婚約破棄された公爵令嬢は初恋を叶えたい !

橘 ゆず

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第二章 恋と陰謀の輪舞曲

27. 医務室のバトル

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   稽古用の木刀ががつんとぶつかり合う。
 その瞬間、手首がずんと痺れるような重い感覚が伝わってきてヴィクトールは押し返す手にぐっと力をこめた。

 騎士団の剣技場で久しぶりにラルフと手合わせをしたのだが、その剣の腕は前回手合わせした時よりもさらに上がっているようだった。
 スピードではヴィクトールの方が上回っているのだが、ラルフの剣は一太刀、一太刀が重い。
 速さを生かして攻撃を繰り出しても、受け止められ押し返される時の力強さでこちらの体力の方が削られてしまう。

 手合わせを終えたあと、汗を拭きながらヴィクトールはラルフに言った。

「今だったら剣技でもおまえの方の勝ちかもな」
「いえ、そんな。まだまだ隊長には遠く及びません」

 謙遜ではなく心の底からそう言っているのは顔を見れば分かる。

(謙虚なのはいいんだが、いまいち自己肯定感が低いのがこいつの欠点だよな)
 とヴィクトールは思う。

 武人にとって慢心は敵だが、同じくらいに悪いのはいざと言う時に自分の力量を信じて勝負に出られないところだ。

 ラルフは技でも体力でも頭脳でも、他人に劣ったところはないのに咄嗟の時に自分の判断を信じられずに行動に躊躇いが出ることがあって、ヴィクトールはそれが気にかかっていた。

 自分に自信が持てないのは、彼の生い立ちが関係しているのかもしれない。

 幼いときに母を失い、継母から疎まれ、実の父はそれを知りながら何もしなかった。
 言葉で少しばかり庇ったところで、継母がラルフに対する態度を改めるような有効な手を打てなかった点では、見て見ぬふりをしていたのも同然だろう。

 一番愛して欲しい人に愛されず、守られるべき時に守って貰えなかった。

 そのつらさは物心ついた時から公爵家の嫡男として大切にされ、両親や祖父母、周囲の愛情を一心に浴びて育ってきた自分にはきっと分からない。

(でも、ラルフみたいな男には繊細おしとやかな姫君より、うちの妹みたいな竜が踏んでも壊れない、打たれ強くて、打たれたら即打ち返すようなのが合ってて良かったのかもな)

 仮にラルフの継母が今後、嫌がらせめいたことを仕掛けてきたとしてもアマーリアならば決してただ黙って泣かされることはないだろう。

 ラルフにはそれくらい逞しい花嫁の方が向いている気がする。

 そんなことを考えていると、
「ヴィクトールさま!!」
 ふいに高く澄んだ声で名を呼ばれた。

 見るとクレイグの妹のミレディが切羽詰まった表情で駆けこんでくるところだった。

「大変なんです!」
 ミレディは日頃のしとやかさに似合わずヴィクトールの腕にすがりついた。

「どうした?」
「その、リアが……いえ、エルマがザイフリート家のルーカスさまと揉めて、その、医務室に……」

 ここまでまっすぐに駆けてきたのだろう。日頃、全速力で走ることなどあまりないに違いないミレディは息を切らせて、途切れ途切れに語った。

「医務室!? 怪我をしたのか。リアが?」
 返事をしながらヴィクトールは稽古用の皮製の胴着を脱ぎ捨てた。
 そのまま剣技場を横切って足早に学院の方へと向かう。
 ラルフも慌ててそれにならった。

 ミレディは苦しそうに息を弾ませながら懸命に言った。
「その場には、ラルフさまの弟君の、レイフォードさまもいらして……直接揉めたのは、エルマとレイフォードさまで……」

「レイフが? なんでまた……」
「いいから行くぞ。ラルフ!」
 ヴィクトールに呼ばれて、ラルフは困惑しながらもあとを追った。



 その頃、医務室では頬を押さえて大袈裟に喚いているレイフォードを挟んで、アマーリアとルーカスが真っ向から対峙していた。

「まったく信じられないな。いきなり暴力を奮うとは。これが貴族を代表する公爵家の人間のすることとは信じ難いよ」

 ルーカスが皮肉たっぷりに言うとアマーリアも負けじと

「私だってあんな場所で仮にも王家の方の悪口を大声で喚きたてるような浅はかな人間が公爵家の子息だなんて、とっても信じられませんわ。国のためには信じたくないと言った方がいいかしら?」

と言い返す。

 その脇ではレイフォードが、
「痛い! 痛いよ。もっとそうっとしてくれよ。鼻が折れているかもしれない!」
 と泣き声をたて、医務室担当のマチルダ先生に
「大袈裟ですよ。ただちょっと鼻血が出ているだけなのに」
 と眉をしかめられている。

 部屋の隅の長椅子には、エルマとアンジェリカが座っていて
「ごめんなさい。私、ついカッとなって……ぶったりするつもりじゃなかったの」
 と泣きじゃくるエルマをアンジェリカが慰めていた。

「べそべそ泣くなよ。泣きたいのはこっちだよ。なんで暴力を奮った側のおまえが泣いてるんだよ」

 エルマが謝っているのを聞いて、正義は自分にあると思ったのかレイフォードがいまいましげに言う。

「ちょっと。泣いている女の子にそんな言い方ないんじゃないの?」
 アンジェリカが言い返した。
 きりっとした美人のアンジェリカに睨まれてレイフォードは怯んだ。

 だが、ルーカスが、
「暴力を奮うような女に令嬢としての礼儀を尽くす必要なないと思うがね」
 と言うとそれに励まされたのか、

「そうだ。そうだ。男をいきなり殴るなんて野蛮人だよ。そんなやつが淑女としての扱いを求めるなんて図々しいぞ」
 と言い返した。

「謝らなくていいのよ、エルマ」
 アマーリアの声がぴしゃりと割って入った。

「あなたがやらなかったら私がやっただけだから。ラルフさまの弟君だと思って躊躇っていた私が馬鹿だったわ」

「何だとぉ!」
 レイフォードが喚き、マチルダ先生に
「ほら。動かないで。鼻血が止まらないわよ」
 と鼻を押さえられて、
「いたたた、痛いよ!!」
 と悲鳴をあげた。

「これ絶対骨が折れてるよー。どうしてくれるんだよ!」
 レイフォードが足をばたつかせてわめく。

 アマーリアは、うんざりした様子を隠さずにレイフォードを見下ろした。

「こんなのが血の繋がった弟君だなんて信じられない。ラルフさまがあまりにもお労しいわ」

「リア、全部声に出てる」
 アンジェリカが突っ込む。

「いいの。分かってて言ってるから」
「ならいいんだけど」

「いいわけないだろぉ! なんなんだよ。この凶暴女たちは。母上に言ってやる。そうしたらあのラルフだってただじゃ済まないんだからな! 二度と家に出入り出来ないようにしてやる!!」

「ええ。どうぞご勝手に。その時はただで済まないのはどっちなのかよーく思い知らせて差し上げるわ」

「レイフォード。下品な女どもの相手をするな。こっちまで下等な人間だと思われる」
 ルーカスがわざとらしく溜息をついて言った。

「言われなくともこの件は、父のザイフリート公爵にも君の婚約者の父のクルーガー伯爵にもしっかりと報告させて貰うよ。マチルダ先生。レイフォードの怪我の状態についてしっかりと記録に残しておくようお願いします」

「記録ですか? それは一応、カルテは残しますけれど」
 マチルダ先生は迷惑そうだった。

「その記録は父や、ことによれば司法院や国王陛下にもご覧いただくことになるかもしれないな。何といってもそちらのご令嬢は、エルリック殿下の前で、平然と殿下の側近であるレイフォードに暴力を奮ったんだからな。殿下に対する不敬罪ともいえる」

 それを聞いたエルマが真っ青になって泣き出した。
「ごめんなさい。私、知らなかったの」

 アマーリアはきっとルーカスを睨みつけた。

「そうね。しっかり記録に残しておいて貰えばよろしいわ。十五歳の男性が、二つも年下の女の子に平手打ちされて、床に引っ繰り返って鼻血を出して泣き喚いたってね。
 そんなことで、いちいち父上のお名前を出して威張り散らすようなご子息をもって、ザイフリート公爵さまはお幸せですわね。我が兄のヴィクトールとは何もかもが大違い。きっとうちの父も泣いて羨むことでしょうよ」

 そう言ってアマーリアは片手を口に当てて、絵に描いたような悪役令嬢っぽい高笑いをした。

「リア……」
 アンジェリカが頭痛がするといったようにこめかみを押さえる。

 それまで冷静だったルーカスは、ヴィクトールの名前が出るなり顔色を変えた。

「この生意気な小娘め! おまえのそういう人を馬鹿にしきったところは兄にそっくりだ。その髪の色も、青い目も、あいつを思い出して見ているだけで虫酸が走る!」

 噛みつくように言って、アマーリアの両肩をがっとつかんだ。
 アマーリアは顔色ひとつ変えずにルーカスを睨み返したが、それを見たエルマが、わあっと派手な泣き声をあげた。

「やめて! お願い! リア姉さまを離して!!」

 その時、医務室の入り口のドアが激しく叩かれた。

「おい! 何やってるんだ。ここを開けろ!!」
 ヴィクトールの声だった。

「隊長、落ち着いて」
 続いてラルフの声もする。

「くそ! 鍵がかかってやがる」
 ドアノブが激しくまわされ、ドアがきしむほど揺さぶられた。

「え、ちょっと」
 マチルダ先生が立ち上がるのと同時に、激しくドアに何かを叩きつける音がしてドアがバターンと内側に倒れた。

「きゃあっ!」
 アンジェリカとエルマが悲鳴をあげて抱き合う。

「エルマ! リア! 無事か!?」
 蹴倒したドアを踏みつけて、入ってきたのはヴィクトールだった。

 ヴィクトールの姿を見たエルマが、泣きながら駆け寄って抱きついた。

「ヴィクトール兄さまああ」
「よしよし。エルマ。怖かったな。もう大丈夫だぞ」

「あの……ヴィクトールさま。そこのドアは押すんじゃなくて引いて開けるんです」

 マチルダ先生が力なく呟いた。

 押してダメならもっと押す。引くことを知らないのはやはりクレヴィング家の血筋のようだった。
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