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七月

2.初めての接待

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「……それでこれ? いきなり奢るなんて言われて、変だとは思ったけど」
 そんな城崎とのやり取りを、社屋ビルに近いレストランで一緒に二千円のランチコースを食べる事にした晴香に告げると、彼女は盛大に溜め息を吐いた。

「うん……。晴香、お願い。共犯になって?」
「共犯って……。後ろめたいならこんな使い方しないで、そのまま返せば良いでしょうが?」
 呆れて指摘してきた晴香に、美幸が常には見せない困惑した表情で言い返す。

「だって、なんか係長、色々切羽詰まった顔で言い聞かせてくるし、当時のお詫びもの意味合いも兼ねてお金を渡してくれたと思うから、綺麗に使い切った方が気が楽かなぁと思って」
 考え考えそう説明した美幸に、晴香もちょっと首を傾げてから賛同した。

「……それもそうね。じゃあランチで余った分で、レジで売ってるここの特製フィナンシェでも係長さんに買って行きなさいよ。それと私の分もお礼言っておいてね? 勿論、直に顔を合わせる機会があったらお礼は言うけど」
「うん、そうする」
「じゃあせっかくだから、美味しく頂きましょうか。食べ終わったら得体の知れない課長代理さんに言いたい事のあれこれは、きちんと封印しなさいよ? 係長さんに必要以上の気苦労をかけないように」
「それ位分かってるわよ。子供じゃないんだから」
「どうだか」
 それから女二人で楽しく会話しつつ、滅多に食べないコースを昼から堪能し、美幸は機嫌よく職場に戻った。
 しかし室内に入る直前、自分がした事が職場放棄とも言える行為である事を思い返し、若干気後れしたものの、美幸の顔を見るなり「藤宮先輩、もう大丈夫ですか!?」と吹っ飛んで来た蜂谷が大騒ぎした為、それを宥めているうちに却って落ち着き、周囲の者達も苦笑いで見守る中、すんなりと業務に入る事ができた。そして持ち帰った紙袋を素早く鞄にしまった美幸が机で仕事に没頭していると、課長席から「藤宮さん、来て貰えますか?」と呼びかけられ、自分に(平常心、平常心)と言い聞かせながらそちらに出向いた。

「接待、ですか?」
 先程から何やら清人と話し込んでいた川北から簡単に説明を受けた美幸は、意外に思いながら問い返した。それに川北が頷いて説明を続ける。

「ああ。外回りの経験を積ませるために回った先で、宮崎ダイオードにも商談で何回か出向いただろう?」
「はい、覚えています」
 するとそこで川北が、何故かあまり気が進まない様な口振りで話し出した。

「今回そこの部長さんと課長さんを招いて一席設けようかと思ってるんだが、先方が是非藤宮さんに同席して欲しいと言ってきて……。今度の木曜だけど、予定が有って無理なら構わな」
「とんでもありません! 予定は有りませんし、有っても空けます。だってこれはれっきとしたお仕事ですよね?」
 自分の台詞を遮って了承してきた美幸に、川北が気圧されながら頷く。

「うん……、まあ、仕事、なんだけどな……」
「何でもやります。お任せ下さい!」
「課長代理……」
 力一杯叫んだ美幸に、川北が困惑気味に清人に顔を向けたが、対する清人はにこやかに笑って話を終わらせた。

「やる気があって結構ですね。それではお二人にお任せしますので、上手く場を盛り上げて下さい。くれぐれも粗相の無い様にお願いします」
「誰が粗相をすると」
「分かりました。それでは失礼します。ほら、藤宮さん、行こう!」
「分かりました」
 清人の物言いに思わず喧嘩腰になった美幸を引き剥がし、川北は自分の机に戻った。そして別な列の向こう側で、美幸が何やらブツブツと悪態を吐いているらしいのを小耳に挟みつつ、溜め息を吐いていると、空いている手近な椅子を引き寄せてその横に座りながら、城崎が声をかける。

「川北さん、宮崎ダイオードに何か問題でも?」
「いえ、会社自体に問題は無いのですが……」
 何故か言い渋る川北に城崎が怪訝な顔になったが、ここで川北の隣に座っている清瀬が、椅子を滑らせて近寄りながら囁いてきた。

「ひょっとして……、接待する部長ってのは、あそこの営業部の鎌田部長か?」
「そうです」
「あれか……。川北君が渋るのも分かるな」
 横を通り過ぎ様として足を止め、唐突に声を潜めて会話に加わってきた清瀬に、城崎は益々困惑した表情になる。

「林さんも清瀬さんも、良くご存知の方なんですか?」
 その問いかけに、二人はチラリと互いの顔を見合わせてから、真顔で城崎に報告した。
「仕事ぶりは知らないが、同業者の間では女好きで有名だな」
「社内でも有名で、そいつの下に女性社員が居付かないとか」
「…………」
 途端に眉間に皺を寄せて険悪な表情になった城崎を宥めようと、川北が慌てて弁解してくる。

「ま、まあ、同席する宮部課長は良心的な方ですし、俺もできるだけ気を配ります。あまり心配しないで下さい」
「ですが……」
 納得しかねる顔つきで城崎が何か言いかけたが、そこで清瀬が口を挟んだ。

「そう言えば、川北君はさっき藤宮さんを呼ぶ前に、課長代理と何やら話し込んでいたな。ひょっとしてその事を?」
「はい、一応課長代理の判断を仰ごうと思いまして」
「それで、課長代理は何と言ったんだ?」
 その林の問い掛けに、川北は城崎の視線を気にしつつ、控え目に告げる。

「それが……、『彼女が簡単に喰われるタイプだと? いつかは接待の席を自分で取り仕切らないといけない時が来ます。経験させておくのに早過ぎる事は無いでしょう』と、あっさりスルーされました」
「…………」
 それを聞いた城崎は益々憮然とした顔になったが、清瀬と林は逆に考え込んだ。

「……そうだな。確かに課長代理の考えにも一理ある」
「少し早いかもしれないが、本人はやる気十分だし。世の中にはもっと質の悪い輩がゴロゴロしているから、ここら辺で経験させておくのも良いだろう」
「そういう訳だから、係長」
「気の毒だが、今回は手出しや口出しは一切無しと言う事で、様子を見ようか」
「……分かりました」
 年長者二人に口々に言い諭され、城崎は内心はともかく表面上は素直に頭を下げた。

「だが、何をされても良いと言う訳じゃ無いからな」
「川北君、そこの所のさじ加減は間違えない様に」
「それは心得てます。任せて下さい」
 そんな会話が自分の知らないところで交わされているなどとは夢にも思わない美幸は、新しい仕事を任された事で、その日1日機嫌良く業務を進めた。

 その日、帰り支度を始めた所で、美幸は昼に買い込んだ物を思い出したが、まだ残業している人間が半数程居る中で城崎に渡すのを躊躇った。密かにどうしようかと悩んでいると、どこかの部署に届けるのか城崎が書類を手に席を立った為、美幸も「お先に失礼します」と周囲に声をかけながら鞄を手に廊下へと出た。そして前を歩く城崎に駆け寄りつつ声をかける。

「係長!」
「うん? どうかしたのか?」
 すぐに足を止めて振り返った城崎に、美幸は鞄から取り出した紙袋を差し出した。

「これ、今日のお昼に、友達とお昼を食べに行った先で買って来たんです。美味しいので宜しかったらどうぞ。それと、御馳走様でした。友人からもお礼を言っておいてくれと言われましたので」
 そう言って美幸が頭を下げると、城崎は嬉しそうに微笑んで紙袋を受け取った。
「分かった。ありがたく貰うよ」
 そしてそのまま別れの挨拶をしようとした美幸だったが、その気配を察しながら城崎が声をかけた。

「その……、藤宮。接待の件なんだが……」
「はい、何でしょうか?」
「その……、あまり無理はするな」
「え?」
 かなり抽象的な物言いに美幸は怪訝な顔になったが、城崎は(正直にセクハラを受けるかもしれないからなどと言ったら変な先入観を植え付けて、上手くいく接待も上手くいかなくなるかも)などと懸念した為、どうしても奥歯に物が挟まった様な言い方になった。当然城崎の意図を読めなかった美幸が、些か的外れな事を言ってくる。

「段取をつけるのは主に川北さんがしているので、私は当日同席するだけですから、大して煩わしい事はありませんが」
「いや、確かにそうだろうが……、色々難癖を付けてくる質の悪い接待先もあるし……」
 城崎はさり気なく言外に匂わせてみたものの、予想通りそれは美幸には伝わらなかった。

「それって、料理が不味いとか、部屋のグレードが駄目だとかそういう事ですか? 有りそうですよね~。大丈夫です。ちょっとやそっとの嫌味でブチ切れたりしませんから。ご安心下さい」
「ああ……、大丈夫だとは思うが」
 そこで曖昧に笑って頷いた城崎に、美幸は元気良く挨拶をした。

「それではお先に失礼します」
「お疲れ」
 そして城崎に背を向けて歩き出した美幸は、(よぉぉっし、初接待、頑張るわよ!)と意欲を漲らせつつ家路についた。
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