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四章 妖魔

四話 ……羨ましい

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 魔力を原動力とするからくり人形の冥土ギズィアは基本的に睡眠を必要としない。

 食事はエネルギー補給という意味合いでも多少するのだが、それでもしなくても問題なかったりする。

 そんな冥土ギズィアは日も昇らない早朝、広縁ひろえんの窓際の椅子に腰を掛け、外を見ていた。

 もやの向こうに見えた人影に冥土ギズィアは溜息を吐いた。

「……副創造主様サブマスターは……出ていかれましたか。まぁ、伝えるのは帰ってからでよろしいでしょう」

 ポツリと呟き、冥土ギズィアは目の前のローテブルにおいていた地図を広げる。着ていた浴衣の衣擦きぬずれが響く。

 数秒か、はたまた一時間近くか。襖の向こう側の和室で寝ている杏やウィオリナ、穂乃果やなつの寝息だけが響き、他はすべて痛いほど静寂だった。

 と、今まで一呼吸もしていなかった冥土ギズィアが言葉を発する。過去の記録をすべて精査し、再解析が終了したのだ。

「やはり昨夜の烏丸郭様の移動ルート。私が見つかるまで、特におかしな行動はありませんでした。あったとすれば、やけに多くの鳩と戯れていた事でしょうが、あれはただの鳩好きだと考えて問題ないでしょう……」

 それは自己認識を確認するため。本来、頭の思考だけでも完結する冥土ギズィアは、だが擬態を上手くするためか最近は人間らしい行動を身に付けてきた。

 食事を楽しむのもその一環だったりする。

 冥土ギズィアはその宝石のような黒の瞳を細める。

「ですが、それ以降がおかしい。まず、何故私が見つかったのでしょうか? 隠形は完璧。それこそ創造主様マスター副創造主様サブマスターがそれなりに探そうとしない限り見つかるはずはなかった……」

 トントンと座っている椅子の手すりを指先で叩きながら、「何より」と呟く。

副創造主様サブマスターの存在に気が付いたのがおかしい。確認した限り、副創造主様サブマスターは電話を邪魔されたくなく、[薄没]を使っていたのです。つまり、話しかけるなど能動的に接触しない限り、一般人の烏丸郭が気付くはずがない。それにどうして一度私を連れて旅館まで戻ったのでしょうか? コートを取りに行くため? なら、何故私に鍵を渡して……そもそもあの時、どうやって一直線に副創造主様サブマスターの方へ行った?」

 冥土ギズィアは龍安寺以降、ずっと郭を監視していた。黒羽根ヴィールで、そして自身の目で。

 大きく目立って怪しい様子はなかった。けれど、おかしな存在である冥土ギズィアと直樹を相手にしたとき、不自然さが露わになった。

 その不自然さは明らかに無視できないものなのに、けれど嘆息する。

「……ですが、魔力などといったエネルギーを宿している気配はありません。そういう道具も」

 郭はその不自然さを形作る具体的な何かを持っているわけでもなかった。冥土ギズィア解析スクリーバを使っても、郭に通常の人間が持つ熱量と生体電気以外のエネルギーを感じ取る事はできなかった。

 ならば、幻想具アイテムや魔道具のようなものを持っているかと、身に付けているものやコートを取りに行く際に部屋を調べたが、何もなし。

「龍安寺のあれ以降、電話をするようすも誰かに接触する様子もない。スマホの電話履歴を確かめ探っても、別に相手は普通の一般人でご友人だった様子」

 直接記憶を読み取るなどをすることもできるが、郭の存在が不確定な以上下手な手は打ちたくない。

 冥土ギズィアは郭の行動を記した地図を仕舞い、

「まぁ緊急事態は起こっていませんし、監視で十分なのですが……」

 ぼんやり呟いた時、

「なんの監視だ?」

 広縁と和室を隔てていた襖が開かれ、眠たそうに目をこする杏が尋ねた。着ていた浴衣はずいぶんとはだけていて、下着が露わになっている。

「いえ、なんでもありません。それよりも起こしてしまい、すみません」
「……何の監視だと聞いている」
「……副創造主様サブマスターを監視しているのです。今も外出していますので、念のために」
「……そうか」

 嘘は言っていない。直樹も監視はしている。まぁ、鬱陶しがられて、つい先ほどまかれてしまったが。

 しかし、杏は少しだけ納得いかないように顔を顰め、モゾモゾとはだけていた浴衣を着直し、冥土ギズィアの反対側の椅子に座った。

 冥土ギズィアは杏の顔色を見やる。

「酷く顔色が悪いですが……昨晩は遅かったのですか?」
「深夜遅くまで外出していたお前ほどではない。どこに行っていたんだ?」
副創造主様サブマスターと一緒に郭様に連れられ、ラーメン屋に」
「……は? 何故?」

 杏が呆けた。冥土ギズィアは肩をすくめる。

「さぁ? 就寝時間を超えて外出していたからとしか。それよりも寝なくて大丈夫なのですか?」
「……問題ない。今ので目が覚めた」

 覚めたように杏はつぶやく。

 それから大きな蒼穹の瞳で靄がかかった暗い外を見やった杏は、何度か逡巡した後、力なく尋ねた。

「……雪は……雪の想いは成就じょうじゅするか?」
副創造主様サブマスターへの想いでしょうか?」
「………………ああ」

 杏は神妙に頷いた。冥土ギズィアの何も映さない黒の瞳が揺れる。

「……どうでしょうか? 私には分かりませ――」
「私たちについてあれこれ画策しようとしているのにか?」
「……結局は本人たちです。私は創造主様マスターのために最善を尽くしているまで。それより杏様の場合はどうなのですか? ご自身の気持ちに整理はついたのですか?」

 痛いところを突かれ、冥土ギズィアは話を逸らす。

 杏は瞳を細めた後、溜息を吐きながら自嘲気味に笑う。

「さて、どうなんだろうな。この気持ちは……」
「どういう気持ちなのですか?」
「……どういう気持ちって……何なんだろうな。大皇おおすめ日女ひめが言った一言が妥当ではないのは確かだ」
「私はその一言を知らないのですが?」

 杏は決まりの悪そうに顔を顰め、冥土ギズィアの言葉を無視する。

「……まず混沌の妄執ロイエヘクサの事も母さんの事も感謝している。それから、良い奴だとも思っているし、好感はある。だが、だからといってこの気持ちは……はぁ。物語みたいに簡単に自覚できて認められればいいが、≪直観≫でも確信はない。むしろ、否定する」
「恐怖でですか?」
「…………まぁ、ごく僅かだが、そんな気持ちがあるのかもしれないな。お前の話や大輔の表情を見ていれば、身近にいる人間は誰しも思うだろう。別に特別じゃない」

 歯がゆく悲痛な想いを吐露するように顔を歪め、杏は頬杖を突いた。それから、自身の頬を少しだけつねった後、冗談を言うように愛想笑いをする。

「生まれてこの方、誰かを羨んだ事は殆どないんだ。恨んだ事はあるがな。だから、会ったこともない女性をズルいと思ったのは初めてだ。その時間は……アタシには想像もできないほど辛いことがあったはずだ。過酷だって聞いたしな。だが……それでもアタシはズルいと思う」

 誰をズルいと言ったか、冥土ギズィアは容易に想像がついた。だからこそ、一瞬言葉に詰まり、目を伏せた。 

「……そうですか」
「そうですかって……そう淡々に頷くな」

 咎めるような視線を向けた杏に、冥土ギズィアはムスッとして問い返す。

「では、どうすれば?」
「………………どうすればいいのだろうなぁ」
「……」

 言葉に詰まり、悩み、そうぼやいた杏は深海の底でもがくかのごとく、切実に請い願う。

 それは静寂に溶け、冥土ギズィアは何も言えなくなる。

 それに気が付き、杏は「すまんすまん」と苦笑する。それから一転、小さく悲し気に「……ただただ辛い。苦しい」と呟く。

 ………………

 何を言えばいいのか、冥土ギズィアは悩む。たぶん、これほどまでに悩んだのは初めてだろう。難しい。難しい。知識の深淵に接続されたデータや、スパコンが赤子だと言い切れるほどの演算能力をもってして、エラーを引き起こす。

 副創造主様サブマスターに自信満々に言い切ったのに、何もできない。

 人工の瞳をさまよわせ、何度も言葉に詰まる冥土ギズィアに、杏は自嘲気味に笑い、キーホルダーサイズにしていた≪直観≫の補助具である大剣を弄ぶ。

「魔法も役に立たないな。己の心一つ定義できないなど」
「……定義できない想いなのでは? 私にはわかりませんが」
「……それでも想いなのだろう? 信じたいじゃないか、その想いを。だが、結局は無茶苦茶でごちゃごちゃで不安定で、そもそもあるかどうかも分からない。何も信じきれない。……そういう苦しさは無理だ。もう散々なんだ」

 魔法少女になってから母である芽衣が助かるまで、そんな確信を持てない苦しみに悩んでいた。もし、それを自力で乗り越えられたなら、これも耐えられたのかもしれない。

 だが、あのときは大輔がいた。大輔がいくら言い訳しようとも、結果的に見れば、大輔が助けてくれたのだ。

 杏は自分の判断ではなく、大輔の判断を信じたのだ。信じさせたのだ。

 酷く甘い。沼に嵌って抜け出せず。

 ……されど隣に立ちたいと思ってしまう。

「……羨ましい。雪が、雪の魔法が羨ましい」

 ああ、言ってしまった。こんな想いを抱くだけでも嫌なのに、口に出してしまった自分が本当に憎い。

 杏は自嘲するように頬を引きつらせる。

 そんな杏の内心に気付いているのか、いないのか、冥土ギズィアは真面目に返す。

「羨むものではないと思いますが」
「……分かってる。冗談だ」

 苦笑した杏はキーホルダーサイズの大剣を懐にしまい、白み始めた空を見る。

 もやが流れている。太陽の光が反射して、神秘的だった。

 蒼穹の瞳がゆっくりと細められた。

「ちょうどこんな感じか。うっすら見えているのに、結局先は分からない。辺りが照らされているのに、どこに光があるのか分からない」

 フッと頬を緩ませた杏は立ち上がる。

「どこへ行かれるので?」
「シャワーを浴びる。お前はいいだろうが、ケアとかもしなくてはいけないしな」
「……そうですか」

 そう言って杏は自身のキャリアケースから着替えと化粧品などを取り出した後、ウィオリナと穂乃果、なつが寝ている和室を通り抜け、玄関口に近い扉の中に入っていった。


 
 Φ



 漬物をカリカリと食べながら、大輔は溜息を吐く。

(結局いないじゃん、あの二人。冥土ギズィアはさっき出て行ったけど、直樹はいつ出たのやら。一方的に置手紙だけ残して電話もメールも無視するし……はぁ)

 味噌汁を飲む。美味い。憂鬱な心に染み渡り落ち着く。

(っというか、冥土ギズィアは「杏様とウィオリナ様の想いを、どうかできるだけでいいので尊重してください」とか言うしさ。意図が透けて見えすぎてるんだよ……)

 大輔はクラスメイトと会話をしながら食事をしている杏とウィオリナを一瞥いちべつする。和気あいあいとしていて、楽しそうだ。

 特にウィオリナは日本食が珍しいのか、目をキラキラ輝かせている。杏が「落ち着け」と言いながら、ウィオリナの頬っぺたについていた鮭の骨を取る。

 口元をほころばせた大輔は、自らの食事に視線を戻す。梅干を食べる。酸っぱい。

 思わず昨日の出来事が脳裏をよぎる。

(……線引きはキチンとしてる。問題ない。それに僕には……)

 大輔は小さく首を横に振り、そう自らの心を確認し、引き締める。

 ……ところで、大輔に直樹や杏たち以外に友達がいるかといえば、いないとしか言いようがない。

 事故の件もだが、それよりも今は杏とウィオリナの事でクラスの半分男子は敵に回ってしまった。

 女子とはそもそも関わりがない。

 まぁ、つまるところ、

(みんなと一緒に食べるのが一番だよな……)

 騒がしくも異世界の皆と食べた朝食を思い出し、突き刺さる数々の視線に辟易していたのだった。

 朝食が終わり、今夜は別のホテルに泊まるためバスに大荷物を積み込む。その後、最低限の荷物を持ち、旅館を出た。

 制服姿の生徒たちが集まり、それぞれのグループとなっていた。

 大輔は杏とウィオリナ、そして今はいない冥土ギズィアと直樹だ。

 明日は別のグループ編成となっている。結構面倒なのだ。何故、こんなに面倒なのかは分からないが。

「……直樹さんもいないんです?」
「そうなんだよ……たぶん、一人で色々と観光地を巡ってるんだろうけど……」

 大輔は嘆息混じりに答える。しおりを見て、今日の予定を見直していた杏が顔を上げる。

「教師たちにはどう見えてるんだ?」
「普通に二人ともここにいるように見えてるよ。ほら、これ」

 大輔は二枚の鋼鉄の羽根を手元から取り出す。

「……確か、冥土ギズィアの……黒羽根ヴィールだったか?」
「うん。これで幻術を見せてるんだよ。まぁ、冥土ギズィアは兎も角、直樹は[薄没]を使ってるだろうから、そもそもいないこと自体気が付かないだろうけど」
「ああ、あの妙な認識操作か」
「うん」

 生徒たちが全員集まり、教師たちが自由行動の注意点などを説明していく。

 ウィオリナはふんふんと真剣に聞き、大輔はぼーっと空を見上げる。大輔の隣に座る杏は少しだけ落ち着かないのか、何度も体をよじらせ居住まいを正す。

 そうして話が終わり、自由行動の号令を出された。

「行くぞ」
「アンさんっ?」
「え、あ」

 と、杏はウィオリナと、一瞬ためらった後大輔の手を掴み引っ張って、その場を離れる。遅れて後ろから、男子だけの班の人たちが追いかけてくる。怨念らしきものさえ見える。

 意図を読み取った大輔が二体の戦術補助多蜂支インパレーディドゥス援機・アピスを召喚し、追手に偽の幻像を見せる。追手が幻術に騙され、大輔たちとは反対方向に走る。

 大輔たちは脇道に入った。

「……なんか、面倒だな……」
「そうか? 喜ぶべきではないか?」
「何を喜ぶのさ」

 よそおうように大輔をからかう杏に、どうしたんだろ? と首を捻りながら溜息を吐く。

 と、

「早く行きましょうっ」

 よほど楽しみなのか、茶髪のサイドテールをブンブンと揺らし、ウィオリナは二人の手を引く。

 大輔と杏が顔を見合わせて苦笑し、小道を進んだ。
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