半世紀の契約

篠原 皐月

文字の大きさ
上 下
48 / 113

第48話 怒り 

しおりを挟む
「和典叔父さん、大変失礼しました!! 本当に申し訳ありません!!」
「いや、本当の事だから、気にしないでくれ。全く、中学生や高校生にも容易に推察できる事を……。あいつはどこまで考え無しで迂闊なんだ。ほとほと愛想が尽きたぞ」
 美野と美幸のやり取りを聞いている間に堪えていた怒りが、ここに来て一気に湧き上がってきたらしく、和典が凄みのある声で呻いた。そんな彼に、昌典が冷静に確認を入れる。

「和典、どうして分かった? その様子では、俊典君が正直に打ち明けたとは思えないが」
 その問いかけに和典が持参した鞄を開け、中から大判の茶封筒とUSBメモリーを取り出して、兄に向かって差し出す。

「今日の昼過ぎに、事務所にこのUSBメモリーが送りつけられた。中身をプリントアウトした物がこれだ」
「見せて貰うぞ」
 一応断りを入れて封筒に手を伸ばし、昌典が中身に目を通し始めると、和典がそれについて補足説明した。

「急いで出入国管理記録も調べた。それから午後から夕方にかけて、件の女性の住居や出入りしている店舗なども人をやって調べてみたが、綺麗に痕跡が消えていた後だった」
「……素早い事だな。事務所内に伝手でも作ってあったのか?」
 軽く顔をしかめて確認を入れた昌典に、和典が苦々しい顔付きになって応じる。

「俊典の紹介で、昨年の選挙時にボランティアスタッフとして入っていた。それ以後事務所の女性スタッフと、友人付き合いをしていたらしい。そのスタッフは勿論この騒動の真相は知らないが、ツイッターに事務所内が何だか慌ただしいと書き込んでいる。それからこちらの動きを推察した可能性がある」
 そこまで聞いた昌典は、深い溜め息を吐いた。

「何をどこまで漏らしたのか、本格的に俊典君を締め上げる必要がありそうだな。勿論進んで漏らした自覚は無いだろうが、仕事帰りに書類持参で女に会いに行って一服盛られたり、知らないうちに合鍵を作られている可能性だってある。パスワード等も含めて、セキュリティーを全面的に見直せ」
「もう取りかかっている。今夜は徹夜だ」
 真剣な表情での二人の会話に割り込むのは気が引けたものの、重大な事を思い出した美子は、控え目に声をかけてみた。

「あの……」
「どうした、美子?」
「俊典君とこの前会った時に、その彼女について話をする前に、叔父さんが二十年来懇意にしていると言う女性の話を聞かされたんですが、心当たりはありますか?」
 それを聞いた途端昌典は眉根を寄せて弟を見やり、和典は表情を消して静かに問い返した。

「それで俊典は、他に何か言わなかったか?」
「その……、それについてどう思うかと聞かれましたが、幾ら身内と言えどもそんなプライベートな事に勝手にコメントできませんし、叔母さんに告げ口して夫婦仲に溝を入れるわけにも……。色々事情は有るだろうし、私からは何も言うつもりは無いと言いましたが」
 そこまで聞いて、昌典は疲れた様に和典に告げた。

「その女性の事についても、漏れている可能性があるな」
「彼女とは、この際すっぱり縁を切る。そこら辺はお互いに、割り切った関係だったから。しかし……、俺が言えた義理では無いが、親が愛人を囲ってるから自分だって構わないとか思ったのか、あの馬鹿は!! 独り立ちもしていないひよっこの癖に、思い上がるのもいい加減にしろ!!」
 抑えていた怒りがここで暴発したらしく、和典は両手の拳で勢い良く座卓を叩きつつ、この場にはいない息子に向かって怒鳴りつけた。常には見られないその剣幕に、美子は思わずビクリと身体を反応させたが、昌典は全く動じずに淡々と尋ねる。

「和典。この始末はどうつけるつもりだ?」
「あれは今日付けで解雇だ。来週にはベトナムに行かせる」
「叔父さん!?」
 躊躇う事無く、吐き捨てる様に告げられたら内容を聞いて、美子は思わず声を荒げ、昌典も目を見張った。

「周囲には、既定路線を進む自分に疑問を感じて、自分探しの為に広い世界に出て行ったと言う。一応現地法人の企業に、職は準備してやった。野垂れ死にたく無かったら、自力で何とかすれば良い」
「それはちょっと、幾らなんでも。照江叔母さんは反対しなかったんですか?」
 さすがに俊典が気の毒になり、取りなすように尋ねた美子だったが、和典は更に苦渋に満ちた表情になった。

「照江はこれが明らかになった途端、ショックで寝込んだ。『美子ちゃんにもお義兄さんにも顔向けできない』と、泣きじゃくっている状態なんだ」
 それを聞いて黙り込んだ美子の代わりに、昌典が重々しく尋ねる。
「親父の耳には?」
 それに和典も声を潜めて応じた。

「入れた瞬間に憤死するから、家中に箝口令を敷いた」
「適切な判断だな。美子。少し時間を置いて、親父と照江さんの様子を見に行ってくれ」
「分かったわ」
 そこで当面の方針が定まったところで、昌典が顔付きを改めて和典に問いかけた。

「話を変えるが、事務所にそれを送りつけた奴は誰だ? それに目的は? やはり恐喝か?」
 続けざまに質問を繰り出した昌典に、和典が微妙な顔つきになって言葉を返す。

「記名は無かったし全く不明だが、兄貴に心当たりはあると思う。俺が今日のうちにわざわざここに出向いたのも、その為だ」
「どうしてそんな事を言う?」
「USBメモリーが入っていた封筒に、これが同封されていた」
「…………」
 そう言って和典が徐に開封済みの白い封筒を差し出した為、表に『藤宮美子様』とだけ書いてあるそれを見た昌典と美子は、無言で顔を見合わせた。その二人に向かって、和典が再度頭を下げる。

「すまない、美子ちゃん。私信だとは分かっているが、状況が状況だけに先に開封させて貰った。中身も確認してある」
「いえ、当然の処置です。不審物が入っている可能性だってありますし。お気遣いなく」
 淡々と応じた美子は、受け取った封筒の中に入っていた便箋を取り出し、書かれている内容を確認した。それを横から覗き込みつつ、昌典が話しかけてくる。

「美子。“あれ”だと思うか?」
「こんな事をするのは、あの傍迷惑な男以外に考えられないわ」
 無表情のまま、日時と場所のみが簡潔に記された便箋をぐしゃりと握り潰した美子を見てから、昌典は弟にすまなそうに声をかけた。

「和典、お前に一々言っていなかったが、実は少し前から美子にちょっかいを出してる男がいる。そいつの事は、深美が結構気に入っていたんだが、それを送りつけたのは恐らくそいつだ」
「そんな相手が居たのか? 言ってくれれば、照江には釘を刺しておいたのに……」
 痛恨の表情になった和典に向かって、昌典は説明を続けた。

「因みにそいつは、例の白鳥議員の三男だ。今は江原と名乗って、うちの課長職を務めている」
 それを聞いた和典は、本気で驚いた顔つきになった。
「確か美子ちゃんに頼まれて、何年か前に調べたあの男の事か? 自分の家の内紛に美子ちゃんを巻き込んだ上、最近また手を出してきてたのか? しかも旭日食品に入社していたなんて、聞いていないぞ?」
「手を出すまでには、いっていない。なあ、美子?」
「…………」
 思わせぶりに声をかけてきた昌典を、美子は綺麗に無視した。すると黙り込んでいる彼女に、和典が恐縮気味に声をかけてくる。

「美子ちゃん。その……、指定の日時には」
「勿論、出向きます」
「それなら申し訳ないが」
「叔父さんの立場上、人を配置せざるを得ない事は分かっています。気にしないで下さい」
「……本当にすまん。宜しく頼む」
 和典の言わんとする事は、美子には十分に分かっていた為、不必要にごねたり文句を言わずに了承した。そんな彼女に和典が心底申し訳無さそうに頭を下げる姿を見て、美子の中でふつふつと怒りが込み上げてくる。

(あのろくでなし野郎……。無視し続けてたら、嫌でもこちらが無視できない様にしたわけね? どこまで大事にすれば気が済むのよ。迷惑極まりないわ!!)
 そして取り敢えず話を済ませた和典と清原を見送ってから、美子は一応秀明に連絡を取ろうと試みた。
 しかしこれまでの意趣返しのつもりか、自分からの電話もメールも受け付けない設定になっている事が分かり、悔しそうに歯軋りする。

(どうあっても直接顔を合わせないと、まともに話をする気は皆無みたいね。良いわよ、そっちがその気なら、出向いてやろうじゃない!!)
 そんな風に日々戦闘意欲を漲らせながら、美子は秀明から指定された日までを過ごした。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

あの日の恋

大衆娯楽 / 連載中 24h.ポイント:85pt お気に入り:24

●●男優の今日のお仕事

BL / 連載中 24h.ポイント:340pt お気に入り:110

彼女の兄との不適切な関係

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:4

腐男子で副会長の俺が会長に恋をした

BL / 完結 24h.ポイント:4,090pt お気に入り:330

[完結]先祖返りの幼妻、さらに赤子に帰ります!

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:22

道連れ転生〜冥界に転生って本当ですか?〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:384pt お気に入り:9

王様のナミダ

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:112

異世界迷宮のスナイパー《転生弓士》アルファ版

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:113pt お気に入り:584

処理中です...