ねむれない蛇

佐々

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短編

#05

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 翌日、私は寝坊した。
 昨日は乃木くんのことで頭がいっぱいでろくに眠れなかった。
 帰宅してから常に落ち着かず、時折こらえきれずににやけたり赤面したりする私を弟は不気味がったし、母親は心配した。
 ご飯も喉を通らないくらい、私は昨日、ほんの少し話をしただけのクラスメイトの男の子のことで胸がいっぱいになっていた。
 帰宅後、乃木くんに言われた通りスマホでメッセージを送ったが、彼からの返事はなかった。
 それもそのはず、何を送ればいいか悩みすぎて、ようやく送信ボタンを押したのは深夜だった。家に帰ったら連絡してと言われていたのに、一通のメッセージを送るのに何時間もかかってしまった。今度こそ呆れられたに違いない。そう思うと怖くて、私はスマホの電源を切った。
 そして寝坊した。
 最低限の身嗜みを整えて家を出る。電車に乗っている時間以外、全て走ればどうにか間に合いそうだった。
 学校の最寄駅に着き、再び走り出す。こういう時ほど駅から学校が近くてよかったと思うことはない。
 正門を抜け、玄関に向かう。私の通う学校は土足制のため下駄箱がない。理由は知らないが、少しの時間のロスも許されない今の私にとっては好都合だ。このまま教室まで走ればホームルームに遅れずに済む。そう思い階段を駆け上がろうとした私は足を止めた。


 こういう経験があるだろうか。
 少し離れた場所に知り合いの姿を見つけ、自分しか気づいていない場合、声をかけようかどうしようか迷ってすごく気まずい思いをすることが。今の私はまさにその状態だった。
 前方に、階段を上っていく二人の男子生徒の姿が見える。一人は間違いなく乃木くんだ。顔を見なくてもわかる。それくらい彼は目立つ生徒だった。
 ぺたんこの鞄を肩にかけて歩いている乃木くんの隣にもう一人、明るい茶髪の生徒が居た。彼はたぶん、同じクラスの白石くんだ。
 彼も乃木くん同様、女生徒から人気がある。面白くて、女の子にもとても優しい。でも私は彼のことが少し苦手だった。普段あまり学校に来ないことや、彼の素行に関する噂は大して気にならなかったけれど、彼の笑顔は作り物のようで、その美しさが怖かった。
 はやる胸を押さえながら階段を上る。教室まではここを通るのが一番速い。しかし、彼らに追いつかないようゆっくり歩いていては確実に間に合わない。かといって私に彼らの横を走り抜ける勇気はない。どうしよう。
「白石、お前彼女いるっけ」
 乃木くんの声が聞こえた。
「彼女? なんで?」
「最近ちょっと悩みがあって……」
 図らずも乃木くんたちの会話を聞いてしまうことになり、私はますます焦った。聞いてしまって大丈夫だろうか……そう思いつつ、私は乃木くんの悩みとやらに興味を引かれていた。
「今、姉さんと家に二人なんだけど」
 私は緊張しながら二人の後を追った。断じて乃木くんの話が聞きたかったからではない。早く行かないと遅刻するからだ。
「お前姉ちゃんいたっけ」
 なおざりに返答する白石くんの視線はスマホに落とされたままだ。
「うん。血は繋がってないけど」
「姉ちゃんかわいい?」
「かわいい。いや、美人かな」
 白石くんが勢いよくスマホから視線を転じさせる。
「マジで? 何歳?」
「なんだよ、さっきまでつまんなさそうにしてたのに、俺の話聞く気なんてなかっただろ」
 乃木くんはとても嫌そうな顔をしている。
「うそうそ、超興味ある。お前の美人な姉ちゃんの話。誰に似てる? 彼氏は?」
「ぜってー教えねー」
「は? なんだよ、どうせ大した悩みでもないだろ。美人の姉ちゃんと家で二人っきりとか、自慢? 悩み相談にかこつけて自慢したかったの?」
「最悪。お前嫌い」
 乃木くんが軽く白石くんの肩を押し返す。
「いやいやお前、そんな最高な状況で悩みなんてある訳ねーだろ。何を悩む必要があるんだよ」
「うるせーな。お前にはわかんないだろうけど、あの人、俺のこと男だと思ってないんだよ! 洗濯するっつったら平気でストッキング脱ごうとするし!」
「え、お前の前で?」
「そうだよ! しかもパンストじゃなくて左右で分かれてるやつ履いてんだぞ!」
「は? どういうこと?」
「知らない? 両方繋がってるタイツみたいなのじゃなくて、片方ずつなの。映画とかでよく見るやつ」
「何それエッロ……なんでそんなちんこ入れやすそうなもん履いてんの?」
「お前黙れよマジで」
 この辺りには職員室や図書室しかない。始業前で登校を終えた生徒は教室にいるため静まり返った廊下で、二人の会話は筒抜けだ。
 私はじゃれあう二人を遠目に眺め、彼らに追いつかないようゆっくり教室に向かいながらも心が重たくなるのを感じていた。
 乃木くんには血の繋がらないお姉さんがいる。彼女は美人で、そして乃木くんは彼女のことが好きらしい。彼の口からは一言もそんな言葉は出てこなかったが、今の話を聞けば、誰にだって想像はつく。
 そのとき職員室の扉が開き、一人の男性教諭が出てきた。
「おい! お前ら何だらだら歩いてんだ! ホームルーム始まるぞ!」
 担任の秋元先生だった。彼は小走りに乃木くんたちに近づいた。気づいた白石くんが片手を上げて挨拶する。
「あっきーじゃん、おはよー」
「あっきーじゃなくて秋元先生! そしておはようございますだろ!」
 まずい。私は冷や汗が流れるのを感じ、思わず足を止めていた。
「お前らちょっとは急げよ! ただでさえホームルーム居ないことの方が多いんだから!」
「先生だってギリギリじゃん」
 乃木くんが笑う。無邪気で爽やかな笑顔から目が離せなくなる。
「俺は急いでるだろ! あ、木村! お前も急げよ!」
 振り返った先生が私に気づいた。声をかけられ、乃木くんたちもこちらを見る。私は心臓が止まるかと思った。
「木村さん? おはよー」
 乃木くんが笑顔で手を振ってくれる。私はそれだけで顔が熱くなるのを感じた。
「お、おはよう……」
「昨日はごめんね。連絡くれたのに、スマホの電池切れちゃって気づかなかった。アラーム鳴らなくて、また寝坊しちゃったよ」
「え、なにお前らいつの間にそんな仲良くなったの?」
 不思議そうな顔をする白石くんに、私は慌てて否定した。
「そっ、そんな、仲良いわけじゃ……」
「それはちょっと傷つくなぁ。まぁいっか、とりあえず教室まで走ろ!」
「あっ、てめぇ!」
 駆け出した乃木くんを白石くんが追いかける。
「こら! 廊下を走るなー!」
 そう言う先生も走って二人の後を追っていた。


 結局、ホームルームに遅刻したのは私だけだった。正確には出欠をとる先生に名前を呼ばれた瞬間、返事をしながら教室に駆け込んだ。
「おー木村、もう少し余裕をもって家を出ろよ」
「先生も走ってきたじゃーん」
 白石くんの発言で、クラスが笑いに包まれる。私は火照った頬を押さえながら椅子に腰を下ろした。
 少し離れた席の乃木くんが、暑そうにネクタイを緩めている。
 なぜか目が合った。微笑まれて、私の心臓は再び痛いくらいに打ちつけた。
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