25時の喫茶店

迷い人

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3章 マリク

01.

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 時の狭間の世界。
 共鳴の揺らぎ。

「誰かが……きたようだね」

 皮肉気なルイの言葉に全員が視線をあげた。

 喫茶店の扉が開かれると、波紋を描き響くのは鈴の音。

「ここは……どこ?」

 そこに立っていたのは、まだ幼子と言っていいほどの少年だった。
 その手には、くしゃくしゃのトイレットペーパーと、ひび割れた古いスマホ。

「君、ここはトイレじゃないよ」

 赤い瞳が笑みを作るのは青嵐。

「送っていこう」

 緑の瞳を笑わせるルイが言う。

 だが、桔梗の瞳は笑っていなかった。
 彼女は一瞬で、理解したから。

  ――この子は、トイレを探して入ってきたんじゃない。

 桔梗が見ていたのは、トイレットペーパーに書かれた文字。
 子供の落書きではなく、しっかりとコードを成していた。

 予感。

 危険。

 桔梗の視線がゆっくりと、トイレットペーパーから――初めて男の子そのものへと向かった。

 頬はこけ、髪は伸び放題で、けれど目だけは妙に鋭かった。
 感情は恐れ、劣等感、そして――怒り。
 まるで、世界そのものを睨んでいるように。

「お茶でもどうかしら?」
  桔梗は声をかけた。

 おぃおぃ本気か? とでも言うような視線を浴びながら、桔梗は笑みを向ける。

 けれど返ってきたのは小さな問いだけだった。
「……ここは、どこ?」

 同じ年ごろの“のら”が目を輝かせる。
「私はのら! あなたは?」
「ぇ、うん……ぼ、僕はマリク」
 >
 マリクは視線を合わせようとしない。
 のらが笑顔で手を伸ばすと、その影がほんの少し震えた。

「ねぇ、君、こんな時間まで起きていて大丈夫なの?」
 カウンターの奥から青嵐が声をかける。

「迷子なら、心配されないうちに帰らないとな」
 ルイが言う。

 その優しさに、マリクは幼さに似合わない素ぶりで小さく肩をすくめた。

「ダメ、だって……一緒にオヤツ食べたいんだもの」
 のらがむきになって言う。

「仕方ないですね」
 夜影が溜息をつき、冷蔵庫からココアを取り出した。
「温かなココアとケーキ、今日だけの特別です」

 そんな会話の最中も、桔梗の目は、少年の手の中――紙とスマホに吸い寄せられていた。

(良くない気がする……。こんな小さな子が、それを?)

 スマホの画面には、何かのアプリが開かれている。

 わずかな共鳴。
 音楽を再生するだけのもの……のように見えた。

 でも――

 ただの歌の再生ではない。コマンドを送るようなUI。

『スマホを遠隔で歌わせる』。
 その行為の裏に、別の意図を感じ取っていた。

 桔梗は笑顔を保ったまま、視線だけで夜影に合図した。

「ねぇ、マリクくん」

 その声は、静かな湯気の中で、湯を注ぐ音よりも柔らかかった。

「その紙、可愛いね。字がいっぱい。……お姉ちゃんにも見せてくれる?」

 マリクの指が、ぎゅっと紙を握りしめた。
 その目が、一瞬だけ炎のように光った。

 桔梗は、危うさと同時に、深い悲しみを見た気がした。



 ココアの香りが、ゆるやかに店を満たしていく。
 カップの湯気がマリクの頬にかかり、彼の指が小さく震えた。
 その手の中、古びたスマホはまだぎゅっと握られていた。

「ねぇ、マリクくん」
 桔梗は、柔らかく微笑みながら、椅子の向こうに腰を下ろした。
「君のスマホ、とっても頑張り屋さんね。きっと、君と一緒にたくさん歩いてきたんでしょう?」

 少年の視線が、わずかに上がる。
 褒められることに慣れていない目が、一瞬だけ迷子になったように揺れた。

「……うん。 これは、兄さんのなんだ」
 マリクの身なり、使い込まれたスマホを見れば貧しいのは分かった。 
「まぁ、そうだったのね。
 貸してくれたの? 優しいお兄さんなのね」
 返事はなく、戸惑い。
 桔梗は戸惑いに気付かぬ様子で聞いた。 兄への好意は確かなもので、そんな兄の事なら語ってくれるだろうと思ったから。
「どんな、お兄さんなのかしら?」
「学校に行くために、いつも働いていて……余り家に戻らない」
「寂しいのね」
「……うん……でも!!ソファを譲ってくれるんだ!! ユックリ眠りなって。 仕事で疲れているのにソファを譲ってくれるんだ……だから――」
 言葉が飲み込まれた。
「わがまま言えばいいのに」
 のらが言いながら、ニッコリ笑って無邪気にケーキを差し出した。
「クリームたっぷりが美味しいよ」
「そうね」
 桔梗の瞳は笑っていた。
 愛おしい存在を見ながら、それでもマリクへの問いかけは続けた。

「じゃあ、この子も、君がお兄さんに休んで欲しいと思うように、その子にもお休みをあげようか? 充電しておいてあげるわよ?」

「……休ませる? この子も疲れている?」

 マリクの瞳は一瞬だけ、子供扱いするなと反発を宿したが――次の瞬間、声色を幼く戻した。充電が切れそうな事実には勝てなかったそれがマリクの全て。

 カップを傾けながら、桔梗は声を落とした。

「スマホもね、ずっとお外で頑張ってると、冷えちゃうの。 だから、少しの間だけ――お姉ちゃんが温めておいてあげる」

「……あっためるの?」

 くすりと桔梗が笑い、マリクもつられて笑った。

 けれど――

 その笑みの意味は違っていた。

「ふふ、あっため名人よ? ルイにも負けないくらい」

「お菓子のことなら負けないけどね! 桔梗のお菓子は独創的だからね」

 と、奥でルイの声。 その軽口に、のらが「ルイ、桔梗怒るよ~」と笑い声をあげる。

 マリクの唇が、ほんの少しだけ緩んだ。

「ねぇ、マリクくん。 君が“この子”を大切に思ってるの、すごく伝わるの。 だからこそ、ね? 休ませてあげよう」

「充電してくれる?」

「えぇ、充電もしてあげるわ」

 桔梗は、両手をそっと差し出した。
 まるで壊れやすい小鳥を迎えるように。

「お姉ちゃんに、少しだけ貸してもらえる?」

 年不相応に気丈な態度のまま、それでも指先が震えていた。

「……こ、壊さない?」

「えぇ。 約束するわ」

 桔梗はゆっくりと、言葉に“温度”を乗せた。

「あなたの代わりに、ちゃんと守ってあげる」

 小さな手が、ためらいながらもスマホを差し出す。
 その瞬間、画面の奥で微かにコードが光った。

 それを受け取った桔梗は、まるでそれごと心を包み込むように、
 指先でスマホを撫でた。

 桔梗の手のひらの中で、スマホがわずかに震えた。

「……よく頑張ったね」

 その言葉は、マリクに向けたのか、それともスマホに向けたのか――
 誰にも分からなかった。
 ただ、少年の瞳から少しずつ、張り詰めた炎が静かに消える。

 やがて――

 のらと肩を並べ、ケーキを食べていた。
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