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第一章 初恋は婚約破棄から
5.思いがけない再会
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「貴女はこの間の……」
と言ったところを見ると、先日、町で会った日のことを覚えていたらしい。
アマーリアが何も言えずに立ちすくんでいると、そこに兄のヴィクトールがやってきた。
「おお、こっちだ。悪いな。非番の日にわざわざ来てもらって」
「いえ。こちらこそ。お招きいただいて光栄です」
彼は兄に向って騎士が目上の人に向かってする正式な礼をした。
「いいって。そういうのは。今日は仕事じゃないんだから」
ヴィクトールは苦笑して彼に立つように言った。
そこで初めてアマーリアの存在に気がついた。
「リア。庭にいたのか」
「……はい。お客さまのお部屋に飾るお花を摘みに参りました」
「おまえがわざわざ?」
「昨日、王宮でお花の活け方を習ってきたものですから練習にと思いまして」
「そうか。リアはいつも勉強家だな」
ヴィクトールは年の離れた妹を愛おしげに見て、彼の方を振り返った。
「ラルフ。妹のアマーリアだ。リア。こちらはラルフ・クルーガー。銀の鷲騎士団の期待のホープだ。騎士団長のガラハド卿も格別に目をかけていらっしゃる逸材だぞ」
「そんな。俺など、とんでもない」
ラルフと呼ばれた青年は困ったように頭を掻いた。
(ラルフ・クルーガーさま……)
アマーリアの胸にその名が水が沁みとおるようにして刻まれた。
(まさかもう一度お会い出来るなんて)
「ちょうどいい。せっかくだから俺たちの使う部屋にリアに花を活けて貰おう。いいだろう?」
「えっ?」
思わず声がひっくり返ってしまった。
ヴィクトールは真っ赤になってもじもじしている妹の様子にはまったく気づかずに、アマーリアとラルフを促して屋敷の中へと入った。
自分のあとを黙ってついてくる二人を振り返って、
「ラルフ。こういう時は令嬢をエスコートしないとダメなんだぞ」
とヴィクトールがからかうように言った。
「えっ、お、俺がですか?」
「他に誰がいるんだよ。リアはまだ十六歳だけど社交界にはデビューしている。立派なレディだ。きちんとエスコートしてやってくれよ」
「そんな、俺はいいです。隊長が……」
「おまえなあ。二十四にもなる男がそんなことで狼狽えていてどうするんだよ。そんなことじゃ夜会や舞踏会に行く時困るぞ」
「だから、俺はいいんです。そういうのは」
「いいことないだろう。リア。こいつはな、立派な伯爵家の長男なのに、騎士団の仕事一筋でろくに社交の場にも出ようとしない変わり者なんだ。おかげでエスコートの仕方ひとつ知らない。ちょうどいい機会だからおまえ練習台になってやってくれ」
「わ、私が?」
「ああ。ラルフ。こう見えて我が妹姫は「月光の姫」と称えられる社交界の花だぞ。エスコート役に任じられたなんて言ったら騎士団の連中から妬まれて袋叩きにされるくらいだ。光栄に思えよ」
アマーリアは首筋まで真っ赤になった。
その後、ヴィクトールに何度も促されて、ラルフは困ったようにアマーリアを見た。
「その、隊長がこう仰っておられますので……お願いしてもよろしいですか」
「わ、私で良ければもちろん」
そうして、ぎくしゃくと差し出されたラルフの腕に手を添えて客間まで歩く間、アマーリアは自分の心臓の音が彼に聞こえてしまうのではないかと気が気ではなかった。
「おお。出来るじゃないか。その調子その調子」
「それは俺だってこのくらいは出来ますよ」
感心したように言うヴィクトールにラルフが不服げに言い返した。
客間について、摘んできた薔薇を花器に活けながらもアマーリアの胸は高鳴ったまま、なかなか収まらなかった。
ヴィクトールとラルフは、先日の国王陛下の御前で行われた武術大会について話しているようだった。
ラルフの艶やかに響く低い声を聴いているだけで、鼓動はおさまるどころかよけいに
ドキドキと騒がしい音をたてる。
アマーリアは花を活けているのをいいことに、顔を上げずにじっとうつむいていた。彼の姿を見たいのに恥ずかしくてどうしてもそちらを見られない。
こんな気持ちはアドリアンに対しても、これまで一度も抱いたことのないものだった。
花を活け終わり、退室しようとするとヴィクトールがアマーリアにも同席するようにすすめてきた。
「いえ。私はこれで失礼を」
「何か用事があるのか? 今日は王宮でのレッスンは休みの日だったと思ったが……」
ラルフの前で王妃教育のことを持ち出されたくなかった。
何故だかそう強く思って、アマーリアはそれ以上兄が口を開く前に
「で、ではお言葉に甘えて」
と言って兄のソファの隣りに腰を下ろした。
「最近忙しかっただろう。少し疲れた顔をしていたからな。たまには気分転換も必要だぞ」
そう言ってヴィクトールは、ソアラの手製だというクッキーを勧めてくれた。
日頃は大好きな義姉のクッキーだったが、ラルフが正面に座っていると思うと口を開けて物を齧る気になれない。
ためらっていると、ヴィクトールが
「なんだ。どれにしようか迷ってるのか。遠慮しないで全部食べていいぞ」
と皿ごと目の前に突き付けてきた。
仕方がないので一つとって口に運ぶ。
兄のおおらかで細かいことを気にしないところが好きだったが、こういう時はその鈍感さが恨めしくなる。
途中、執事が呼びにきてほんの少しの間、ヴィクトールが席を外した。
ラルフは未婚の令嬢と二人きりになっては、と部屋のドアを開け、自分は戸口に立った。
そんな生真面目なところもアマーリアには好もしくうつった。
意を決して、
「あの、先日はありがとうございました」
と御礼を言うと、ラルフはちょっと笑って
「いいえ。あの後は大事ありませんでしたか?」
と言った。
「はい……おかげさまで」
「隊長の妹君、公爵令嬢であられたとは驚いた。勇敢な方だ」
「あの、この事は……」
「兄君には内緒にしておくのでしょう。分かっていますよ」
ラルフは悪戯っぽく笑って言った。
それは彼がはじめて見せた打ち解けた表情だった。
「はい……そうして頂けると……。叱られてしまいますので」
「いいですよ。ただし、これからはあんな無茶はなさらないこと。お約束して下さいますか」
「はい。お約束いたします」
すぐに兄が戻ってきたので話はそこまでになった。
兄はラルフを気に入っているようで、その後も何度か邸に呼んだり、アマーリアが騎士団の練習場に差し入れを持っていくと、彼と一緒にいたりしたので、何度か顔を合わせ機会があった。
その度ごとにアマーリアはラルフの真面目で実直な、飾らない人柄に惹かれていった。
と言ったところを見ると、先日、町で会った日のことを覚えていたらしい。
アマーリアが何も言えずに立ちすくんでいると、そこに兄のヴィクトールがやってきた。
「おお、こっちだ。悪いな。非番の日にわざわざ来てもらって」
「いえ。こちらこそ。お招きいただいて光栄です」
彼は兄に向って騎士が目上の人に向かってする正式な礼をした。
「いいって。そういうのは。今日は仕事じゃないんだから」
ヴィクトールは苦笑して彼に立つように言った。
そこで初めてアマーリアの存在に気がついた。
「リア。庭にいたのか」
「……はい。お客さまのお部屋に飾るお花を摘みに参りました」
「おまえがわざわざ?」
「昨日、王宮でお花の活け方を習ってきたものですから練習にと思いまして」
「そうか。リアはいつも勉強家だな」
ヴィクトールは年の離れた妹を愛おしげに見て、彼の方を振り返った。
「ラルフ。妹のアマーリアだ。リア。こちらはラルフ・クルーガー。銀の鷲騎士団の期待のホープだ。騎士団長のガラハド卿も格別に目をかけていらっしゃる逸材だぞ」
「そんな。俺など、とんでもない」
ラルフと呼ばれた青年は困ったように頭を掻いた。
(ラルフ・クルーガーさま……)
アマーリアの胸にその名が水が沁みとおるようにして刻まれた。
(まさかもう一度お会い出来るなんて)
「ちょうどいい。せっかくだから俺たちの使う部屋にリアに花を活けて貰おう。いいだろう?」
「えっ?」
思わず声がひっくり返ってしまった。
ヴィクトールは真っ赤になってもじもじしている妹の様子にはまったく気づかずに、アマーリアとラルフを促して屋敷の中へと入った。
自分のあとを黙ってついてくる二人を振り返って、
「ラルフ。こういう時は令嬢をエスコートしないとダメなんだぞ」
とヴィクトールがからかうように言った。
「えっ、お、俺がですか?」
「他に誰がいるんだよ。リアはまだ十六歳だけど社交界にはデビューしている。立派なレディだ。きちんとエスコートしてやってくれよ」
「そんな、俺はいいです。隊長が……」
「おまえなあ。二十四にもなる男がそんなことで狼狽えていてどうするんだよ。そんなことじゃ夜会や舞踏会に行く時困るぞ」
「だから、俺はいいんです。そういうのは」
「いいことないだろう。リア。こいつはな、立派な伯爵家の長男なのに、騎士団の仕事一筋でろくに社交の場にも出ようとしない変わり者なんだ。おかげでエスコートの仕方ひとつ知らない。ちょうどいい機会だからおまえ練習台になってやってくれ」
「わ、私が?」
「ああ。ラルフ。こう見えて我が妹姫は「月光の姫」と称えられる社交界の花だぞ。エスコート役に任じられたなんて言ったら騎士団の連中から妬まれて袋叩きにされるくらいだ。光栄に思えよ」
アマーリアは首筋まで真っ赤になった。
その後、ヴィクトールに何度も促されて、ラルフは困ったようにアマーリアを見た。
「その、隊長がこう仰っておられますので……お願いしてもよろしいですか」
「わ、私で良ければもちろん」
そうして、ぎくしゃくと差し出されたラルフの腕に手を添えて客間まで歩く間、アマーリアは自分の心臓の音が彼に聞こえてしまうのではないかと気が気ではなかった。
「おお。出来るじゃないか。その調子その調子」
「それは俺だってこのくらいは出来ますよ」
感心したように言うヴィクトールにラルフが不服げに言い返した。
客間について、摘んできた薔薇を花器に活けながらもアマーリアの胸は高鳴ったまま、なかなか収まらなかった。
ヴィクトールとラルフは、先日の国王陛下の御前で行われた武術大会について話しているようだった。
ラルフの艶やかに響く低い声を聴いているだけで、鼓動はおさまるどころかよけいに
ドキドキと騒がしい音をたてる。
アマーリアは花を活けているのをいいことに、顔を上げずにじっとうつむいていた。彼の姿を見たいのに恥ずかしくてどうしてもそちらを見られない。
こんな気持ちはアドリアンに対しても、これまで一度も抱いたことのないものだった。
花を活け終わり、退室しようとするとヴィクトールがアマーリアにも同席するようにすすめてきた。
「いえ。私はこれで失礼を」
「何か用事があるのか? 今日は王宮でのレッスンは休みの日だったと思ったが……」
ラルフの前で王妃教育のことを持ち出されたくなかった。
何故だかそう強く思って、アマーリアはそれ以上兄が口を開く前に
「で、ではお言葉に甘えて」
と言って兄のソファの隣りに腰を下ろした。
「最近忙しかっただろう。少し疲れた顔をしていたからな。たまには気分転換も必要だぞ」
そう言ってヴィクトールは、ソアラの手製だというクッキーを勧めてくれた。
日頃は大好きな義姉のクッキーだったが、ラルフが正面に座っていると思うと口を開けて物を齧る気になれない。
ためらっていると、ヴィクトールが
「なんだ。どれにしようか迷ってるのか。遠慮しないで全部食べていいぞ」
と皿ごと目の前に突き付けてきた。
仕方がないので一つとって口に運ぶ。
兄のおおらかで細かいことを気にしないところが好きだったが、こういう時はその鈍感さが恨めしくなる。
途中、執事が呼びにきてほんの少しの間、ヴィクトールが席を外した。
ラルフは未婚の令嬢と二人きりになっては、と部屋のドアを開け、自分は戸口に立った。
そんな生真面目なところもアマーリアには好もしくうつった。
意を決して、
「あの、先日はありがとうございました」
と御礼を言うと、ラルフはちょっと笑って
「いいえ。あの後は大事ありませんでしたか?」
と言った。
「はい……おかげさまで」
「隊長の妹君、公爵令嬢であられたとは驚いた。勇敢な方だ」
「あの、この事は……」
「兄君には内緒にしておくのでしょう。分かっていますよ」
ラルフは悪戯っぽく笑って言った。
それは彼がはじめて見せた打ち解けた表情だった。
「はい……そうして頂けると……。叱られてしまいますので」
「いいですよ。ただし、これからはあんな無茶はなさらないこと。お約束して下さいますか」
「はい。お約束いたします」
すぐに兄が戻ってきたので話はそこまでになった。
兄はラルフを気に入っているようで、その後も何度か邸に呼んだり、アマーリアが騎士団の練習場に差し入れを持っていくと、彼と一緒にいたりしたので、何度か顔を合わせ機会があった。
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