鉄の女と銀の犬。貧乏令嬢はドSメイドに飼われる。

山本条太郎

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第29話 「王宮晩餐会。踊る影武者、暗躍する仮面」

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【王宮・大広間「鏡の間」】
千のクリスタルが輝くシャンデリアの下、王国の最上位貴族たちが集う晩餐会は、優雅な音楽とは裏腹に、張り詰めた「戦場」だった。  

豪奢なドレスと宝石の輝き。

だが、その裏には嫉妬と計算、そして破滅の足音が忍び寄っている。

うわぁ……あのシャンデリア、一個でいくらするんだろ。

あっちのテーブルのローストビーフ、厚切りすぎる……!

私は緊張で胃が痛いのか、空腹で胃が鳴りそうなのか分からない状態だった。  

アシュトン家の名代として、私は今、敵陣のど真ん中にいる。

「アシュトン公爵家、マリア嬢の入場です!」

ファンファーレと共に扉が開かれた瞬間、会場の空気が一変した。 
 
数百の視線が、私に突き刺さる。  

好奇、嘲笑、そして畏怖。

肌が粟立つような悪意の視線。

「……背筋を伸ばせ、駄犬」

隣を歩くレオンハルトが、冷徹な声で囁いた。  

彼は私の腰に手を回し、周囲を威圧しながらエスコートしている。 
 
その指先は手袋越しでも冷たく、あの屈辱的な夜を思い出させる。

「怯えるな。お前が隙を見せれば、アシュトン家の名が汚れる」 

「……誰が駄犬ですか。踏みますよ、貴方の足」

私は小声で噛みついた。  

けれど、この男は鼻で笑うだけだった。

「やってみろ。……だが、今は私の指示に従え。この会場にいるのは人間じゃない。肉と権力を喰らう亡者たちだ。お前のような無防備な小動物は、骨までしゃぶられるぞ」

その言葉は冷たいが、腰に回された腕には、私を支える確かな力が込められていた。 

悔しいけれど、今の私にはこの「変態仮面」しか頼れる相手がいない。  

私は唇を尖らせながらも、その腕に身を寄せた。  

左手の指輪から流れ込む熱だけが、この冷たい男への嫌悪感を和らげ、ローズマリーさんの温もりを思い出させてくれた。

ご主人様……。

                   ◇

【ダンスフロア】
その時、人垣が海のように割れた。  

現れたのは、白亜の礼服に身を包んだ、この国の第一王子アルベルト殿下だった。
  
その輝くような金髪と蒼穹の瞳は、まさに絵本から抜け出した王子の具現化。 
 
けれど、私にはその笑顔が、獲物を前にした猛獣のように見えた。

「待っていたよ、マリア嬢。……いや、我が愛しの銀狼」

アルベルトは迷うことなく私の前に進み出た。  

周囲の令嬢たちが悲鳴に近い溜息を漏らす。

「殿下。お招きいただき光栄です」

私がぎこちなくカーテシーをすると、アルベルトはその手を取り、強引に引き寄せた。

「堅苦しい挨拶はいい。……踊ろうか。君と話したいことが山ほどある」

拒否権のない誘い。  

レオンハルトが一歩前に出る。

彼の手が、私の腰から離れまいと力を込める。

「殿下。彼女はまだ社交に不慣れでして……」 

「下がれ、代行。私は『彼女』に聞いているんだ」

アルベルトの瞳が、剣のように鋭くレオンハルトを射抜く。 
 
王族の命令。絶対的な権力。  

レオンハルトは奥歯を噛み締め、一歩下がるしかなかった。

「……御意」

私は不安げにレオンハルトを見たが、彼は冷たく視線を逸らした。  

嘘でしょ、見捨てるの!?  

私は絶望の中、王子に連れられてダンスフロアの中央へと連行された。

ワルツが始まる。  

アルベルトのリードは洗練されていたが、その腕には逃がさないという強い力が込められていた。 
 
優雅な曲調とは裏腹に、これはダンスという名の「尋問」だ。

「素晴らしい夜だ。……さて、単刀直入に聞こうか」

優雅にターンを決めながら、王子が耳元で囁く。

「君は、アシュトン公爵家の人間ではないね?」

心臓が跳ねる。  

ステップがもつれそうになるのを、王子の腕が強引に支える。  

私は笑顔を貼り付けたまま、必死に答えた。

「……冗談がお上手ですわ、殿下」 

「隠しても無駄だ。調べはついている。……君はかつて『銀狼』と呼ばれた冒険者だ。違うかい?」

逃げ場がない。  

王子の顔が近づく。

その瞳は、私の仮面を剥ぎ取ろうとしていた。

「僕は君の過去を責めるつもりはない。むしろ、その野性に惹かれている。……どうだい? 僕の近衛騎士にならないか?」 

「え……?」 

「アシュトン家はもう終わりだ。巨額の負債、当主の病……。君のような傑物が埋もれるには惜しい泥舟だ。僕の手を取れば、君の過去を消し、栄光と地位を約束しよう」

甘い誘惑。  

私が頷けば、全てが解決する。  

借金も、身分も、未来も。

安泰な公務員生活が約束される。  

でも。

ドクン。

左手の指輪が、熱く脈動した。 
 
その熱は、ベッドで青白く眠るローズマリーさんの体温に似ていた。  

『行かないで』  

ご主人様の泣き声が、聞こえた気がした。  

あの人は、命を削って私を守ろうとした。

私は、王子の目を真っ直ぐに見つめ返した。

「……光栄なお話です、殿下。ですが」

私は、王子の肩に置いた手に力を込めた。

ドレスの下の筋肉が、意志を持って応える。

「私は泥遊びが好きなんです。……それに、私は飼い犬ですので。首輪を付け替える趣味はありません」

アルベルトは一瞬驚き、そして愉快そうに笑った。

「ははっ! 飼い犬か! ……いいね、ますます欲しくなったよ」

曲が終わる。  

王子は私を解放することなく、さらに強く抱き寄せた。 
 
その時、会場の入り口が騒がしくなった。  

レオンハルトが、貴族たちに囲まれている。

……あいつ、囮になってる?

曲が続く中、私は王子の肩越しに、ホールの隅にいるレオンハルトの姿を見つめた。  

何を話しているのかは聞こえない。

けれど、その背中は痛々しいほど張り詰め、孤立しているように見えた。

……あいつ、顔色が悪い。

仮面の下の唇を、手で覆っている。  

まるで、何かを必死に飲み込んでいるような仕草。  

その時、彼に近づく赤いドレスの女が見えた。  

ベアトリス・ヴァン・ルージュ。

帝国の死の商人。  

彼女がレオンハルトに何かを囁き、彼の手の甲に触れるのが見えた。  

レオンハルトが、激しくその手を振り払う。

何やってんのよ、あの変態仮面……!

私を置いておきながら、あんな女と。  

腹が立つはずなのに、胸がざわつく。  

あの拒絶の仕方は、ただの嫌悪感じゃない。

もっと切羽詰まった、余裕のない拒絶だ。  

まるで、ローズマリーさんが無理をしている時のような――。

                ◇

音楽が終わる。  

アルベルト王子が私を解放した。

私は一礼もそこそこに、レオンハルトの元へと早足で戻った。 
 
彼は一人、柱の陰で呼吸を整えていた。

「……戻ったか、駄犬。尻尾は振れたか?」

憎まれ口を叩くその声は、微かに震えていた。  

近くで見ると、仮面の下の肌が透き通るように白い。

「ちょっと、顔色最悪ですよ。……もう帰ります? 温かい飲み物でも……」

私が言いかけた、その時。  

彼の懐から、低い振動音が響いた。  

レオンハルトが魔道具を確認した瞬間、その表情が変わった。  

絶望と、覚悟の色へ。

「……緊急事態だ」

彼は私を見た。  

その視線は、私を心配しているようで、同時に私を突き放そうとしているようでもあった。

「アリア。お前は先に屋敷へ戻れ。……あとはカミーラの言うことを聞くんだ」 

「は? 何言ってるんですか? 一緒に……」

レオンハルトは私に背を向けた。  

その背中は、公爵家当主代行としての重責を背負った、孤独な男の背中だった。

「来るな。……これは命令だ」

彼は血の味がしそうな声でそう言い捨て、雨の降りしきるテラスへと走り去っていった。 

残された私。  

左手の指輪が、ドクンドクンと不吉に脈動している。

「……嫌な予感がする」

私はドレスの裾を鷲掴みにした。  

命令? 

知るもんか。  

私は「ご主人様」の命令しか聞かない。  

そして私の勘が告げている。

あの変態仮面を一人にしたら、取り返しのつかないことになると。

ビリィッ!!

私は動きにくいドレスの裾を勢いよく引き裂いた。 
 
脚があらわになり、周囲の貴族がギョッとして道を開ける。

「待ちなさいよ、変態仮面!」

私はヒールを脱ぎ捨て、裸足で彼の後を追った。
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