こうもりのねがいごと

宇井

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 翌朝、パチリと目をさましたコウは焦っていた。

 お、おしっこ……

 ここへ来てから尿意を感じていなかったのに、目覚めた瞬間には満タンになっている。膀胱のことで頭がいっぱいになった。
 しかしコウの腰と背中にはアスランの腕ががっちり回され身動きがとれない。頭の上では規則正しい寝息がする。

 どうしよう、こんな所でちびっちゃったら……

 最終手段として蝙蝠になりこの腕から抜けて外ですればいいのだが、それまでにやれることはある。

「アスラン様……離して頂けませんか……アスラン様……」

 小声で話しかけるが反応はない。

「ごめんなさい……失礼します……」

 蝙蝠になろうとすると、アスランの腕に力が入り、コウの背中を引き寄せる。

 あうっ……!

 ちょっとした振動もコウにはやばい。何しろタンクは満水位なのだ。
 
「だめっ、でちゃいますぅ」
「ん……出る、何が出るのだ……」

 腕は力強いが頭が起きていないらしい、掠れたセクシーな声がする。アスランはもぞもぞと動いた後、急にガバリとバネが跳ねるように起き上った。
 コウから何かが出る。朝に言うことを聞かない何かが何かをコウの可愛いコウから出す……ん?

「出るとは、何がでるのだ。恥ずかしがらずに……教えてごらん」
「……トイレ、トイレに行かせてください……」

 まさに蚊の鳴くような声でコウは訴えた。
 何だそっちかとは思わない。可愛いコウが顔を赤らめ、もぞもぞと股間を押さえているのだ。

「わかった、連れて行く」
「いえ、僕は……うわっ、何をするんですかぁ……!」

 むくりと起き上ったアスランはひょいっとコウを肩に担ぐ。

 あうっ!

 お腹への圧は厳禁だと言うのに、一番守りたい部分をおもいっきり押されてしまう。

「すぐそこだ」
「降ろしてください……結構ですからぁ……あるけます」

 もう泣きそうだ。
 ハフハフ言う呼吸法で溢れそうなタンクを延命させている間に玄関から外に出る。

「ほら、コウ。この大自然全部がトイレだ」

 やっぱりそうですよね。

 何てことはない、屋外でするのはコウにとってごく普通のことだ。仲間の中には飛ながらする奴もいる。
 なのだが、降ろしてくれる気配がないままアスランは家の裏へとまわっていく。

 外は今日も明るく時間がはかれないが、三時過ぎてから眠ったのだから朝ではないだろう。なんてことを考え、気を紛らわせる。
 ここで我慢ができなくなったら、アスランをも巻き込む大惨事だ。絶対に漏らせない。
 ううっ。
 汗が滲む。
 つらい。

「ついたぞ。入れ」
「ここにですか?」
「シャツも洗った方がいいだろう、脱がずにそのままでいい」
「えーっ、なんでですかぁ」

 アスランはもう何も聞かずに、両脇の下に手を入れて、コウを泉の中に沈めた。
 そう、コウが連れてこられたのは小屋の裏にある泉だった。

 ぬるい、より少し高い温度。鳥肌が立つほどでもない水温だった。泉は宝石のような煌めく緑色で、水面が光を弾いている。
 どうしてシャツを着たまま? 泉が第二のトイレ? コウの疑問はつきない。
 足はすぐに水底に着いた。固い土の感触だ。何かが絶えず底から出ているようで、小さな気泡が水面に上がると、そこでパチリと弾ける。
 腰の上に水面があり、そこに気泡が次々と集まりシュワシュワとしている。

「どうだ?」

 どうもこうも……ここでどうしろと……あれ? おかしい。さっきまでの危機感が去っている。尿意が消え去った。
 嘘だ―っ、なんでえ!

「どうして、どこに、僕の、どこに行ったの」
「この泉は不要なものを消し去るのだ。時には一日もよおさない時もある。仕組みは聞くな、それは私も知らん」

 コウはようやく、昨日、指の油がいとも簡単に消えてしまった理由が水にあることを知った。

「すごいです。僕はここへ来てから、すごいしか言ってない気がします」
「私もそれに気付いて驚いたものだ。家の水道はここから引いたものだ。服もここで洗うぞ。服を泉にさらしておけば汚れは落ちる。面倒で浸けておいたら何をせずとも汚れが落ちていた。だからあれに詰めて沈ませ、忘れぬうちに引き上げたら水を絞って干すだけ。半日もすれば乾く」

 アスランが指さした方には、竹で編んだような荒い目の籠が置かれている。中に服が入っているようだ。洗うつもりで入れておいてそのままなのだろう。これもアスランのご先祖様が残した物なのだろう。

 連れて来られた家の裏には、美しいだけでなく便利な楕円の泉。
 湖ほどは広くないが、小屋一軒が丸ごと入るくらいの大きさがある。
 泉の周りには芝がぐるりとあり、籠の横には平らな岩がある。泉のあの一角は洗濯専用場なのだ。
 そして洗濯場の横には、物干し場。木の枝から枝に蔦のロープが等間隔で五本渡されている。まるでロープを掴んで次に渡っていく子供の遊び場のようだ。
 遊具ではないとわかっていてもワクワクしてしまう。蝙蝠になってブランコしながら飛び移っても楽しそうだ。大きなシーツだって何枚も干せるだろう。
  
「あれはアスラン様が渡したのですか?」
「ああ、木に巻き付いている蔦や落ちているものを繋いで括りつけたのだ。五本も渡したが、一本あれば十分だったな。それほど家事というものに疎いのだ。さて……」

 アスランは緩いサイズに縫われた寝衣を脱ぎ捨て、泉の洗濯場の方へ放り投げると、大きな飛沫を作るように足から飛び込んだ。

 ザブン。

 バシャンとコウの顔にも水が飛び目を閉じる。
 アスランの行動は早い。コウの後ろに回り込み濡れたシャツをはぎ取ろうとする。

「抵抗するな。はいバンザーイだ。両手を上げるのだ」
「ば? こうですか……ばんざーい?」
「そうそう。上手だ」

 水で濡れて素肌にくっつき肌色が所々に浮き出るのも色っぽい。しかしこの光の下で直接目にしたい。
 水を含み重くなったコウのシャツを放り出す。コウは寒くもないだろうに、腕を胸の前で交差させて自分を抱きしめるようにしている。
 
「何と言うか、恥ずかしいものですね。昨日もそうだったんですが、こんなに人を近くに感じるのは初めてなんです」
「そうか……そうだったか」

 ピタリとその背中にはりつかれる。
 固い。
 アスランの体は太くないくせに鋼のように固い。だけど肌を通して感じるのはそれだけではない。衣服越しでもその温もりを感じて、緊張しながらも熟睡できたのはこの温度のおかげだ。
 それが今は一枚の隔たりもない。
 熱くてどうにかなりそうだ。でもこの熱が離れてしまえば、コウはすぐさまそれを求めて手を伸ばしてしまうかもしれない。
 アスランの顎がコウの頭にのる。太い腕は何かから守るようにコウを抱きしめている。

 ん……?

 コウ首の下あたりにある腕に、鋭い刃で切ったような真っ直ぐで肉が盛り上がった線が走っている。それは二十センチほどで、新しくできた皮膚が他より白くなり目立っていた。

「これは、油断して切ってしまっただけだ。この傷はここへ来てから端の方から癒えている気がするのだ。少し桃色がかっているだろう。この泉は浄化だけでなく、治癒もする万能の泉かもしれない。まだ気づかぬ効果が他にもあるのだろう。だから、お前の翼も治るとは言えないが、今より酷くなることはないだろう」
「それが本当なら、試してみたいです。いいですか?」
「もちろん構わない。言っておくが、私はコウを醜いとは思わない。人であっても蝙蝠であっても、お前は嘘偽りなく美しい。ジイも同じように思ったはずだ」
「う、嘘……です」

 本気でそれを言うのかと、コウは首をひねり見上げる。するとがっちり組まれていた腕が緩み、コウは体ごとアスランに向き合った。
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