水精姫の選択

六道イオリ/剣崎月

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 ゲルティ王が生前用意した豪奢な棺に腰を下ろして、宙を見ているヴォルフラムは聞き覚えのある足音に気付く。
 軽くはないが男のものとは違う、確かで乱れない足取り。
「そろそろ食事だぞ、親父」
 ヴォルフラムを呼びにきたのは娘のハイデマリー。
 腰まである黒檀のように美しい黒髪を結い上げ、義父の死を悼む喪服は雪のように白い肌をより一層際だて、血のように赤い唇は死を悼むには鮮やか過ぎる。
 ヴォルフラムは無造作に立ち上がり、彼女は父が腰かけていたものが棺だと解っても形の整った眉をすこし動かしただけ。彼女にしてみると、父が床に座っていたほうが驚きで、棺に座っていても驚きはなかった。
 その棺がギルティ王のものであろうがなかろうが、彼女は父親が「そういう男」であることを娘として理解していた。
「ハイデマリー」
「なんだ、親父」
「王妃なんだから、もう少し言葉使いに気を付けたらどうだ?」
「そんな無意味なことを話合うつもりはない」
 二十歳を数え、子を身籠もった美しい王妃の言葉使いではないが、彼女は言葉使いを直すつもりはない。
 喪服の端を掴み、いつもと変わらぬ速さで歩く。
「そうか」
「女は用意しておいた」
「相変わらずできた娘だなハイデマリー。夫のせいで、気の利かない女になってたらどうしようかと心配してたぞ」
「どうされるのかは、あまり想像したくないものだな」
「そうだな、腹の子どもにもよくないから想像しないほうが良いだろう」

◇◇◇◇◇

 ヴォルフラムの二番目の妻でハイデマリーの母親であったヴェロニカは、夫に拷問の末に殺された。拷問の理由が不義で、相手はこともあろうに異形であったので、ヴェロニカを擁護をするものはいなかった。
 十歳のハイデマリーは母親から助けを求められた。
「ヴォルフラムの策略なのよ!」
  ハイデマリーは母親よりも父ヴォルフラムのことを知っていた。異形相手に見せる残酷さは、異形だけにむけられるものではないことを。容赦なく身内であろう とも残酷が牙を剥き、残虐な鋒が人間の柔肌を裂き、滴る血を前に明ける直前のもっとも深くなる闇のごとき暗さを、その青い瞳に宿すことも。
 助けることは無理だろうと彼女は母親に背を向けた。娘の背に母親は恨み言を叩き付けた。
「あなたもヴォルフラムの子なのね!」
 その恨み言は彼女には恨み言にはならない。
「”異形と浮気するような女の娘”そう後ろ指さされるよりはましだな。お前は自分が美しい女だと思っているのか? ヴェロニカ」
 ヴォルフラムに似た娘の拒絶に彼女は項垂れ言葉を失った。ヴェロニカは美しい女であった、黒檀のような黒髪、雪のように白い肌、血のように赤い唇。

 棺に収められたヴェロニカの姿は見られるものではなかった。

 ハイデマリーは十五歳で結婚し、以後王都に移り住む。そこで大伯母イズベルガにヴォルフラムのことを尋ねたことがあった。
 大伯母は魔女特有の引きつった笑い声を大きな口から吐き出し”こう”言った。

―― ヴォルフラムは知りたがり屋なんだよ。それだけさ ――

◇◇◇◇◇

「あの娘も呼ぶか」
 ヴォルフラムはパルヴィの部屋へと続く階段に足をかける。
「もう寝たそうだ」
「早過ぎないか?」
「親父のことだから、あの娘に声をかけるだろうと思って先に部屋に誘いに行ったら、侍女がそう言った。侍女は必死にベッドを押しあの娘の部屋へと続く扉を塞ごうとしていたから、私が手伝ってやった。侍女だってもう寝ている頃合いだ」
「おやおや、それは残念だ」
「あの娘も疲れ切っただろうさ。親父の相手を一人で引き受けたんだからな」
 喪中のため、ヴォルフラムとジークベルト、ハイデマリーとコスタの四人はパンと赤ワインにポーチドエッグという質素な食事を無言でとった。
 食後にヴォルフラムは用意されていた女たちの元へと足をむける。その後ろ姿に、
「熱い眼差しだが、羨ましいのかい? 羨ましいのなら、ついて来いよ。俺の娘は夫が女遊びした程度じゃあ怒らないぜ」
「うるさい! 早く行け!」
 ジークベルトは怒りにまかせてヴォルフラムに背を向け目的もなく大股で歩き出し、手近にあった執務室へと飛び込み、空の酒樽を蹴り壊した。
 いつものことなので、衛士たちは目配せをしただけで注意を周囲へと戻した。
 王城はいたるところに空の酒樽が並び、ジークベルトはそれで怒りを霧散させる。真面目ゆえに怒りっぽい性質のある王だが、八つ当たりするような真似は「一つの例外」をのぞき、することはない。
 ヴォルフラムを途中まで案内し引き返しジークベルトを探しにきたハイデマリーに、衛士たちが頭をさげる。
「入っていいか? ジークベルト」
「お待ちください。ハイデマリー」
 低い位置から入室を止める声が廊下にひびく。手早く床に散らばった酒樽の欠片を部屋の隅にまとめてから、ジークベルトは招き入れた。
「どうぞ」
 椅子に腰を下ろしたハイデマリーは、手早く詫びる。ジークベルトが怒った理由は「女を用意しておけ」そう言われたこと。女性に関してはハイデマリーに一筋で、他者の乱れた関係を嫌悪するジークベルトは、ヴォルフラムの行為をいつも嫌っていた。
 その上現在は喪に服す期間だというのに、いつもと変わらないヴォルフラムの態度により腹が立った。
「悪かったな」
「あなたが謝る必要はありません。私は驚いています」
「なにが?」
「怒りの頂点に達していると思っていたのですが、まだまだ怒ることができます。あの人はどれほど私を怒らせたら気が済むのでしょうね」
「怒らなくなったら怒らせないと思うぜ」
「それは無理です。あの人の態度、一々気に触りますので」
 暖色の灯りのもと、二人は久しぶりにゆっくりと会話をする時間を持つことができた。そのまま夜が深まり共に寝所で眠るはずであったのだが、一人の衛士の報告により事態が変わる。
「陛下、報告いたします。ビヨルクの王女が城内を歩いております。本人には意思がない模様で、連れ戻そうにも触れることができません」
 報告を受けたジークベルトは冷静な衛士に問い返す。
「パルヴィに意思がないというのは、どのようなことから判断しましたか」
「足取りは強かに酔った者の”それ”に似ております。目は開いておりませんが障害物を避けて歩いております」
「操られているように見える……そういうことですね」
「はい。あくまでも臣の主観においてですが」
「触れることができないというのは? 一度は触れようとしたが阻まれたということですね? なにに阻まれたのですか」
「見えない力としか言いようのないものでした」
 衛士の報告を聞きジークベルトは立ち上がり、まだ座っているハイデマリーを縋るように見る。部屋に一人で戻って欲しいと願うのだが、それが聞き入れられることは滅多になく、今回もそれではなかった。
「ジークベルト、私はあの娘の部屋を確認してくる」
 ビヨルクが休んでいた部屋は、入り口に面しているイリアのいる部屋へと向かって扉を押さなくては開かない。
  イリア一人ではベッドを動かすことができなかったことをハイデマリーは確認していた。このことから考えられるのは、何者かが部屋へと侵入したか、もしくは パルヴィが一人で部屋を抜け出したかのどちらかになる。ハイデマリーは幅の広い剣を手に持ち、廊下に半歩踏み出したところで振り返る。
「賊が侵入したとは考え辛いが、確認しておくにこしたことはない。無理はしないから安心しろ」
「解りました。私はパルヴィのほうへ。確認後、なにもなかったら……あなたはヴォルフラムの所へと行ってください。あんな男ですが、万に一つの間違いもない男ですので」
 ジークベルトは白い細身の長剣を持ち、衛士の案内のもとパルヴィの元へと急いだ。
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