子豚の魔法が解けるまで

宇井

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 そしてファルさんの店の前でジェイクの姿を確認した時には、ジェイクは俺より小さな幼い子どもを、胸に抱えていた。
 さっきから甲高い声を出しているであろう女性は、四角い箱型の豪華な馬車に乗り込んでいて、開いた扉から上半身だけを乗り出している。
 細身な上にウエストはきゅっと細いのに、胸の肉がこんもり盛り上がっている。女性の胸に性的な興味はない俺でも目を奪われ凝視してしまう大きさだった。
 肌の出ているデコルテは薄いみたいだけど、作り物? 詰め物?
 女性のおっぱいに気をやっていると、彼女はまた喋りはじめる。誰にも口も挟む余地を与えないと言うように。
 
「だから、あなたの血をひいているからには、再婚先には連れて行けないの。この子もちっとも私になつかないし、養育係は辞めてしまうし。やっぱり男の子は父親が育てるべきよ。養育費だ何だと喜んでたのはうちの父親だけっ。そもそも私達の結婚が間違ってたのよっ、そうでしょう!?」

 馬車の扉があてつけるようにバタンと閉じられ、ばっちり化粧を決めた顔が窓からのぞく。まだ言い足りない事があるらしい。
 元々の素材がいいのにそれを台無しにするような白い厚塗り。もしかしたら、それがこっちの常識かもしれないと思ったけど、話し方からその中身まで、どうも鼻持ちならない女で気分が悪い。
 きっと我がまま盛りの十代後半。若いママだ。
 こんな派手な女子が学校にもいたよなって感じだ。素材の良さを台無しにして、ギャルコスプレに近くなってる化粧。こっちと日本では服装も髪型も全然違うけど、どこか通じる物がある。

 彼女はきっとジェイクの元奥さん、そしてジェイクの腕にいるのは二人の間にできた息子。彼女のたったひと言で、この場で起きていることのほとんどがわかった。
 ジェイクは結婚してたんだ。
 今は二十歳だろ。となると、かなり若い頃にパパになってたことになる。
 子供の年齢的に十代半ばすぎてからの子?
 だけどこの国の初婚年齢ってきっと低い。広場で遊ぶ仲間のお母さんたちを見ると何となくわかる。顔は大人っぽいのにどこか笑顔があどけなかったからだ。十代での結婚、それは珍しい事もなく、もはや主流なのかもしれない。
 店からファルさんが一度顔を出したけど、ジェイクの元奥さんの顔をみたら、すぐに興味を失ってひっこんでしまった。
 二人の問題だし、面倒な事に首をつっこみたくない、とでも思ったのだろう。
 そうなると俺がここでずっと動向を見守るのは違うのかもしれない。だけど、このまま部屋に戻る気になれず、手持ち無沙汰になって、何となく開いたままだったシャツのボタンをとめていく。それを終えると、ジェイクの肩に手をかけた子どもがこっちを見ている事に気付く。
 俺を見ている。
 親が争っている、というか母親が一方的に言い訳をまくしたててているのに、その状況がよくわかっていないのか、意識的に締めだしているのか、目が合うと俺に薄く微笑みかけてきた。
 髪がちょっと長くて顎で揃えたボブってところ。前髪も眉下で真っ直ぐに切られていて、髪型だけで言えば着物を着た日本人形を思わせた。
 この子の母親の発した言葉がなければ女の子と勘違いしただろう。
 かわいいな。
 顔はジェイクには似ていないけれど、母親によく似たシナモン色の髪に顔立ちは愛らしい。
 その子はジェイクの胸の中で、降ろしてくれと暴れて、持て余したジェイクが降ろそうとする。小さな足先が地面にとんとついた。そして、その子は真っ先に俺をめがけて走ってきて、ガツンと体当たりしてくる。
 うおっ。
 どうにか堪えたけれど、間違ったら横に倒れていたほど力が強い。
 敵認定されて突進されたのかと思ったけれど違うらしい。手でシャツを掴んできて俺に抱っこしろとせがむのだ。とても人なつっこい性格なのだろう。
 俺、暫定八歳、こいつ見た感じ三歳。まあ、いけるかと、俺はよいしょと抱っこした。そして、この場の声がはっきりと聞き取れない場所にまで歩いて行って立ち止まった。
 この子だって母親のそんな声は聞きたくないだろう。ましてや自分を否定する内容だ。
 何でもない顔をしてジェイクに抱かれていたけれど、俺はそれが不憫でならなかった。本当なら泣いて騒いで、不安な顔をしてもいいはずなのに、どうしてこの子はそんな場面で子供らしくあろうとしないんだろうって。
 泣いても受け止めてくれる人がいなかったのだろうかと、自分の近くに理解してくれる人はいないのだろうと、感情を出す事を諦めてしまったかのように見えたのだ。
 唯一コミュニケーションが取れていたのが養育係だったのなら、この子はずっと吐き出す場がなかった事になる。
 個性は人それぞれでそうだと断定はできないけど、何だかこの子が昔の俺みたいにも見えた。
 それにしても、小さく見えた子供も抱っこし続けていると重い。
 無理ではないが長時間はきつくなるだろう。
 だけど、そして子供の匂いは甘くて丸い感じ。もうお乳なんて飲んでないだろうに、なぜか乳臭さがする。
 子供っていい匂いなんだ。体温も高くてこっちがポカポカしてくる。

「トモエ……」

 しばらくするとジェイクが情けない顔で声をかけてくる。ここで大人ぶらない所がジェイクのいい所かもしれない。
 馬車はすぐに走り出し、砂を俺たちにひっかけて去っていった。

「ジェイク、俺、この子のことが大好き。俺がお世話してもいい?」
「トモエに気を使わせるな。でもありがとう。協力してくれると助かるよ」
「でも驚いたよ。ジェイクは結婚してたんだね。てっきりずっと独身なのかと思ってた」
「ああ、昔の話だ。しかし子供の存在だけは昔話にならないな」
「俺はジェイクの元奥さんが嫌いだ。子供は物じゃない……それに、子供から親を取り上げる……親であることを放棄するなんて、最低だ……」

 この子の母親はそれを放棄する事で、この子から母親を取り上げたのだ。だからこの子にはもう父親であるジェイクしかいない。
 俺も辛い思いをしてきたから、この子に近い気持ちが少しはわかる。
 子供はどんな扱いを受けても、親が好きだし信じたいし、変わってくれると願ってしまう。愛してしまう。
 ジェイクを責めたつもりはなかったけど、少し弱った顔をさせしまった。俺がジェイクの元奥さんを責める言葉がそのままジェイクにも刺さってしまったかのようだった。

「大人の事情に口出ししてごめん。だけど、再婚するからもう子供がいらないってそういうことかなって……ジェイクが忙しいなら、この子の面倒は俺がみる。奥さんの所にいるよりずっと、楽しくなるようにする。絶対」

 決意するようにぐっとその子の服を握った。
 ジェイクは驚いた顔を一瞬みせて俺の頭を撫でた。
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