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一章 魔法少女

閑話 決して逃してはいけない

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 満天の星々が輝く夜空を白いクジラが泳いでいた。

 全長は百メートル近くあるか。白の金属であるそれは光沢を放ち、胸ビレを上下に、尾ビレを横に動かしている。頭の部分は甲板となっていて、板ではなく芝生が敷き詰められていた。

 大気中を流れる魔力の河、天魔廊を泳ぐ移動型巨大要塞幻想具アイテム、ヴァイス・ヴァールだ。雲に見える偽装を施してある。

「はぁ」

 そんなヴァイス・ヴァールの頭上の芝生の上で溜息を吐く女性がいた。ポツンとおいてある丸椅子に腰を掛け、目の前の丸机に突っ伏した。

 数秒して起き上がる。

「ダイスケ……」

 恋焦がれるようにポツリと呟いた女性は、美しかった。

 青がかった白髪のロングは艶やかで、ふんわりとした天然のカールがかかっている。大きく切れ長な紫水晶アメジストの瞳に、たっぷりと蓄えられたまつ毛とサッと流れる眉毛。スッと通る鼻筋にやや蠱惑的に紅い唇。

 幼さを少しだけ残すその容貌は美しく、確かな自信と淡い色気を漂わせている。頬は紅潮こうちょうしその陶器のように清らかで艶やかな玉の肌は白い。

 薄花色の薄いワンピースから露出している肩は赤みを帯びていて、胸元に見える紫のキャミソールの下には豊かな双丘そうきゅうがはち切れんばかりに収まっている。

 柔らかな優しい風が吹けば、むっちりとした健康的な太ももが顔を見せ、熱が籠った吐息は夜空に溶けていく。

 そんな女性、イザベラ・イーレ・クラルスは、胸元にあった金茶色の宝石が嵌っているペンダントを綺麗な両手で握りしめ、祈るように目を瞑った。大事に抱きしめる。

「冷えるよ」
「ッ。……ありがとう、ヘレナさん」

 そんなイザベラにブランケットが掛けられる。イザベラは後ろを振り返り、月の女神という言葉では語り切れないほどの美貌を持つ女性、ヘレナに礼を言った。

 ヘレナは微笑む。近くにあった丸椅子に座り、イザベラを見た。イザベラは薄っすらと熱を残した紫水晶アメジストの瞳でヘレナを見つめた。

 中天に輝く月よりも美しい銀髪は夜風にたなびく。艶やかで絹糸かと思ってしまうほどに瑞々しく、清らかだ。人のそれとは思えない虹色の瞳は艶っぽく塗れていながら、凛とした光を放っている。

 目は大きく美しく、銀のまつ毛は月の光に輝いている。鼻立ちはキリっとしていて、滑らかだ。唇はグロスを塗ったように艶やかだ。肌は瑞々しく、月の光の様に淡く白い。澄んでいる。

 少女の如く可憐で麗しいかと思えば、国を破滅させるほどの妖艶ようえん淫靡いんび。かと思えば、母の如く慈愛と包容力があり、淑女のように楚々とした優美さがある。

 あらゆる矛盾を内包するその美貌とプロポーションは、やはり女神と思ってしまうほどに凛としていた。麗しかった。どんな人物でも見惚れてしまう。

 そんなヘレナの首には影で編まれたネックレスがひっそりと添えてあり、そして真っ黒なジャージを着ていた。ジャージだった。

 大事なことなので三度言う、ジャージだった。

「……こほん」
「ハッ」

 何度見ても慣れないそのギャップに呆然とするイザベラに、ヘレナはワザとらしく咳ばらいをする。イザベラは申し訳なさそうに頭を下げた。

 やや釣りがちな瞳を伏せ、静々と尋ねる。鈴を鳴らしたような声だった。

「その、ヘレナさんはどうするのかしら?」
「どうするって?」

 ヘレナは凍えるように淡々とした声音で返す。表情もあまり変わらない。ただ、それは不愉快だからではなく、もともとそんな感じなのだ。

 クールなのだ。

「……ナオキさんの故郷の事よ。ミラちゃんたちのママでしょ?」
「そうだけど」
「だから、そ、そのナオキさんと一緒に住むのか……とか」

 イザベラはポショポショと話す。もともと予想はしていたが、ヘレナはそれを聞いて合点がいく。ちょっと意地悪な感じに笑う。

「ダイスケさんと一緒に住みたい。けど、口実がない、と」
「…………はぃ」

 イザベラは顔を真っ赤に染め、俯く。ヘレナは美しく微笑みながら、イザベラの胸元にある金茶色の宝石が嵌めてあるペンダントを見た。

「三か月前の大胆な接吻はどこへいった?」
「ッ、そ、それは、気持ちがたかぶった……いえ、もともと……うぅ」

 モニョモニョと頬を緩ませ、羞恥や歓喜等々がごちゃまぜになった感情を思い出し、顔を両手で覆う。

「覚悟を決めたでしょ? 数年にわたる想いをようやく告げた。大丈夫よ。向こうだってそのペンダントを上げた。まぁ少し先延ばしにした感は否めないけど」
「……そうよ、そうなんだけど」
「寂しい、と」
「うぅ」

 普段のイザベラは勝気で自信満々だ。お姫様でありながら、世界でも有数の戦闘技術を持ち、ちょっとした海を凍てつかせる凍結魔法の使い手だ。勇者パーティーとして世界を旅したりもした。

 例え相手が魔王であろうが堂々と立ち向かい、またあらゆる道具に対して熱心なイザベラとは似つかない様子にヘレナは、困った子を見るように微笑んだ。昔にもこんな子がいたなぁ、と思いながら。

 そして意地悪な表情を浮かべる。焚きつける方がいい。

「ダイスケさんは魅力のある男性だし、故郷で既に彼女ができているかも。結局、既成事実を作った方が勝ちだし」
「そ、そんなことないわ! だって、だって……」
「そんな確証は? 六年近くプライドを守ってたのに?」
「そ、そうなんだけど……」

 お姫様だったイザベラは誰にでも承認される存在だった。自分の心持を相手が察するのは当たり前だし、自分がわざわざ口に出していうことは一切なかった。

 そして生来の真面目さと厳しさが相まって、誰にも弱みは言わないし凛々しく美しくあろうとしていた。

 つまり、自分の気持ちを伝えるのが物凄く下手クソだったのだ。さらに大輔は大輔で過酷すぎる異世界生活や生存競争、後は拗らせ過ぎた陰キャオタクな性格だったため、それはもう見ていられないほどすれ違いをしまくったし、真面な恋愛に発展するまで時間がかかりまくった。

 そもそも、大輔は魔境に飛ばされたり、牢獄に閉じ込められていたりしたから、イザベラと接していた年数はそこまで長くないのだが。

 顔を真っ赤にしたイザベラは、このまま言いように言われてはたまらないと反撃する。

「へ、ヘレナさんはどうなのよ! このままなぁなぁでいく気なのっ?」
「……そのつもり」
「ッ」

 ヘレナは少しだけ透明な表情をしながら頷いた。そこにはたった十八年では語れない重みがあった。儚く淡く遠く広大な重さがあった。

 イザベラはハッと顔を真っ青にし、その紫の瞳は心配そうに揺れた。

「私は強欲。醜くくて、今でも縋りついてしまうほど弱い」

 ポツリと呟かれたその自己評価は、卑屈でもなく事実。数千年以上生きながらえてしまったヘレナの事実。老いることもなく、無限に蘇る彼女の史実。

「今、とても幸せなの。この身に降り注いだ呪いを解く手段が手の中にって、ミラとノアにママと慕われて、ナオキと一緒の時を過ごせる」
「けど、だったらっ!」

 今にも折れてしまいそうなほど儚いヘレナは、たぶん今まで多くの人に折られ、踏みつけられ、枯れたんだろう。何度も何度もよみがえる月の花は誰もが無邪気に弄ぶのだ。

「だからこそ、これ以上欲したら私は自分を抑えられない。ナオキを不幸にする」

 ジャージ姿のヘレナは首元に添えられている影で編まれたネックレスを撫でた。その姿はとても美しい。ジャージ姿であってもその美しさがかすむことはない。

 だからこそ、その美しさは怖ろしい。不幸にするという言葉自体が実体験だから。何度も何度も縋り、欲し、そして絶望し、絶望させたのだから。強大な大国すらも破滅させたのだから。

「ナオキの最愛を育てられる。成長を見守れる。それだけで幸せ。少し離れたところであの少しだけ偽悪的な微笑みが見られる」

 零されたその心はどこまでも淡くひっそりとしていた。まるで太陽の光がなければ輝くこともできない月のようだった。

「……わたくしにはヘレナさんの気持ちを変えることはできない」

 そんなヘレナにイザベラは寂しそうに言った。ヘレナが積み重ねてきた過去を少しは知っているが、それでも少し。それに変えるのは自分ではないと思っている。

「けど、ヘレナさん。臆病で卑怯で器用だけど、逃げられないよ。ナオキさんがショウさんたちになんて言われているか知っているでしょう?」
「……ええ、知ってる。そして私が欲深いのも。呪いを解くのが悲願だったはずなのに、呪いを解いていないこの欲深さを」

 ホント、自分ながら惨め、と呟いたヘレナは、それでも嬉しそうに微笑んだ。首元の影で編まれたネックレスを大事に撫でた。

「イザベラ。そんな顔しないで。もう、世界はいい。アナタは、お前は自分の事だけを考えていればいい。素直になってもいい」

 イザベラはやるせない気持ちになりながら、素直に頷いた。たぶん、ヘレナを救い出せるのは、ナオキとヘレナ自身。友だけど、友と言ってくれたからこそ自分にはそれができない。

 イザベラは、頼みますよナオキ、と思いながらも話題を転換した。ヘレナもそれに乗る。

「……そういえばショウさんたちはどうすると思う?」
「詳しくは聞いてないけど、一度死んだ身のようだからね。結局はナオキたちからの連絡待ち。こちらからの連絡は現状無理のようだし」
「ダイスケと会話できたし、三か月後にはこっちに来れるとは聞いたけど」

 イザベラはフフッと笑った。ヘレナは微笑んだ。

「クルトゥーアデア様によれば隔たりが強いって話だけど、ナオキはミラとノアのためなら不可能を可能にする。大丈夫」
「ダイスケだって負けてないよ。創れない物はない」
「ええ」

 ヘレナは遠い昔の記憶を思い出すように頷いた。

「……にしてもお姉様も向こうに行くのよね」
「ショウさんが向こうに行けばだけど」
「お父様、発狂しないかな」
「共に世界の英雄。しないでしょう」

 英雄、と聞いてイザベラは少しだけ頬を尖らせた。

「……英雄色を好む」
「確かにショウさんも好んでいる。いや、まぁ彼女たちに食べられてるといってもいいけど。今日も励んでるんじゃない?」
「ッゥゥゥゥゥッ!」

 ヘレナは少し蠱惑的に微笑めば、イザベラは釣られて妄想してしまう。そういえば、いつもは何人かがここでナイトティーでも楽しんでいるが、今日は全員いない。

 だんだんと明瞭に想像してしまう初心なイザベラ。ヘレナは可愛いなぁ、と思いながらもうちょっと弄ぶ。

「今日は皆」
「ッ」
「五人と一人。食べられ貪りつくす」
「ッッッ! ヘレナさん!」

 顔を真っ赤にしたイザベラはガタッと立ち上がり、ヘレナを睨んだ。ヘレナはその睨みを赤子をひねるように流し、微笑んだ。

「けど、あれくらいの積極性がないと本当に取られるよ。アカリさんやレイカさんみたいな美しい女性だって向こうにいる。英雄色を好む。これは嘘じゃない。英雄が好まずとも、迫る人は多い。男性もいるかも」
「ッ」
「大丈夫。あれから頑張った。初心なアナタにも、私が教えた手練手管にもダイスケさんは夢中になる。なっている。決して逃がしてはいけない。気持ちはシンタロウさんを襲うツヴァイさん」

 破滅的だ。その言葉は悪魔の囁きのように魅惑的だ。ヘレナは少しだけ焚きつけ過ぎたかしら、と思いながらもこれくらいしなきゃね、とも思う。

 イザベラは金茶の宝石が嵌ったペンダントを握りしめた。

わたくしはこれを貰った。だから……」
「甘えは、駄目よ。大丈夫だと思うのも」
「ええ。何度も何度も痛感してる。だから、信じてる。自分もダイスケも」
「そう」

 ヘレナは安心したように頷いた。これなら発破を掛けずとも大丈夫だろう。イザベラはそんなヘレナに小さく礼を言った後、そういえばと思い出す。

 専用の異空間からとある幻想具アイテムを取り出す。

「ヘレナさん。ツヴァイさんが言ってたけど、嫌な予感がするって」
「……守護の結界?」
「ええ。ミラちゃんとノアちゃんにも渡しておいて。ヘレナさんとミラちゃんたちが強いらしいから」
「……そうなの」

 それは小さな石ころだった。どこにでもある石ころを三つ、渡された。ヘレナは少しだけ逡巡した後、受け取った。そこには誰にも曲げられない覚悟があった。

 イザベラはそれを知りながら、冗談めかす

「一番強いのはショウさんのようだけど。……アカリさんたちが暴走しないためにも何事もなければいいけど」
「それは、無理だと思う。ショウさんはナオキたちと同様に巻き込まれるから」

 ヘレナはフフッと笑って、和む。今は、今だけでもこの幸せな時を大事に愛そうと。抱きしめようと。
 
 そう笑った。
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