αは僕を好きにならない

宇井

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本音

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 その夜、理人が楓にメールを送ったら電話が返ってきた。
 元気? そんな短い内容だったが、自分から発信するのは蓮との事があってから初めてだった。

『理人、メールありがと』
「メールの返信はメールでいいし、礼を言われる事もしてないし。メールしただけだし」

 理人は風呂上りで濡れた髪をタオルでぐしゃぐしゃと掻きまわしている。風呂に入る前に送ったから、楓からの着信は時間を置いて二つきていた。もう少ししたらこちらから返すつもりだったのに、再び着信があって驚きながら出たのだ。
 黒崎とのキスを昇華できないまま興奮していたのだが、それをどうにか楓へのメールで誤魔化そうとしたのだが上手くいっていない。

「電話なんて、もしかして急ぎの用でもあった?」
『全然ないよ。理人と話がしたかっただけ。声を聞きたくてもなかなか電話できなくて』
「どうして? 蓮さんの事での相談なら遠慮なんていらないのに」

 それは理人の本音だ。理人の心の中では蓮はもう苦い初恋として終わらせているし、楓との付き合いも変わらないつもりだ。
 前のように食事に誘われる事があったら、今度は最後まで笑顔でいられる自信がある。
 理人はタオルを椅子にかけ、耳と肩でスマホを挟み、サイダーのプルトップを引き上げひと口に含んでデスクに置く。理人はペットボトルではなく、この百ミリリットル缶の控えめさがが好きだ。

『黒崎さんと話した時、言われたんだ。僕のそれは甘えだけで友情じゃないって。僕もそう思う。で、ずっと考えてたんだ。考えた所で何も答えは出てないんだけどね』
「黒崎さんの言う事、真に受けなくていい。僕らの全部が……分かる訳ないんだから」
『でも、せっかくの機会だから言うよ。僕、昔から理人の事が好きだった。蓮さんとは違う意味で、友達としての好き』
「そんなの知ってるよ」
『違う、全然伝わってない。僕は理人の事が好きで好きで……どうしようもなく、好きだったんだ』
「楓?」

 思いつめたように好きを連呼する楓の異様さにようやく気付く。

『好きって言われても困るよね。でも僕の事を見て気持ち悪いとも言わないし、性的な気持ちも持たないで、それでいてよくしてくれる理人は、初めてできた友達だったんだ。だから理人が他の人と仲良くなると嫉妬した。僕の為に色々してくれるのは歓びだった。変だってわかってるけど、そうだったんだ。理人のたった一人になりたかったんだ』
「楓、落ち着いて。驚いたし引いたけど、それが楓だって納得できてるのは、お前は変な奴だってとっくに僕が理解しているからだ」
『甘えすぎってのは自覚してたんだ、昔から。理人を頼ってばかりだった。理人だけが友達だった。僕に深く関わろうとしてくれるのが嬉しかったし、理人が好きだった……今だって好き。ごめん、同じ事ばっかり言ってる』
「いいよ、もういい。僕が好きでやってた事に、楓が謝る事ない、けど……せっかくだから、こっちも言わせてもらおうかな」
『遠慮なく言って』

 何もかもを受けとめる事を決意したように、楓が息をのむのがわかった。

「ずっと蓮さんが好きだった。誰にも、特に楓にはとられたくないって思ってきた。小学生の頃からこの年まで、あの人だけを思ってた。なのに楓はたった数秒で奪っていった。こんな事になるんだったら……お前と仲良くするんじゃなかった……って気持ち、あった……」
『そうだよね。それが当たり前だよ。ごめん』
「いやこっちこそごめん、そんな事言われたら傷つくよな? 僕は楓を傷つけてる。好きって言ってくれてる友達を傷つけてる……」

 ばしっと言ってやろうと思ったのに、理人にはやっぱりできない。楓の溜息が聞こえてくる。

『理人~! もっと怒っていい場面なのにそこで謝っちゃだめだよ』
「だけど、これでもすっきりした……」
『ならいいんだけど。ねえ、あの時、高校生の時、困った事を理人に任せちゃってごめん。大変だったよね?』
「うん、大変だった……あの……えっと、楓にはわからないように色いろ隠してたけど……まあ平気」

 どう答えるのが楓の負担にならないかと、言葉がどちらにも飛ぶ。

『ごめんね。理人の為に、今の僕に何ができるだろうって色々考えてみたけど、謝る事しかできない。理人から離れるなんて事もできない。この先も友達でいたい。そうなると僕は、きっとこれからも無理をさせるのかな』

 楓は蓮の事を言っているのだろう。蓮と付き合う限り、理人に我慢を強いると思っているのだ。

「楓、僕も大人になったんだ。区切りがついている今、いつまでも蓮さんに未練はない。現に他の人に心が傾いてるんだ。だから、変わらず応援してる」
『ありがとう。理人、大好き』

 楓が鼻をすする音が伝わってくる。
 これほど人に好きと言われるのは初めてだ。言っている楓もそうだろう。そして自分の言葉に興奮して高ぶって泣いている。

「ねえ、蓮さんとはどう? そっちの事教えてよ」
『うん、仲良くやってるよ』

 子供じゃないだろうに何を仲良くと表現しているのだ。仲良くデートしてる、仲良くお泊りしてる? 何だかなぁと理人は笑っていた。

「じゃあ、そうやってずっと仲良くしていてくれ」
『そうする。けど昨日は蓮さんの親戚の高校生って子にばったり会って大変で。蓮さんがいない隙に散々なこと言われたよ。そりゃうちは蓮さんちと違って普通だけどさ……』

 あの言い草はないと楓はやっぱり涙声になる。

「いい男と一緒になるって苦労もあるんだな」
『本当だよ。親戚の集まりとかあったらどうなる事やら。いじめに耐えられる自信ないよ』
「でもそれを理由に別れはしないだろう?」
『もちろん!』
「だったら乗り越えられる」

 蓮と別れるなんて考えもした事がないのだろう。
 楓はやはり強い。

『ついでだからもう一つ告白するけど、三十過ぎても好きな人ができなかったら、僕は理人にプロポーズしてパートナーになってもらおうって決めてた。その気になったら僕だって理人を抱いて満足させてやれるって、断られても体から陥落してやるってさ』
「それは……聞かない方がよかったかもな」
『うわぁ、そんなに引かないでよ。そんな変態な考えじゃないでしょ』
「いや、充分だろ。楓はもう蓮さんと一生仲良くしててくれ。僕達は身体の接触が一切ない友達関係をこれからも続けよう」
『わかってるよ……今のは最後の手段だったんだからさ……』

 最後の手段とはいえ、いざとなるとする気だったのだ。
 本気で落ち込んでいるのだろうか、楓のしょんぼりしている様子が語尾から伝わってくる。

「落ち込むなよ。僕はいいけど、蓮さんにドン引きされるような事は言うなよ」
『わかってる。僕の理人への思いの異常だけど……だけどさ、あの人はもっと上をいく人だし……』
「え? あの人?」
『何でもない。それこそ理人は聞かない方がいい話だからいいんだ。蓮さん言ってたよ、理人は比賀の四番目の息子で、一生自分の弟なんだって。そうなると理人は僕の義弟とも言えるだろう? 新たな関係の始まりだって思う』
「お前の弟……僕がか」
『嫌?』
「世話のやける兄だな」
『ふふっ、でももう慣れてるでしょ? 末永くよろしくだよ』

 楓の声が切れ切れに聞こえるのは、横にでもなったからだろうか。
 理人は楓の家に一度だけ行った事があるが、純和風のどっしりとした建物で、楓の部屋も和室だった。十畳ほどの広さには、冬だったせいか小さなサイズのコタツが出ていて羨ましかった。

「もしかして、いまコタツで寝てたりする?」
『うん、当たり』
「ゴロゴロ寝ころんで、好きすきって叫んでたのか?」
『そう、問題ある?』
「ないよ、別に」

 まあ、ないよ全然。でもコタツで愛を叫んでいたのか。いいよな、コタツ。気持ちよさそうだしな。
 理人は楓とまともに話をするのを一旦諦める。
 じんわりとした温もりを想いながらベッドに腰掛ける。いまこの部屋を暖めているのは、エアコンの温い風だ。それは人間ではなく空間に空気を吐き出すだけだ。
 社会人になったいまでは買えない事もないのだが、大物だけに実際の購入には踏み切れない。
 しかも楓の部屋には理人が欲しかった物がもう一つある。それは学習机だった。
 木製の机には本棚があって、照明がくっついていて、キャスター付きの棚まであった。理人が買ってもらったのは親の好みで選んだスチールのデスクで、理人の好みは聞かれもしなかった。
 高校生だと言うのに、楓の机に妖怪キャラクターのデスクマットを見つけた時には、大声で騒いでしまったものだ。
 懐かしいなあ。

「なあ、まだ楓の机には妖怪いるの?」
『いる』
「よかった、そういうの聞くと何か安心する。もし要らなくなったら僕にくれない? あの耳の大きな妖怪ずっと好きだったんだ。からかってる訳じゃなくて本当に好きだったんだ。僕は、キャラクターもの買ってもらえなかったから」
『……いいよ。プレゼントする』

 少し拗ねたような返事だったが、馬鹿にするつもりがないと通じたようだ。飾らない楓はやっぱり幾つになってもそのままでいて欲しいと思う。
 あはっと笑いが零れて、そこから止めるのが難しくなってしまう。大きく一息つくまで時間がかかった。

『理人はさ、西さんでも黒崎さんでも、どっちとも幸せになれる気がする』
「はぁ?」
『だから、どっちを選んでも間違いないと思う。僕は黒崎さんが苦手だし、かといって西さんともろくに喋った事がなくて、微妙だけど』
「どうして二人の名前が出てくるわけ……唐突に」
『余計なお世話でも、理人には幸せになって欲しいんだよ。僕はずっと西さんと理人は思い合ってると思ってたし、黒崎さんの場合は……まあ、最初から何となく感じる物があって、二度目で会った時に確信したって感じ』
「楓、僕は」

 理人はスマホを両手で握り締める。

「僕は楓みたいに人に好かれてこなかったし、好意を向けられるなんて初めてで、信じられないよ。騙されてるんじゃないかって思ってしまう。それにもう泣きたくない」
『だったら、そう言ってみたらいい。僕が蓮さんにそうしたように、気持ちをぶつけてみればいい。きっと返ってくる物は予想以上に威力があるはずだから』

 まさか楓に発破をかけられるとは。
 理人は何とも不合理な気持ちでただ頷いた。
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