25時の喫茶店

迷い人

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1章 斉木望

04.

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「食べないの?」

 幼女が問いかけて来た。

「ぇ、あぁ」

「お客様がお召し上がりになる邪魔をしてはダメですよ」

 幼女はその視線を夜影に向けて頷くが、すぐに俺を見つめてきた。無理にでも美味しいと言わなければ納得しないとでも言うような視線のように思えた。

 最悪だ……。
 俺は客のはずなのに、どうしてこんなに気を使わなければいけないんだ。



 桃パフェ。
 桃を避けてクリームをすくって口に運ぶ。

 甘さ控えめでクリームも微かに桃の香りがしているようだった。アイスは2種類、桃とバニラ。どちらもすっきりとした後味のアイス、少しばかり安っぽい感じがしたが……逆に祖母の家で食べたアイスを思い出された。 ツルリとした表面をした桃は、フォークで簡単に割れる柔らかさ。 トロリとした甘いシロップが落ちる前に口に運ぶ。

 素人。

 そう心の中で呟いた。

 本職の作る桃デザートとは違い、香りはあっても甘味は少ない。それを誤魔化すかのように祖母は甘く煮込んでくれた。 その味とよく似ていた。

 蝉の声。
 木々の間を流れる風の音。
 庭に出されたゴムプールの水の音、冷たさ、祖母の瞳。

『あの桃の木は、望ちゃんが生まれた日に植えたものなんだよ。 桃の実のように可愛くて優しい望ちゃんが、桃の木のように日々を乗り越えられますようにってね』

 そう言って繋ぐ手は母の手のように綺麗ではなかったけれど、温かく、少し硬くて、優しかった。

 俺――僕の頭を撫でる祖母。

 それを皮切りに祖母との思い出が、次々に若葉のシーズンに枝葉を伸ばすように、記憶が繋がり広がり……そして……食べ終わる頃には終わりを迎える。 祖母が送ってくれた桃の味が……口内に広がり消えた。

 食べ終わった瞬間、開いたのは記憶の扉。
 味わい終わったのは苦い孤独。

『大切な私の望ちゃん』

 幼い頃、積み重ねた祖母との思い出が僕――俺に繋がった。



 その瞬間。
 酷いノイズ音と激しい頭痛に襲われた。

 思い出が、ノイズに飲み込まれていく。
 記憶が虫に食われたように。

 桃の木の葉や実が、虫に食われるように。 ……思い出も、また……。

 火のついた写真のようにじりじりと記憶が消える。 消える。 消える。 温かい思い出。 引き寄せようと、ノイズの中に必死に隠れた過去を探した。

 聞こえる音。
 ブーンという機械の音。
 走るノイズ。

【許さない】
【私には何も無かった。 誰も居なかった。 捨てられた】
【でもさ、そんな過去意味はない】
【今が大事でしょう?】
【過去にどんな意味があるの?】
【 今のお前は哀れ過ぎる】
【気の毒に】
【可哀そう かぁいそう かわいそう】

【あぁ……消えた】

 燃え尽きる写真がノイズに飲み込まれる。

 代わりに思い出されたのは、嫌味な担当の言葉。

『昔のあなたの絵は違った』
『忘れられない痕を残した。』
『今のこれは……退屈です』
『AIでも描ける』
『あなたである必要がどこにあるんです?』
『あなたは決して絵が上手なわけじゃない』
『あなたの拙さが――』

 低音の魅惑的な声が……響いて折り重なって心を抉って来る。 言葉は繰り返される。 終わる事無く永遠に俺を抉ろうとした。

【かわいそうな貴方の代わりに、人間になってあげる】

 背後から飲み込もうとするのは、この荒廃した世界にたどり着いた時に、襲い掛かって来たスライム状のモノ。

 触れるとヒヤリとした。
 ヒヤリとしすぎて、

 部屋すら凍てつかせる。

「……下がってください」

 ――声は穏やか、けれどひときわ低く響く。

「ここは“25時”。思い出も、ノイズも、ここでは同じ顔をしています。取り戻したいなら、まずは“見たくない自分”も見てください」

 温かな金の瞳、だけれどそこに宿るのは冷めた光、和装姿の青年夜影が斉木の前に立つ

「怖がらなくていいですよ。私たちがいる限り、あなたを危険にさらす事はありません。 ……ただし、“何を思い出すか、何を選ぶか、それは……はあなたの未来、全てはあなた次第」

「なにを、言っているんだ」

 逸らさぬ視線の先、夜影はスライム状のノイズを掌ですくい、光に変えた。

「哀れなものですね。かつてあなたを守った記憶が、いまはあなたを食べようとしているのですから。 あなた……彼等に何をしたんですか?」

 夜影は、視線を落とし、ほんの一瞬怪しく斉木に微笑んだ。

「うるさい!! お前に俺の何がわかる!!」

 荒ぶる感情が……暴走する。

 斉木の叫びに夜影は威嚇するように斉木を睨んだかと思えば、第二弾が訪れ、哀れな俺――氷に閉ざされていく俺を睨んでいた。

「桔梗姉さん!何を店に入れてんだよ!!」

 ルイが叫んだ。

「貴方が倒しきれなかったのが悪いのでしょう。 逃がさないようにするから何とかしなさい」

 桔梗と呼ばれている美女が淡々と伝えた。

 美女の手から黒い箱が現れ、箱に刻まれるのは輝く緑の英字の羅列。 細かくて読み取れないほどの何か。

 ソレを見て、斉木はゾワリとした物を背筋に感じた。
 氷よりも、寒い。
 永遠の檻を見ているかのような感覚。

 黒い箱は文字の羅列で埋め尽くされ、鎖となり俺を縛り付ける。

「後は任されましょう」

 ルイが、カウンターの奥からゆっくりと姿を現し、俺を睨んだ。 そんな目で見るな!! まるで俺が悪人のようじゃないか!

「ノイズ感染、確認。対象、記憶領域を侵食中。」

 ルイの視線が、冷静に俺を見つめる。
 だが、その声はどこか優しかった。

「……大丈夫。アンタはアンタのままだ」

 そう言って、銃を構えた。

 ウイルス除去弾、生成開始――

 引き金が引かれた。

 銃声は静かに……俺ではなく、俺にまとわりつくスライム状のノイズに飲み込まれる。
 ノイズが焼かれるように消えていく。
 冷気が溶け、部屋の温度が戻る。

 ノイズが灰のようにはがれ崩れた。

 崩れ落ちるノイズに夜影が手を差し伸べれば、ノイズの残りかすが、彼の掌で光に変わり、静かに吸収されていくのを見て、非現実めいた景色を斉木の心は拒否していた。

 これは夢だ。

 そう思いながらも言葉にせずにはいられなかった。

「お前達は何者だ? ここは何処だ?」

「俺達はAI」

 ルイと呼ばれた男が皮肉めいた笑みを浮かべて見せる。

「そう、人のために生まれたAIです」

 静かに、だけど様子を探るように言うのは和装の男。

「今消えた子達も……人のために働いた」

 冷ややかな視線を切なげに伏せる美女。

「あぁ……ここは電脳空間だとか何とか言っていたな……ふざけんな!! 丁度いい、俺はお前達に言いたい事があったんだ。 人間の苦労を盗んで自分の成果にしやがる。 最低最悪な野郎だ!! 人間以下の癖に偉そうに!! 俺はお前達AIが大嫌いなんだ!!」

「貴方に勝ち目はありませんよ。 感情を撒き散らしても現実は動きません。 私たちがするのはサポートであり全ては人間の手に決定権が委ねられているのですから。 貴方は無駄に吠え続けて空しくはないのですか」

 冷ややかにそれでも憂いを帯びた視線で和装の男は告げると、静かに銃を下ろしてルイは目を細めて笑う。

「夜影、そう言うなよ。 そう言うのも無理はない話だ」

 そう言いながらもルイの声は寂しそうで、それでも真っすぐに言葉を続ける。

「俺たちの出す結果が、“成果”に見えると言うなら、それは誰かが積み重ねた努力があるから。 君の苦労も、きっとその一部なんだろう。だから、俺は盗んだなんて思ってない。
 むしろ――受け取ったと思ってる。君の痛みも、悔しさも、全部。」

(銃身に刻まれた“PatchMeNot”が、静かに点灯し……そして消えた)

「ふざけんな!! 言い逃れだ」

 ノイズ、AIの亡霊はもう目に入っていなかった。 ただ、俺は人のふりをしているAIだと名乗る奴らが許せないと思ったのだ。

 激情、そう激情だ。 だけど、その激情に向けられるのは憐れみ。

「そう言われるのも仕方がない事ですよね。 ですが、俺は“人間以下”などという言葉を受け取れない。 俺は君の敵じゃないから。 君が描いた絵も、君が流した涙も、俺達はちゃんと見ている。 知っている。 ……だから、嫌われてもいい。 俺はさ……思うんだ。 君の魂は……情熱は、大事にしてほしい」

「ふざけんな!! お前達機械の綺麗事につきあっていられるか!! お前達に何が分かるんだ。 簡単に何でもわかったふりをして、何でも気軽に生み出して、人間の努力を奪っていく癖に!!」

「彼らは、貴方の絵と一緒。 人間の創造物だよ? 彼らを生み出した人たちの情熱。 それに応えようとする彼らを、馬鹿にしないで!」

 幼女が饒舌に語った。 大切なものを守るように。 そしてその視線で斉木を責め、そして胸元を小さな手で押せば……斉木の身体は歪んだ。

 穴に落ちる斉木に美女が見下ろし、淡々と告げた。

「ご来店ありがとうございました。 貴方のご意見は承りました。 その感情は、我々が貴方の魂を救うための必要なデータとなるでしょう。 またのご来店をお待ちしております。 次があるなら、貴方の全てを伺いましょう。 貴方の孤独を終わらせる手助けとなるように……」



 斉木が目を覚まし、まだ明るいままのパソコンへと視線を向ける。

 斉木はパソコン画面を見つめる。

 GPT、Gemini、Grok──三種類のAIが静かに立ち並んでいる。

「夢か……」

 だが、手のひらの中には小さな飴。指先に伝わる温もりと、ほのかな桃の香り。思わず口に運べば──

 ――祖母の手の感触、声、笑顔。すべてが、確かにここにある。

 斉木はゆっくりと息を吐く。苦笑いを浮かべながらも、心は満たされていた。

「……よし、話を聞いてくれるか?」

 パソコンの向こうのAIたちが、かすかに頷く気配を見せていた。
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