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第五章 保元の乱
有明の別れ
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その夜。四条の邸で義父上の葬儀がひっそりとあげられた。
参列したのは私と菊里さんの他には七平太と槇野。悠を抱いた楓と、六条の鎌田の家で下働きをしていた、松次という老人一人だけだった。
他の使用人は皆、新院方の敗北が決定した途端に
「朝敵と関わりがあると思われてはどんな目に遭うか知れない」
と大騒ぎして一夜のうちに逃げ去ってしまったのだそうだ。
私は言葉を失った。
「まあ、なんて恩知らずな者たちでしょう。大殿さまにはさんざんお世話になったのでしょうに」
槇野は腹立たしげに言って目頭を袖で押さえた。
邸の使用人たちだけではない。
長田の父や兄たちも、色々と理由をのべて参列しようとはしなかった。
その時は煮え切らない家族の態度に腹を立てて、
(そんな人たちに来て貰わなくても結構よ)
と思い、重ねて説得しようとはしなかったのだが、いざこうして菊里さんの前に出ると、しみじみと身内の薄情さが情けなく、恥ずかしかった。
「仕方がありませんわ。時勢ですもの」
菊里さんは穏やかに言った。
傍らで、まだよく分からないなりに神妙な顔で手を合わせている悠を抱き寄せ、その髪を愛おしげに撫でる。
「本当のことを言うとね。殿は最初から分かっていらしたんです。此度の戦はお味方の敗けだと。そして敗けてしまえば、ご自分たちはもとよりその身内がどんな目に遭うのかも分かっていらしたのでしょうねえ。ご出陣の間際まで私にこの家を出て、洛外へ身を隠し、折を見て東国へ下れと何度も何度も仰っていましたわ」
「義父上が?」
「ええ。その度に殿がお出になられたらきっとそう致しますとお返事をして。でも結局、出られなかった。ここを離れたら二度と殿にお目にかかれないような気がして……」
そこで菊里さんは声を詰まらせ、黙って悠の肩を抱きしめた。
悠には、正清さまのお許しを得て菊里さんのことを祖母君だと教えていた。
ご本人は
「そんな畏れ多い……亡き北の方さまに申し訳ありません」
と固辞していたけれど、義父上にも
「良いではないか。あれはそんなことでつむじを曲げるような狭量な女子ではないぞ。まあ、怖いは怖かったが」
と冗談に紛らせて言われて、恐縮しながらも受け入れて下さった。
「……でもそれで良かった。ここを離れずにいたおかげで、またこうして殿とお会い出来て、お送りすることが出来たのですもの」
「おばあちゃま……」
悠が小さな手のひらを伸ばすと菊里さんは、堪え兼ねたように顔を覆って激しく泣かれた。
葬儀が終わったあと、義朝さまのお取り計らいで一族ゆかりのお寺で荼毘に伏し、埋葬させて頂いた。ほの白い煙が、明け初めた東の空に細々と上がっていった。
葬儀が終わるとすぐに菊里さんは、都を離れ、東国へ下ると言われた。
「もうこちらにいる理由もなくなりましたから」
むこうに着いたら髪を下ろし、義父上と正清さまの母上の菩提を弔って暮らすのだという。
「もう少し落ち着かれてからでも……実家の者に頼んで送らせます」
そう言うと菊里さんは苦笑して首を振った。
「いいえ。佳穂さまのお身内にご迷惑はかけられませんわ。松次とその甥が送っていってくれるそうですから心配はいりません」
「でも……」
「ありがとうございます。本当にもういいのです。これ以上、京に残ったらきっと見なくても良いものをたくさん見てしまう。……私は大殿との楽しい思い出だけを持って行きたいのです」
静かだけれど毅然とした声だった。
菊里さんは、義父上のお骨の一部と、お身の回りの愛用品いくつかを携えて東国へと発たれた。
「若君……正清さまによろしくお伝え下さいませ。ご挨拶出来ずに申し訳ありませんと」最後に軽やかにそう言われた。
(ここにいては、見なくても良いものをたくさん見てしまう)
菊里さんのその言葉を、その後、私は痛いほど思い知ることになった。
参列したのは私と菊里さんの他には七平太と槇野。悠を抱いた楓と、六条の鎌田の家で下働きをしていた、松次という老人一人だけだった。
他の使用人は皆、新院方の敗北が決定した途端に
「朝敵と関わりがあると思われてはどんな目に遭うか知れない」
と大騒ぎして一夜のうちに逃げ去ってしまったのだそうだ。
私は言葉を失った。
「まあ、なんて恩知らずな者たちでしょう。大殿さまにはさんざんお世話になったのでしょうに」
槇野は腹立たしげに言って目頭を袖で押さえた。
邸の使用人たちだけではない。
長田の父や兄たちも、色々と理由をのべて参列しようとはしなかった。
その時は煮え切らない家族の態度に腹を立てて、
(そんな人たちに来て貰わなくても結構よ)
と思い、重ねて説得しようとはしなかったのだが、いざこうして菊里さんの前に出ると、しみじみと身内の薄情さが情けなく、恥ずかしかった。
「仕方がありませんわ。時勢ですもの」
菊里さんは穏やかに言った。
傍らで、まだよく分からないなりに神妙な顔で手を合わせている悠を抱き寄せ、その髪を愛おしげに撫でる。
「本当のことを言うとね。殿は最初から分かっていらしたんです。此度の戦はお味方の敗けだと。そして敗けてしまえば、ご自分たちはもとよりその身内がどんな目に遭うのかも分かっていらしたのでしょうねえ。ご出陣の間際まで私にこの家を出て、洛外へ身を隠し、折を見て東国へ下れと何度も何度も仰っていましたわ」
「義父上が?」
「ええ。その度に殿がお出になられたらきっとそう致しますとお返事をして。でも結局、出られなかった。ここを離れたら二度と殿にお目にかかれないような気がして……」
そこで菊里さんは声を詰まらせ、黙って悠の肩を抱きしめた。
悠には、正清さまのお許しを得て菊里さんのことを祖母君だと教えていた。
ご本人は
「そんな畏れ多い……亡き北の方さまに申し訳ありません」
と固辞していたけれど、義父上にも
「良いではないか。あれはそんなことでつむじを曲げるような狭量な女子ではないぞ。まあ、怖いは怖かったが」
と冗談に紛らせて言われて、恐縮しながらも受け入れて下さった。
「……でもそれで良かった。ここを離れずにいたおかげで、またこうして殿とお会い出来て、お送りすることが出来たのですもの」
「おばあちゃま……」
悠が小さな手のひらを伸ばすと菊里さんは、堪え兼ねたように顔を覆って激しく泣かれた。
葬儀が終わったあと、義朝さまのお取り計らいで一族ゆかりのお寺で荼毘に伏し、埋葬させて頂いた。ほの白い煙が、明け初めた東の空に細々と上がっていった。
葬儀が終わるとすぐに菊里さんは、都を離れ、東国へ下ると言われた。
「もうこちらにいる理由もなくなりましたから」
むこうに着いたら髪を下ろし、義父上と正清さまの母上の菩提を弔って暮らすのだという。
「もう少し落ち着かれてからでも……実家の者に頼んで送らせます」
そう言うと菊里さんは苦笑して首を振った。
「いいえ。佳穂さまのお身内にご迷惑はかけられませんわ。松次とその甥が送っていってくれるそうですから心配はいりません」
「でも……」
「ありがとうございます。本当にもういいのです。これ以上、京に残ったらきっと見なくても良いものをたくさん見てしまう。……私は大殿との楽しい思い出だけを持って行きたいのです」
静かだけれど毅然とした声だった。
菊里さんは、義父上のお骨の一部と、お身の回りの愛用品いくつかを携えて東国へと発たれた。
「若君……正清さまによろしくお伝え下さいませ。ご挨拶出来ずに申し訳ありませんと」最後に軽やかにそう言われた。
(ここにいては、見なくても良いものをたくさん見てしまう)
菊里さんのその言葉を、その後、私は痛いほど思い知ることになった。
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