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四章 妖魔

閑話 一番は譲らない

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 昔、昔。まぁ、数年前ではあるけれど、とあるお姫様がおりました。

 そのお姫様には姉がおりました。

 よわい一歳にして言葉を話し、三歳にして三か国語をマスター。五歳になれば、国の重鎮である公爵と対等に渡り合い、十歳を超えるころには国の中枢で指揮するほどの存在でした。

 悪魔と畏れられるほどのその才能は、数多の魔王が暗躍し、様々な国家間に亀裂が走る戦乱の時代、その姉を傑物としました。王国をたった数年で世界でも随一の大国へとのし上げました。

 そんな姉をもつお姫様は、とても優しく真面目で、姉ほどの才能には恵まれませんでした。特に精神性は誠実で真面目でちょっと醜くて、平凡そのものでした。

 王である父と母はお姫様をないがしろにはしませんでしたが、それでも政治がそれを許しませんでした。使用人に貴族にお姫様は憐れられていました。姉とずっと比べられていました。

 それでも誠実で優しくて平凡な彼女は、王国のために頑張りました。自分は王族だから。国を守るのが、栄えさせるのが使命だから。民のために。

 姉には到底及びもしなかったけれど、それでもせめて役に立てれば、と。

 人を扱う才能も貴族と渡り合う知略も持ち合わせていなったお姫様は、唯一誇れる才能――氷魔法とあらゆる道具を扱える“万具使い”の職業を使い潰すように王国のために酷使しました。

 文字通り使い潰そうとしたのです。

 特に、あらゆる道具、それが神代の幻想具アイテムであってもその構造、性能などをつまびらかにする力をもつ“万具使い”は凄まじく、それにより王国は他の国よりも抜きんでた技術力を手に入れました。

 平凡で優しいお姫様は、姉に並ぶとはいわないものの、それでもたたえられました。

 けれど、あの日。姉が女神より勇者召喚の啓示を受け取り、それが為された日。

 全てが一変しました。

 勇者として召喚された人たちの中に、“錬金術師”の力を宿す少年がおりました。

 “錬金術師”は特別珍しい職業ではありませんでしたが、彼は異世界の知識と類まれなる想像力、創造力を持っていました。

 お姫様が想像もできない幻想具アイテムを次々に作り出していきました。召喚されてたった数日で作り上げたとある幻想具アイテムは今でも国宝となっています。

 効果自体は御姫様が創る幻想具アイテムには劣るものの、異世界の知識もあってか、効果の種類や道具の活かし方は誰にも真似できるものではなく、王族や貴族たちは少年に期待し、そしてお姫様のことは彼の付属品として見るようになりました。

 少年の発想を実現するための道具として見るようになりました。

 ただ、幸か不幸か、その“錬金術師”の少年は自分が死ぬことも、誰かが死ぬこともとても嫌っていました。戦うことが嫌いだったのです。

 そして自分が作った道具で殺し合いをされたくないがために、武器は作りませんでした。作ったのといえば、防具や逃げるための道具、野営や生活を豊かにしたりする道具だけでした。

 確かに、それで助かった命は多くあります。

 しかし、それでも多くの貴族たちは“錬金術師”の少年を罵りました。また、彼だけでなく真面に暗殺もしない“暗殺者”の少年も罵りました。

 その罵りは勇者のお目付け役を任じられていたお姫様にも伝播し、お姫様はどうにか二人を、特に“錬金術師”の少年を説得しようとしました。

 しかし、彼らの意志は堅かったのです。

 お姫様はとても強い苛立ちを抱いていました。自分よりも凄い幻想具アイテムを作り上げるのに、そんなにも才能があるのに。なんで、そんなおどおどしてて、うじうじしてて愛想笑いばかり浮かべているのに。でも、頑固。

 苛立ち、嫉妬し、憎んだりもしました。

 けれど、少しだけ尊敬があったのも確かです。

 そして数カ月ほどの時がたち、彼らはとある貴族の謀略により処刑されそうになりました。“勇者”や“賢者”、“姫騎士”によってそれはなくなりましたが、結局彼らは魔王すら近寄らないという魔境に転移させられました。

 その時のお姫様の心境は、なんとも言えませんでした。ただ、少しばかりホッとした感情があったのは確かです。

 それから数年。

 お姫様は勇者パーティーの一人として世界を巡っていました。

 そしてその時、再会した“錬金術師”の少年、いえ青年は別人と思えるほどに、何もかもが変わっていました。

 おどおどとして、いつも愛想笑いを浮かべていたその顔には、鋭さだけが残っていて。視線だけで全てを射殺いころせるほど、殺伐としていました。身に纏う幻想具アイテムは全て殺戮のための兵器でした。

 お姫様は“錬金術師”の青年に怒りを覚えていました。なんでわたくしがあれだけ説得したときは頑なにその意思を曲げなかったのに。なんで魔王を殺せるほどの幻想具アイテムが作れるのに、わたくしたちに協力しないのか。魔王をたおそうとすらしないのか。

 色々あり、お姫様と“錬金術師”の青年は殺し合いをしました。

 そしてお姫様は知りました。
 
 確かに、戦いを嫌う少年はいなくなりました。命を奪うことに躊躇いはなくなりました。魔王ですら生き残るのが過酷な魔境での環境が、そう変えたのです。

 けれど、彼は優しかった。前も今も、そこは変わっていなかった。

 お姫様がとある魔王により絶望のふちに立った時、彼はその尻を蹴り飛ばしました。お姫様がとても強いのだと、尊敬しているのだと言い、一緒に戦おう、と奮い立たせてくれました。

 たぶん、その時、お姫様は彼に恋したのです。

 それから尊敬や信頼が培われ、愛が生まれ。

 やがて凍り付いたように尖っていた彼の表面こころも溶けてきて、以前のような困ったような笑顔を浮かべるようになりました。

 そして数年にわたる想いと告げ、婚約の約束をした彼は、邪神との戦いの後、元居た世界へ旅立ちました。

 お姫様は、彼を信じ、再会を待ち望んでいます。望むだけでなく、自分にできる限りの事もしていました。

 お姫様は、イザベラは大輔が好きなのです。愛しているのです。



 Φ



 どんな聖人君子でもあっても身を焦がし、破滅に向かうであろう。

 可憐で、淫靡いんびで、清廉で、妖艶で、貞淑で……あらゆる美を矛盾することなくその身に宿したような彼女――ヘレナは、とある宮殿の屋根に腰を掛けていた。

 虹色の瞳が星明りに輝き、月光よりも麗しい銀髪は月夜に煌めく。

 女神よりも美しいヘレナは、決して一言では表せない表情をしていた。微笑み、諦め、怒り、苦しむ。

 そして儚く涙を流したのだった。

「……これで二回目か」

 半年前に一度。今日で二度目。

 長い彼女の人生の中でもこんな短い間に二度も涙を流したのは、本当に久しぶりだった。

 そもそも彼女が覚えている限り、流した涙の数は片手で数えられるほど。貴重なのだ。

(それほどまでに私は心を奪われていた)

 ヘレナは呆れたように微笑み、それから柔らかく思案顔になる。

「どうするか。どうするべきか。ミラとノアに悲しんで欲しくないけど、向こうの顔も立てたい……いや、そもそも見極め……いや、あの人を好きなる人。問題ない。そういえば向こうも娼婦の仕事があるとはシンタロウさん言っていた。生計はそれで立てて……ちょくちょく顔を出すような……人の目もあるか。それに向こうの心情もよろしくないな。不安にさせるだろう」

 それからもヘレナはずっとブツブツと呟きながら考える。考えては首を振って、また考えては首を振って。

 そうして最後にポツリと漏れる。

「悲しむだろうな……」

 誰がとは強調しない。

 そして再び瞬く星々を空虚な瞳で眺める。

 と、

「隣、よろしいかしら?」
「問題ない」

 少し泥に汚れたイザベラがヘレナの隣に腰を降ろした。金属のヘヤカフスで纏めた青交じりの白髪がふんわりと揺れる。
 
「……久しぶり。その恰好を見るのは」
「ええ、数カ月ぶりに袖を通しましたわ」

 胸元が少しはだけているラフな黒シャツ。カーキー系のキュロットパンツ。二つの金属糸で編まれた灰色のベルトが斜めに交差し、浮く。

 そこから幾つものホルダーやスプリングフックに吊られた道具が下げられている。二つのレイピアも携えている。

 頑丈な金属底のブーツは漆黒で、灰色の手袋はしっかりと収まっている。

 そして白衣。ほんのりカーキー系の色が混じったそれは、裾が金属で補強されているのはもちろん、とても丈夫そうだ。ともすれば、冒険者が愛用するロングコートのようでもある。

 そんな戦闘服に身を包んだイザベラにヘレナは呆れた視線を向ける。チラリと荒野の向こうに見える一角を見やる。

「私は片づけないから」
「分かっているわ」

 氷山だ。

 無色透明の永久凍結された氷が荒野に突如聳え立ったのである。

「アカリ? それともレイカ?」
「レイカさんとツヴァイさん。回復はシンタロウさんにお願いしたわ」
「ふーん、意外。てっきり、アカリかと思った。手数の対応を磨くのに。心境の変化でもあったか?」
「ええ、まぁ」

 理知と勝気を合わせたような大きな紫水晶アメジストの瞳が、強い光を宿す。

「ヘレナさんも読んだわよね。ダイスケからのメール」
「ああ、読んだな」

 ヘレナは雰囲気を変える。少しでも触れれば全てを切り裂く刀のように虹色の瞳を細める。まるで戦士のようだ。

 イザベラは気にず淡々と頷いた。

「やっぱり、ね。ツヴァイさんほどでなくともわたくしの勘も当たるものね。大体、ナオキさんだけ写真を送ってくるのがおかしいのよ。あれだけ家族を誇っていたのに」
「そうだな。……まぁいつだって女の勘は冴えわたるものだ。特に好いている人の事ならなおさら」
「……そういうものかしら」
「そういうものだ」

 そう頷くと、ヘレナは再び雰囲気を変える。計算高い妖艶な美女のようだ。まるで、相手を泥沼に引き込むような。甘く、優しい。

「お前は美しい。誰も敵わない」

 けれど、イザベラはそれに飲まれる事はなかった。柔らかくヘレナの甘言を受け流していく。

「覚悟は既に。数ヵ月もあったのよ。ダイスケを好く人はこの世界にだってたくさんいる。相当の人たらしだし、言葉選びも雑なのよ。普段、きっちり線引きしてる分、そのギャップにやられるのよ。あんな困った笑みにやられるのよ」
「ッ」

 ヘレナは息を飲んだ。それと同時に、やはりり人の成長は分からないものだ、と思う。

「すごく嫌だわ。独り占めしたい。当たり前よ。けど、それはさっき暴れたからずいぶん晴れたわ。くよくよ悩んでも詮無きことよ。それに、姉様たちのような関係も少し羨ましいと思っていたのよ」
「……大変だぞ。あれだけ強い精神の持ち主たちが集まっても、時折自制できず酷い喧嘩をするほどだからな」
「分かっているわ。けれ、まぁ結局、どう転ぶかは分からないわ。出たとこ勝負よ。だけど、覚悟はできたわ。一番は譲らない。ようやく婚約まで勝ち取ったもの」

 イザベラの瞳には静かな、けれど強い闘志が宿っていた。

 それにヘレナは渋面し、少しだけ茶化す。

「……まぁ、お前も向こうも、互いにポッと出のよく知らないやつと思っているだろう。目の上のたん瘤だな」
「ええ、そうよ。だから誠意をもって全力でぶつかるわ」
「ダイスケさんが気の毒。確実に泥沼に巻き込まれるな」
「誑した責任ぐらいは取ってもらうわ」

 ぷんすかと頬を膨らませたイザベラにヘレナは苦笑した。

「が、これも全て勘の話。実際は分からない。だからそう怒ってやるな」
「いえ、確実よ。ショウさんだけを無理やり召喚する事態が起こったのよ。そこがダイスケの故郷なのか、もしかしたら別の世界に巻き込まれてるのか分からないけど、それだけ大きな事態が起こった。なら、女性は、もしかしたら男性で深く接する人もいる。なら絶対に誑してる。信頼してるのよ」
「疑っているの間違いではないか?」
「さっきもいったけど、魅力は一番わかっているわ」
「そうか」

 あれだけウジウジしていたのに案外、スッキリした表情をしている。ヘレナは感心する。

 それからゆっくりと目を細め、一瞬だけ影で編まれたネックレスを優しく触れる。目聡いイザベラはそれを見逃さない。

「先月も聞いたけれど、ヘレナさんはどうするの?」
「その返答は先月もしたはず。私は十分幸せだ。この想いがあったという事実だけでも、私は救われてる」

 そう言ってヘレナは、これ以上の質問を拒むようにチラリとイザベラを見やった。イザベラは少しだけ眉尻を下げた後、立ち上がる。

「もう夜も更けてきましたわ」
「確かに冷えてきた。寝るとするか」
「ええ」

 ヘレナとイザベラは、宮殿の屋根からすぐ下のバルコニーへと飛び降りる。無音であり、身軽だ。

 ちょうどそのバルコニーはヘレナが借りている部屋のバルコニーであり、その隣がイザベラが借りている部屋のバルコニー。

 だから、イザベラが隣のバルコニーへ跳ぼうとしたとき、

「……ママ」
「……かか」
「ッ。どうした。ノア、ミラ」

 バルコニーの扉窓が開き、眠たそうに瞼を擦る幼子が二人、ヘレナを呼んだ。

 ママ、と呼んだのはノア。肌は白く、尖がった耳に、緋色の瞳。萌黄色と白が入り混じった艶やかな髪で、白の花を頭に咲かせている。一見女の子に見えるが、男の子。

 かか、と呼んだのはミラ。褐色肌で、尖がった耳に、空色の瞳。赤褐色と白が入り混じった癖毛で、額に白の宝石がついている。一見男の子に見えるが、女の子。

 共に可愛らしい二人はひしっとヘレナに抱きつく。

 ヘレナは困ったような、それでいて嬉しそうに目尻を下げ、屈む。二人を両手で抱き上げる。二人とも六歳を越えるためそれなりに大きいのだが、よろめくこともない。

「……どこにもいかないで」
「……消えたら、嫌だ」

 どうやら悪い夢でも見たらしい。ノアもミラもそのくりくりとした可愛らしい瞳に涙をため、ヘレナの首筋に押し付ける。

 が、直ぐにグッと唇を噛むと、少し大人びた表情を見せた。

「パパのせいなら、キチンと怒るから」
「とと、殴る」
「……止めてあげてくれ。久々にあった息子と娘にそんな態度を取られたら、大泣きするぞ」

 ヘレナは苦笑する。後ろで、大泣きした直樹を想像したのか、イザベラが頬を緩ませる。

 だが、ノアとミラは真剣だ。

「でも、ママ、悲し」
「かか、苦し」
「ッ。……そうか、そう見えるか」

 相変わらず聡い子たちだと、少しだけ誇らしくなったヘレナは、ギュッと二人を抱きしめた。

「大丈夫。何も心配しなくていい。全てはパパが解決してくれる」
「……ホント?」
「……嘘でない?」
「ああ、本当だ。パパだぞ?」

 だから、怖い夢は忘れなさい、とヘレナは優しく囁いた。

 ノアもミラも……うん、と頷いた後、覚悟を決めた瞳でヘレナを見上げる。

「ぼく、ママもパパも一人にしない。みんな、一緒」
「わたしも。だから安心」
「……そうか」

 ヘレナは子供の言葉だと思いながら、それでも嬉しく頬を緩ませた。それを見ていたイザベラは、ミラとノアに視線を合わせるように屈む。

「……じゃあ、わたくしは自室に戻りますわ。おやすみなさい、ミラちゃん、ノアくん。ヘレナさん」
「おやすみなさい、イザベラ」
「おやすみ、イザベラお姉さん」
「おやすみーや。イザベラ姉」

 小さく手を振るノアとミラに頬を緩ませたイザベラは、ヘレナに目くばせした後、隣のバルコニーに跳んだ。

 そして。







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公開可能情報


“万具使い”:あらゆる道具を使いこなす職業。職業保持者が道具と認識できたものが道具とされる。人類では扱うことすらできない神代の幻想具アイテムすら、その構造を詳らかにすることができる。そしてその道具の全力の性能を最適に引き出せる。やろうと思えば、その道具の限界を超えた性能を引き出せる。

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