イヴィル・バスターズ ―STEEL LOVES FLOWER―

天宮暁

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第五章 わたしを孕ませて

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◆天崎真琴/忌み島、地底湖

 わたしがその地底湖に足を踏み入れたときには、すべてが終わっていた。
「遅かったね……。姉さん」
「――拓真」
 事務所にしている一軒家なら何軒でも入りそうな広大な地下空間にあったのは、直径五メートルを超える巨大な――しかし活動を半ば停止している忌門と、その下に広がる青く透き通った地底湖だった。
 地底湖の前には、篝火に照らし出された真新しい木組みの祭壇があり、その祭壇にいま、下着姿の美奈恵が腰掛けていた。
 いや――もはやそれは美奈恵ではない。
 いまだに悪夢のごとくフラッシュバックする、真紅の瞳と、縦に長い黄色の虹彩。
 美奈恵の眼窩に収まっているのは、七年前に見た鬼の眼、そのものだった。
「久瀬倉さん!」
 わたしの背後で瞬が声を上げた。
 言われて気づく。美奈恵の足下、祭壇の下に贄姫・久瀬倉春姫がうつぶせになって倒れている。
 少し離れた場所には諸正もいた。拳を握りしめ、腹ばいになった姿勢で力尽きている。死んではいないようだが、かなり危ない状態だろう。もともと、海上でわたしの銃撃を食らってもいた。
 わたしは無言で銃を構えた。
「おや、いいのかな、姉さん」
 鬼の眼をした美奈恵が言った。
 その声音はまぎれもなく美奈恵のものなのに、もってまわったその口調は、拓真――七年前に鬼と化したわたしの弟のものにちがいなかった。
「僕を撃てば、姉さんの大好きな美奈恵さんも死んじゃうよ?」
 鬼は――拓真は、からかうようにそう言った。
「その程度の覚悟は済ませている。美奈恵は自分が鬼にとらわれるようなことがあったら、わたしに殺してほしいと言っていた」
「でも、姉さんにはそれはできない。姉さんにできるのはせいぜい、美奈恵さんの信頼を得ていることに歓喜して股を濡らすことくらいなんじゃないの? せっかく僕を殺せるだけの力を持っていても、殺す気がないんじゃ話にならない」
「貴様――ッ」
 引き金を引いてから、青くなった。
 撃鉄が銃弾を叩く感触に怯え、わたしはとっさに銃口を跳ね上げてしまった。
 銃弾は美奈恵のウェーブのかかった栗色の髪を引きちぎり、忌門の縁をかすめ、地下空洞の壁に火花を散らした。
「ほら、撃てない」
「――くっ」
 拓真の言うとおりだった。
 美奈恵に「もしもの時はお願い」と言われ続けてきたのに、そんなことが現実に起こるはずがないと決めつけ、いちばん辛い覚悟をしないで済ませてきてしまったのだ。
 ――わたしには美奈恵は殺せない。
 いまさらになってその事実に直面しつつも、身の破滅より美奈恵のことを優先してしまう自分のあり方に倒錯的な快楽を感じてもいる。
(これは……本格的にダメかもしれないな)
 わたしは銃を下ろした。
「……ここに封じられていたはずの鬼はどうしたんだ?」
「鬼ぃ? ああ、あの弱っちい奴のこと?」
「弱っちい……?」
「姉さん、あれは鬼だなんて高級なものじゃないよ。忌獣ともちょっとちがうんだけど、もっとこう、精神的な存在だったみたいだよ? お化けとか、幽霊とか……そう、怨霊だ! そんな言葉がしっくりくるね」
「やはり、そうだったのか」
「おや、姉さん、あれの正体がわかってたの? さすがだね」
 拓真がおざなりに手を叩いてみせる。
 ピンク色のレースの下着だけを身につけた美奈恵の姿と、人を小馬鹿にしたような拓真の動作はどうにもミスマッチで、出来の悪い悪夢を見ているようだ。
「……どういうことなんですか、真琴さん」
 瞬が聞いてくる。
「〈忌霊きりょう〉――。久瀬倉家から拝借した古文書にあった。忌門によって忌獣を生み出すのでもなく、忌能を獲得するのでもない、第三の具象化。強い恨みを抱えたまま死のうとしている人間が、忌門の力を借りることで、自らの『恨み』を具象化するのだ」
「恨みを……具象化……?」
「滅多にないことらしいがな。幽霊の類いは、忌門で出現した忌獣のバリエーションでなければただの迷信だ。が、この忌霊という存在は伝承や怪談の中の幽霊に似た性質を持つらしい。人に取り憑き、暗い情念を植え付けたり、思考を支配したりして、世に災厄をもたらす。それは人に端を発するものではあるが、人そのものではなく、いまわの際に発せられた強烈な情念が忌門によって具象化されたものだ。もちろん、現実世界に具象化している以上、なんらかの物質的基盤を持っているはずで、実体をもたない幽霊の類いとは似て非なる存在のはずだがな」
「じゃあ、世に言う幽霊の多くはひょっとして……」
「その可能性はある。が、やはりいわゆる『幽霊』の大半は心理的な錯誤か認知的な錯覚だろう。そもそも忌霊現象は発生条件がかなり厳しいし、また、その条件を満たしていても、かならず忌霊が具象化されるとはかぎらない」
「どうして、ですか?」
「どんなに絶望していても、人は心の奥底では生に執着しているものだからだ。恨みがあるなら、生きて晴らせばいい。死んでしまっては、自分で恨みを果たすことはおろか、忌霊によって恨みが晴らされる瞬間を見届けることすらできない。実際、恨むのならば、忌能を獲得して忌能者となり、その力で恨みを果たす方がわかりやすいだろう?」
「それは……確かに」
「忌霊という現象が起こるためには、その現象を願ったものが、その願いの実現を強く望みつつも、自らの死については受け入れているという特殊な条件が必要になる」
「……ははぁ。そういうことか」
 拓真が皮肉げな笑みを浮かべた。
「どういう、ことです?」
「『鬼』になぶりものにされた後に殺されるという〈万代〉の儀軌は、そのような条件を整えるのに最適だと思わないか?」
「あっ――」
 瞬が息を呑む気配が伝わってきた。
「つまり、こういうことだね、姉さん? その〈万代〉とかいう祭祀は、忌霊を効率よく生み出すためのものだった、と。でも、なんでそんなことをする必要があったんだい?」
「ここからはわたしの推測でしかないが――おそらく、太古の昔にはここには本当に鬼がいて、実際に久瀬倉の巫女を人身御供ひとみごくうに捧げることで封じられていたんじゃないか?」
「なるほどなるほど。〈万代〉も最初は鬼を封じるための儀式だったし、おそらく最近まではそうだった。しかし、どこかで手段と目的とがすり替わった」
「おそらく、永年にわたる封印が功を奏し、鬼はその力を奪われ、ついに滅んだのだろう。実際、ここにある忌門には虫食い――部分的な活動停止箇所が見られる。鬼の消滅にともない、久瀬倉家側の世界認識が優勢になった結果、忌門の部分的なノーマライズが起こったのだろう」
「でも、忌門が完全に消滅するには至らなかった。くくっ。なぜなら――」
「人身御供に捧げられた久瀬倉家の巫女たちのなかには、自らの使命を不服とするものもいたにちがいない。毎度毎度、自己犠牲の精神に富んだ巫女が見つかるはずもなく、ときには力尽くで、ときには脅迫によって、命を捨てるよう強いられた巫女たちもいたはずだ」
「彼女ら強制された『巫女』、人柱にされた少女たちの怨念が、忌門によって具象化された。姉さん言うところの忌霊現象だ」
「忌霊として現実世界に定位された巫女たちの怨念は、鬼の消滅という事態をかならずしも歓迎しなかった」
「遠回しな言い方だね、姉さん。もっとはっきり言ったらどうだい? 忌霊となった巫女たちは嫉んだ・・・んだ。もう生け贄にされることのなくなった、未来の久瀬倉の巫女たちを、ね。アッハハハハッ! こりゃいいや、傑作だ!」
 拓真は腹を抱えて笑った。
「そ、そんな……それじゃあ……久瀬倉さんは……」
「そうだよ! いもしない『鬼』を鎮めるための生け贄にされかけてたってわけだ! その実態はといえば、巫女という名の恨みがましい鬼婆どもを鎮めるための慰み者さ。鬼婆どもは、みずからの味わった屈辱を当代の巫女に味あわせることで、自分たちの癒えがたい恨みを慰めてたってわけだ! アハハハハッ!」
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