出しながら、私は千夏や小妙、乳母の兵衛の君さまからも
「大人になったらそなたのような人を妻にしたい」
と言われたと嬉しそうに報告されたことがあるのを思い出していた。
うん……。
鬼武者さまがこの先、どのような殿方に成長されるのかは分からないけれど。
とびきりの美男になられるのはもう今から間違いはないと思うし。
女性がらみの問題が、祖父上さま、父上さまから受け継がれるのは避けようがない未来のような気がどうしてもしてしまう……。
その度に私は困ったように微笑んでみせたり、時には冗談めかして泣き言のようなことを口にしたりもした。
相手の興味本位の好奇心に付けこまれ過ぎないように。
かといって、適当に受け流されたと気を悪くさせないように。
うまくやってきたと思う。
それなのに、鬼武者さまの口からそう問われたとき、私は自分でもびっくりするくらい狼狽してしまった。
「まあ……」
そう言ったっきり、言葉に詰まってしまった私を鬼武者さまがじっと見つめていらっしゃる。
由良の方さまによく似た涼しげなその目元、すっきりと通った鼻筋。
ひとつ、ひとつの部分は母君にそっくりでいらっしゃるのに、そのちょっと眉をひそめた表情。
ぎゅっと引き結ばれた口元など。
この頃の鬼武者さまは何かの拍子にこちらがはっとするほど、義朝さまによく似た面差しを見せられる瞬間があった。
子供が、父親と母親、両方の血を引いて生まれるというのはこういうことだ。
ふいに、目の奥がかあっと熱くなった。
(いけない)
私は慌てて袖で目元を抑えた。
「佳穂?」
気遣わしげなお声がかけられる。
(何でもございません。ちょっとゴミが入ってしまって)
そうお答えしたいのに、喉がぎゅっと引き絞られているみたいに声がでない。
お邸勤めに戻ったばかりの頃。
御方さまは何も仰らなかったけれど、千夏や小妙には何度が尋ねられた。
「あんなに何度もお召しがあったのに断り続けていたものを、どういう心境の変化なの?」
「何かあったの?」
と。
「悠もだいぶ、邸に馴れてきたし、久しぶりにこちらのお邸が恋しくなったのよ」
と私は答えた。
茄子の漬物の一件は結局誰にも何も言わなかった。
何もと言っても具体的に何かがあったわけではないのだけれど。
茄子が嫌いなひとなんて、世の中にはいくらでもいるんだし。
そんなことで、悠が正清さまの実の娘だと…「俺の子ではない」と仰ったお言葉が嘘だと思いこむなんてあまりに馬鹿げている。
そう思うのに、その日を境に私のなかの悠を見る目が変わってしまった。
「かあしゃま」
と、あどけない声で呼ばれて小さな腕を差し伸べられたりすれば、可愛いと思う。
思わず抱きしめて頬ずりしたくなる。
けれど、そうしながらも、悠の顔立ち、表情、仕草のひとつひとつから探さずにはいられないのだ。
あの人に似たところを。
半ば無意識にしていたそれに最初に気がついたときは自分で自分にぞっとした。
愛らしい笑い声を立てながら、膝に身を摺り寄せてくる悠の背を優しげに撫でてやりながら、私があの子を見る目は、氷のように冷たいものではなかっただろうか。
手の指の爪のかたちがそっくりだと気がついたときには、思わず握っていた手を放していた。
もし、自分が産んだ実の娘だったら、そんな発見も嬉しくて愛しくてたまらなかったはずなのに。
ぽかんとしてこちらを見上げる悠の顔を見た瞬間、自己嫌悪で泣きたくなった。
ぱっちりとした瞳に愛らしい口元など、正清さまには似ていないと思うところを見れば相手の女性の面差しをそこから想像して苦しくなった。
紗枝どのとのことを知ったときも悲しかったし腹もたった。
けれど、今回のこれは、その時とはまるで種類の違う痛みだった。
相手の女性の存在そのものよりも、その人が正清さまとの間に得ている、子供という決して切れない繋がりに対して私は苦しいほどに嫉妬した。
親同士が決めた縁談によって結ばれた私とは違って、その女性は正清さまがご自分の意志で選ばれて、望まれて、お側にお召しになったお相手だ。
その人が、私がどんなに願っても得られなかった子供を得ている。
それはとても決定的な答えのように思えた。
私はひどく打ちのめされた。
跡継ぎを儲けるのが自分でなくても、それでも側にいたい。
離れたくない。
そう願っていた思いには変わりはないけれど。
実際に「そうかもしれない」というだけの事態に陥った私は、殿とも悠ともまともに顔を合わせることさえ
怖いと感じるようになってしまっていた。
そんな日々をしばらく過ごした後。
私は逃げるようにして、こちらへのお邸勤めに戻ることを決めた。
以前は、私がこちらへ度々上がることにあまり良いお顔をされていなかった正清さまは、存外あっさりと
「佳穂がそうしたいのならば好きにせよ」
と、お許し下さった。
実際、近頃の正清さまは大変にお忙しそうで、お悩み事も多そうで、私のお邸勤めにことになど頓着しているお暇はなかったのだと思う。
以前ならば突き放されたようで寂しく感じたのであろうそれも、その時の私にはありがたかった。
留守の間の悠の世話が楓が引き受けてくれた。
悠も、楓には私以上に懐いているのでこちらは何の心配もなかった。
外に出て四六時中、一緒にいるわけではなくなると後ろめたい思いもあってか、まったく以前のままとはいかないまでも比較的穏やかな気持ちで悠と接することが出来るようになった。
「佳穂?」
ふいに手に柔らかなものが触れた。
「ごめんね。変なことを聞いてしまって」
黙り込んでしまった私を、鬼武者さまが気の毒そうに、申し訳なさそうにみつめながらそっと手を握ってくださっていた。
私は慌てて笑顔をつくった。
目を細め、頬を無理矢理持ち上げたその顔がちゃんと微笑んでいるように見えたかどうか自信はないけれど。
「いえ、とんでもございません」
鬼武者さまの小さなお手をそっと両手で包むようにして、膝を屈める。
目線の高さを合わせ、ひとつ息をついてから私は精一杯、朗らかな声で言った。
「御子を多く儲けられるは武門の殿方のつとめ。その御子の養育をまかせていただけるのは、正室としてこのうえない誉れだと思うております」
我ながら綺麗ごとだとは思ったが、でも、主家の若君お相手にこれ以外になんとお答え出来るだろう。
案の定、鬼武者さまは不服げに口を尖らされた。
「母上もいつもそう仰せられる。子を多く儲けられるのは殿方のつとめゆえ父上がよそに通い所を幾つもお持ちでいられるのも仕方のないことだと。けれど私はそうは思わない」
鬼武者さまはまっすぐにこちらをご覧になって言われた。
「この頃、母上はいつも悲しそうにしていらっしゃる。私や竜王たちの前ではお元気に振舞っていらっしゃるけれど私には分かる。父上はこれまでもずっと母上を悲しませてばかりだ。たった一人の妻でさえ幸せに出来ず、祖父上や叔父上たちとも仲違いをして、一門に不仲の種をもたらすようなやり方が武門の長として相応しいものとは私にはとても思えない! 父上は皆を不幸せにしておられる」
「鬼武者さま……」
私は真剣な顔になった。
「父君さまが皆を不幸せにしておられるなどと。そのようなこと誰が若君に申し上げました? 祖父上さまや叔父上がたと仲違いをしておられるなどそのような事……」
「誰って皆が言ってるよ。父上は一門の誰彼とも喧嘩して皆に嫌われてるって。お優しい祖父上を困らせているって。我ら源氏がいつまでたっても平氏に追いつけないのは、父上が皆を仲違いさせて一門のなかをかき乱しているからだって」
「まあ、何ということを……」
根も葉もないでたらめです、と言いかけて私は躊躇った。
鬼武者さまのその怜悧そうな眼差しの前で、その場しのぎのことを言っても何の意味もない気がした。
それでもたった九つのお子が、お父上の事を悪く言いながらご自分のお言葉に傷ついていかれるようなお顔をしているのをそのままにはしておけなかった。
私は鬼武者さまのお手をとったまま、口を開いた。
「夫はいつも申しております。義朝さまは都のご一門、郎党の方々のみならず東国に住むすべての武士たちが、少しでも今よりも良い暮らしが出来るようにと、その為に懸命にお働き下さっているのだと」
「すべての武士たち?」
「はい。鬼武者さまもご承知の通り、御父上さまはご幼少の頃より東国は鎌倉の地にてお育ちになられました。それゆえ、都暮らしの長い祖父君さま、叔父君さまがたにはお分かりにならないご苦労も沢山積んでおられます。そんな御父上さまだからこそ、お見えになるもの、お分かりになるものがおありなのでございましょう」
「父上だからこそ、お見えになるもの……」
「はい。ですから今、ご一族の方々と道を分かたれていらっしゃるのも決してご自分の勝手なお気持ちからなどではないのです。それらはすべて、都以外の地に住まう武士たちのことを考えてのことだと存じます。御父上の深いお志を理解出来ずに口軽く謗る者もおりましょう。けれど、御父上さまの跡を継がれる鬼武者さまが、そのような言葉にお心を惑わされてはいけませんわ。御父上のことをご信頼あそばしませ」
ほとんどは常日頃、正清さまから事あるごとに伺っている義朝さまへの賛辞の受け売りだった。
鬼武者さまは私の言葉を黙って聞いておられたけれど、やがてこくりと頷かれた。
「……そうか。分かったよ、佳穂」
「出過ぎたことを申しました。ただ我が夫は心から義朝さまをお敬い申し上げ、一命を捧げる覚悟でお仕えしております。このお邸のうちにはそういった方々が大勢おります。それをお忘れなきようにお願い申し上げます」
「うん。でも……」
そこで鬼武者さまは言葉を切って、じっと私をご覧になった。
「母上を悲しませているところはそのお志とは関係ないよね。私はそんなことはしない。大人になったらただ一人の愛する人を妻にして、生涯その人ひとりを大切に守っていくんだ」
そう言ってにっこりと微笑まれた。
黙っていると少し冷たい感じのするほど端正で涼やかなそのお顔立ちで微笑む様子はまるで、白い花がふわっと開いたかのようで、九つのお子を相手に不覚にもどぎまぎさせられてしまった。
「若君の北の方になられる女性はお幸せでございますわね」
「私は妻にするなら佳穂みたいな人がいいな。優しくて縫い物が上手で。いつもにこにこしていて可愛いし」
「まあ、お戯れを。さあ、そろそろ参りましょう。お稽古に遅れてしまいますわ」
鬼武者さまを促して歩き出しながら、私は千夏や小妙、乳母の兵衛の君さまからも
「大人になったらそなたのような人を妻にしたい」
と言われたと嬉しそうに報告されたことがあるのを思い出していた。
うん……。
鬼武者さまがこの先、どのような殿方に成長されるのかは分からないけれど。
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