上 下
14 / 81
六月

番外編 暗躍する男~タイムマシンがあったら

しおりを挟む
 静まり返った企画推進部の室内に、先程から部長の谷山、直属の上司である柏木二課課長の声が響き渡っていたが、それを一応頭の中に入れつつも、上司の横に平然と佇んでいる男性のせいで、城崎は全身を硬直させていた。

「……と言うわけで、不本意ではありますが、体調を鑑みて急遽明日から産休を取得する事になりました。皆さんにご迷惑をお掛けする事になって、申し訳ありません」
(ちょっと待て。確かに課長の結婚相手が誰かは知ってたが、何でこの人が仕事向きの話の時に出張って来るんだ。まさか……)
 自分達に向かって深々と頭を下げた上司に対し、周囲から「そんな事気になさらないで下さい」とか「課長お一人だけの身体じゃありませんから」などと宥める声がかかっていた気がするが、城崎はそれを殆ど上の空で聞いていた。そして真澄の言葉でとどめを刺される。

「それで、こちらが私が産休及び育休を取得中課長職を代行して頂く、柏木清人さんです」
 真澄が若干引き攣り気味の笑顔で隣に立つ夫を紹介してから、再度部長と交互に事情を説明するのを聞きながら、城崎は心の中で盛大に毒づいた。

(どうしてこの人がしれっとして職場に現れた挙げ句、訳が分からない事態になってんだ!?)
 しかし狼狽しまくっている城崎の心境など気にとめる事無く、相手は穏やかな笑みで二課の面々を見回しながら挨拶してくる。

「本日付けで柏木産業人事部、環境調整支援課課長に任命されました柏木清人です。柏木課長の復帰まで、企画推進部第二課課長代理として務めさせて頂きますので、宜しくお願いします」
(だからそんな話、全然聞いてねぇぞ!!)
 密かに盛大に文句を言った城崎だったが、それが聞こえたかの様に大学以来の因縁のある人物が、笑顔で視線を合わせてきた。

「やあ、久し振りだね、城崎君。ここに君が居てくれて心強いよ」
(白々しい……。地獄に落ちたら舌を抜かれるぞ、あんた。……いやこの人なら、逆に閻魔大王の舌を抜きかねん)
 半ば呆れながら、しかし外見を取り繕って、城崎は礼儀正しく頭を下げた。

「……お久しぶりです、佐竹先輩。こちらこそ宜しくお願いします」
 しかしその挨拶は微妙に相手の機嫌を損ねたらしく、笑顔のままだが鋭い眼光を向けられ、それが城崎の全身に突き刺さる。

「城崎、悪いが今は《柏木》だからそのつもりで」
「……失礼しました、柏木さん」
 自分の中では「柏木先輩」と言えば社内で「浩一課長」として上司と呼び分けている人物であり、咄嗟にそれとは違う呼び掛けを口にしてみた城崎だったが、満足そうに小さく頷かれて、密かに内心で呻いた。

(相変わらず笑顔が真っ黒だな……。どうしてここまで祟られるんだか。やっぱりあの時、何が何でもこの人と関わり合いになるのを、回避するべきだった……)
 そして城崎は、自分の生涯で最大の痛恨事である目の前の人物との出会いを、無意識に思い返した。


 ※※※


「なあ、城崎。お前サークルとか入るのか?」
 入学してまだ一ヶ月経過しない頃、講義終了と共に友人の新垣と中庭に出て歩き出した城崎は、軽く首を傾げつつ答えた。

「う~ん、やっぱり運動系だとは思うが、この東成大で本格的なサークルとか有るかな? お遊び気分の中途半端な奴はごめんだし、無いなら無いで何かの研究会にでも入ろうかと思ってるんだが」
 そこで新垣が確認を入れてくる。

「城崎。この前、有段者って言って無かったか?」
「ああ、空手を十年やってるからな。一応」
「それ、あまり軽々しく口にするなよ?」
「学内で口にしたのはこの前と今と、二回だけだが。それがどうかしたのか?」
 何気なく口にした内容に、新垣が真顔で忠告めいた事を言ってきた為、城崎は不思議に思って尋ねた。すると何故か新垣が周囲を見回してから、声を低めて言い出す。

「それが、どうやらこの大学には《武道愛好会》ってサークルがあるらしいんだ。入会資格はただ一つ『各種武道の有段者である事』らしいんだが……」
「へえ? それは初耳だ。ちょっと覗いてみるかな」
「悪い事は言わん。止めとけ」
「……何で」
 思わず興味をそそられた城崎だったが、それを口にした途端新垣に腕を掴まれ、怖い顔で制止された。常には見られない友人の行動に、城崎が思わず顔を強張らせながら問い返すと、新垣が更に声を潜めて理由を述べる。

「この難関の東成大に、武道をある程度モノにしながら入った連中だぞ? 一筋縄ではいかない人間の集団らしい」
「一応俺もそうなんだが」
 思わず憮然としながら口を挟んだ城崎だったが、新垣は真顔で首を振った。

「お前の性格が良いのは分かってる。だけどそこの連中って、揃いも揃って腕が立つ上に超絶に頭が良くて狡猾で、大学の管理部連中を掌で転がして、大して所属人数や活動実績が無いのに活動費を巻き上げたりとか、部室や武道館の優先使用を黙認させたりとか、学内規則をねじ曲げたりとか、ちょっと小耳に挟んだだけでもやりたい放題の黒い噂が多すぎる」
 固い顔付きで訴えてくる新垣に、ここで城崎は我慢できずに小さく噴き出した。

「おいおい、三文小説の読み過ぎじゃ無いのか? 何だよそれは?」
「一番怖いのは『引きずり込まれたら最後、人格と顔付きがが豹変する』って噂なんだ」
「だから、学内での事に何をそんな大げさな」
「君が、城崎義行君?」
「はい、そうですが。どなたですか?」
 怯えつつ話を続ける新垣を城崎が呆れながら宥めようとした所で、唐突に背後から声がかけられた。それに城崎が振り返りつつ尋ね返したが、その時背後で新垣が小さく息を飲んだ事に城崎は気が付かなかった。
 すると声をかけてきた相手は、ニコリと好感度を上げる笑みを浮かべつつ、右手を差し出してくる。

「ああ、失礼したね。俺は経済学部二年の柏木浩一、それでこっちは同じく二年の佐竹清人だ」
「宜しく」
「いえ、こちらこそ宜しくお願いします、先輩方」
 反射的に差し出された手を握り返しながら、城崎は目の前の二人組を注意深く観察した。

(へぇ? 去年の首席入学者と柏木産業創業家の跡取り息子、ねぇ。入学してからの色々と派手な噂を聞いてたが、実物にお目にかかれるとは……)
 そこで背後から新垣が城崎のシャツを軽く引っ張りつつ、焦った声で囁く。

「城崎! 早く行かないと!」
「何だよ。一応先輩だし失礼だろう」
 小声でそんな言い合いをしていると、未だに手を握ったままの先輩が何気ない口調で尋ねてきた。

「ところで……、城崎君は空手の有段者なんだよね?」
「はい、そうですが」
「無駄にデカいな」
「は?」
 横から無遠慮に軽く見上げられつつの台詞に城崎は思わず当惑した声を出したが、発言した人物に左手を確保されて城崎の顔が僅かに引き攣る。そして城崎の左右の腕を押さえ込んだ二人組は、城崎の体越しにすこぶる真顔で言い合った。

「それだけ目立つだろう。俺達から目を逸らして貰うにはうってつけだ」
「え?」
「確かにな。じゃあ行くぞ」
「あの、ちょっと!」
「悪いね、君。城崎君は俺達と用があるから、一人で帰ってくれ」
「何を勝手に!」
 慌てて新垣を振り返ると、新垣は両手を合わせて城崎を拝む様に軽く頭を下げていた。そして踵を返して脱兎の如く逃げ出し、城崎は孤立無援の状態に陥る。
 真っ昼間の大学構内での事、当然人目は十分に有ったが、皆城崎達からは視線を逸らして側を通り過ぎていくだけだった。その中を、城崎は二人がかりでずるずるとどこかへ引きずられて行く。

「待って下さい! いきなり何ですか!?」
 二人とも優男風なのに腕を振り解けない事に苛立ちと恐怖を感じつつ城崎が問い質すと、二人は冷静に答えた。
「入会手続き」
「武道愛好会にね」
「はあぁ? 何勝手な事を言ってんですか!? 俺は入りません!」
 仰天しつつ抵抗したが、その主張はあっさりと退けられた。

「五月蝿い、抵抗しないで黙って歩け。下に誰も入らないと、俺達がいつまでも下っ端なんだよ」
「来年君が新入生を勧誘すれば、下っ端じゃ無くなるから大丈夫だよ?」
「その自分勝手な考え方は何ですか!? 何が大丈夫なんですか? 全然意味が分かりません!」
 当然城崎は盛大に吠えたが、両側から静かな含み笑いでの押し殺した声が伝わってくる。

「先輩からの心遣いをありがたく受け取れ。普通の生活じゃ体験出来ようもない、貴重な経験をさせてやる」
「一年過ごしただけで、社会構造と人間のなんたるかが開眼できる事を請け負うよ。城崎君ならきっと大丈夫」
「ガタイは良いし目つきは鋭いし、引きずり込むのにも良心が痛まないな」
「さすがに気弱そうな人間だったら、躊躇したけどね。今年の新入生で、該当者はあと何人?」
「二人かな? 明日と明後日、続けて襲撃かけるから予定空けとけよ?」
「了解」
「ちょっと待って下さい!!」
 全く聞く耳を持たない二人の拘束を解け無かった城崎は、そのまま一筋縄ではいかない人間の巣窟に引きずり込まれ、大学在学中に人間関係の暗黒面をこれでもかという程見せつけられ、こき使われる羽目になったのだった。


「やあ、城崎。卒業以来だな」
「……どうも」
 大学を卒業し、殆どその存在を忘れかけていた頃の呼び出しに、城崎は恐れ慄きながらも無視したりしたらそれ相応の報復措置が取られる事は分かっていた為、渋々指定された料亭に出向いた。そして記憶通りの含みのある笑顔を認めて、密かにうなだれる。そんな城崎の心情を知ってか知らずか、目の前の相手は鷹揚に声をかけてきた。

「まあ、座れ。電話でも言った様にここは俺の奢りだから、好きに頼んで良いぞ?」
「はぁ……」
 そうして運ばれてきた料理と酒を味わいながら、三十分程相手の出方を窺っていた城崎だったが、これ以上の緊張感に耐えきれず、静かに箸を置いてから問い質した。

「佐竹先輩。世間話はそれ位にして、そろそろ本題に入って頂けませんか? 俺もそうそう暇では無いので」
 そう言うと相手は軽く目を見張ってから、軽く苦笑した。どうやら城崎が口答えらしき物言いがおかしかったらしいが、城崎は(おかしかったら笑え)位には開き直っている。そして次に耳に入ってきた内容に、城崎は当惑する事になった。

「そうだな……。お前が柏木産業に入ったのは知ってたし、営業部配属なのも浩一経由で耳に入れていたから、何か事が起こったら働いて貰おうかと思っていた」
「営業部と言いましても」
「知ってる。今度係長に昇進の上、企画推進部第二課配属になるんだよな?」
「決定したのは一昨日で、社内告知は明日なんですが。どうやってそれを耳に入れたんですか?」
「……それはどうでも良い」
 驚いて問い掛けた城崎だったが、相手は不自然に視線を逸らしながら杯の中身を煽った。それを見た城崎の眉間に皺が寄る。

(この人、また裏で何かやっているのか? 学生時代のあれこれに類する事を、柏木産業内でやられたらたまらんな……。流石に浩一係長が止めるだろうが)などと考え込んでいると、軽く杯を置く音と共に声がかけられた。

「それでお前に頼みがあるんだが」
「……何でしょうか?」
 経験上『頼み』=『命令』と分かっている城崎が身構えながら相手の出方を待つと、清人は予想外の事を口にした。

「今度真澄さんが課長に就任する企画推進部二課で、手掛ける、もしくは手掛けようとしている仕事の中で、手こずりそうな事例の情報の横流しだ」
「はぁ?」
(そんな事をして、この人に何のメリットが……。いや、そんな事より)
 城崎は告げられた内容の中で、引っ掛かった事を口にしてみた。

「今、柏木係長の事を真澄さんって言いましたか?」
(浩一係長と佐竹先輩は中学時代から家族ぐるみの付き合いをしてるって聞いてたから、柏木課長とも知り合いなのは当然だし、構内で一緒に居る所も見た事はあるが、「柏木さん」とか「柏木先輩」とか呼んでなかったか?)
 城崎にしてみれば素朴な疑問だったのだが、何故か座卓を挟んだ向こう側から、冷気が漂ってくる。

「言ったな。それがどうかしたのか? 城崎」
「別に、どうという事ではありませんが……」
(げっ! マズい。これ以上怒らせたら、確実に流血沙汰……)
 何が気に障ったのか、相手の機嫌を損ねたらしいのを城崎は瞬時に察した為、一気に血の気が引いた。すると重々しい口調で話が続けられる。

「言っておくが、この事は浩一にも真澄さんにも絶対に秘密だ。もしバラしたら……」
「なっ!?」
 そう言いながら相手がジャケットの内ポケットから取り出し、座卓の上をこちらに押しやる様に出してきた一枚の写真を見て、目を限界近くまで見開いた城崎は反射的にそれを引ったくった。そして無言のまま急いで細切れに破り捨ててから、盛大に非難の声を上げる。

「あんた、まだこんなのを持ってたんですか!?」
 プルプルと握り拳を震わせながら、武道愛好会時代に先輩達に嵌められた挙げ句、人生最大の汚点と言うべき醜態を晒した悪夢が蘇り、城崎は怒りで顔を赤くしながら迫ったが、相手はどこ吹く風で言ってのけた。

「悪いが、バラした時はそれを柏木産業内にばら撒かせて貰う。心穏やかに仕事したいだろ? なあ? 城崎。勿論それだけじゃなくて、データはしっかり家で保管してあるからな」
「……っ! あんたって人はぁぁ!?」
「切り札ってのは、有効に使うものだ。今使わずに、いつ使うってんだ」
 思わず膝立ちになって声を張り上げた城崎だったが、相手は全く動じなかった。それを見て、最早何を言っても無駄だと城崎は悟る。

(そうだよな……。この人が性格極悪な上、頭が切れ過ぎる人間だって分かってた筈なのに。まあ、社内の極秘情報を流せって言われてるわけでは無いから、良いか。長いものには巻かれておこう。重役連中より、この人に睨まれた方が厄介だ)
 そうして短時間で色々諦めた城崎に、確認の声がかけられる。

「城崎、返事は?」
「因みに期限はいつまででしょうか?」
「勿論、お前が彼女の下を離れるまでだ」
「……了解しました」

 ※※※

 そんな過去を思い返した城崎は、密かに溜め息を吐いた。

(確かに情報は流したが、それで結果的に二課が得た利益は膨大な物だし、公にできないこの人のなりふり構わない裏工作に随分助けられたのは、俺が一番理解しているが……。もし過去に戻れるなら入学直後に戻って、あの頃の自分にこの人と絶対関わるなととことん説教したい)
 そんな現実逃避気味な事を考えていた城崎だったが、その場の微妙な空気を切り裂いた叫びに、瞬時に我に返った。

「ちょっとふざけんじゃ無いわよ!? 何で課長の夫で社長の婿ってだけで、課長代理として得体の知れない人間が二課に乗り込んで来るわけ!?」
「ちょっと藤宮さん、落ち着いて!」
 城崎は慌てて少し離れた所にいた美幸に駆け寄り制止したが、自称課長代理は皮肉っぽく尋ね返してきた。

「理由は先程柏木課長と谷山部長から話があったと思うが、聞いていなかったのかな?」
「何ですってぇぇ!!」
 明らかに揶揄する口調に美幸が激昂しつつ一歩足を踏み出した為、城崎は本気で狼狽した。
(拙い! この人に下手に逆らって機嫌を損ねたら、藤宮さんがどんな報復行為を受けるか想像できない!)
 そこで殆ど反射的に、城崎は美幸に向かって声を張り上げた。

「藤宮さん、これは管理部及び人事部での決定事項だ! 既に部長も課長も承認している以上、これに文句を付けるのはお二人の意志に異を唱える事にもなるぞ! 加えてこれから二課を支えて頂く柏木課長代理に失礼だろう。口を慎め!!」
「……っ!」
 盛大に怒鳴りつけられた美幸は、納得できないと言わんばかりに城崎を睨み付けてから、いきなり無言のまま駆け出して部屋を出て行った。他の者達が呆気に取られて見送る中、城崎が目の前に並んでいる三人に目を向けると、谷山は疲れた様に溜め息を吐き出し、真澄は無言で額を押さえ、清人は楽しそうに含み笑いを見せる。

(職場を回す他に……、彼女への細かい嫌がらせも防止しないといけなくなりそうだな……)
 降って湧いた災難に、城崎は気が重くなるのを自覚しつつ、目の前の人物に対抗するべく気合いを入れ直したのだった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

王妃となったアンゼリカ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:181,015pt お気に入り:7,852

迷宮攻略企業シュメール

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:242pt お気に入り:1

幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21,337pt お気に入り:3,528

【本編完結】この度、記憶喪失の公爵様に嫁ぐことになりまして

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:156pt お気に入り:2,448

【完結】私がいなくなれば、あなたにも わかるでしょう

nao
恋愛 / 完結 24h.ポイント:15,840pt お気に入り:936

乙女ゲーム関連 短編集

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,831pt お気に入り:155

エッセイ・ノンフィクション / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

処理中です...