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学院編 13 悪役令嬢は領地を巡る

429 悪役令嬢は騎士に怯える

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アイリーン・シェリンズは憂鬱だった。何もない空間が白く光り、勿体ぶった態度の執事が現れた時、内心吐きそうな気持ちになった。
「……また、お呼びなのかしら?」
「シェリンズ嬢、お忙しいとは存じますが……」
寮の部屋はとても狭く、ビジネスホテルの部屋のような空間はベッドと机と洋服かけでいっぱいだ。そこに二人の人間が立っているのだから、必然的に距離が近くなる。若い執事が頭を下げようとした瞬間、彼を除けたアイリーンはベッドに倒れた。
「お加減が悪いのですか?」
「何でもないわよ。狭いだけ」
ぶっきらぼうに言って軽く睨んでやる。そこそこの美少女が睨んでも効果はないのか、執事はにこにこと彼女の手を引いて立たせた。
「それでは、参りましょうか。旦那様がお呼びですので」
アイリーンの返事も聞かずに、執事は転移魔法を発動させた。

   ◆◆◆

「私に、その町に行けと?」
アイリーンは言葉少なに正面の彼を見た。何度会っても後から正確に顔を思い出せない。何となく美形だったように思うものの、それすらも自分の作り上げた幻想ではないかと思えてくる。薄暗い室内は意図的に光魔法球を減らしていた。いくつかは点滅していて、魔力が尽きそうになっている。
「そうだ」
相手の男は短く答えた。
「フロードリン?なんて聞いたこともないわ」
「有名な工業都市だが……男爵家程度では、かの地の織物を買うこともなかったか」
カチン。
アイリーンは掌に光魔法を纏わせた。
「貧乏男爵家で悪かったわね」
現世の父はうだつが上がらない男ではあったが、とりたてて褒めるところもない地味な母共々嫌な人間ではない。
「そう怒るな。……今回の件が片付いたら、結婚式を挙げさせてやる」
「誰の?結婚式なんて……」
薄闇の向こうで、男がクックッと笑う声がした。
「勿論、王太子セドリックと……君のだ」
「まさか……」
「フロードリンに現れた娘は銀髪だそうだ。……領地を視察していたマリナ・ハーリオンは『偶然』起こった労働者の暴動で命を落とすんだ」
「なっ……!」
「マリナの最期に立ち会ったとでも言って、王太子に髪の一房でも持ち帰ってやればいい。ついでに彼女が遺言で君と王太子の結婚を望んでいたとでも」
「無理だわ。私の言葉なんか王太子は信じないし、マリナは王都に……」
カタ。
何かが机に落ちた。アイリーンが目を凝らすと、男はチェス盤の上のクイーンを掴みそっと口づけた。
「君は言われた通りにすればいい。……送ってやれ」
「畏まりました」
「あっ」
何か言い出そうとしたアイリーンの背中に手を当てると、執事は呪文を呟いた。

   ◆◆◆

お忍びの王太子と自称弟子を連れて、王都の市場へ魔法陣で転移した時、アリッサとエミリーは物々しい雰囲気に気づいた。
「……何かあったみたいだね」
セドリックが耳打ちする。魔法陣が設置された建物の外を、隊列を成した騎士達が歩いている。
「騎士みたいですね」
「……私達が王都を出たから?」
「それはないと思う。邸にいるようにジョンが偽装してくれたんだよね?」
「勿論」
窓から外を見たアリッサが震えあがった。
「皆さん、とても厳しいお顔をしていたわ」
「……事件発生?」
「市場には商店主が資金を出し合って雇っている警備隊がいるんだよ。ほら、ジュリアとアレックスが攫われた事件の後から。警備隊は騎士団と交流があるし、騎士がいてもおかしくないよ」
「それにしては、数が多すぎません?二十人以上いましたよ」
外を見に行ったセドリック少年が戻ってきて人数を報告した。
「何か話していたようだね」
「中にエラそうな若い人がいて、フローなんとかがどうって言ってました」
「フロー?」
「フロードリンのことかも。どうしよう、エミリーちゃん……」
「僕達が行ったエスティアと同様、フロードリンもコレルダードも、何か問題が起きているのは間違いないよ。騎士団が乗りこんだら、問題だらけの状況が明らかになる」
「……ハーリオン侯爵の不手際だと糾弾されるくらいには?」
「うん。急ごう。彼らが町に入る前に、フロードリンに行くんだ」
再度窓の外を一瞥し、セドリックは三人の肩を押して、魔法陣のある部屋へと急いだ。

   ◆◆◆

窓のない部屋で、マリナはぼんやりと天井を見つめていた。
両手首は紐を結ばれ、それぞれ左右のベッドの脚へと繋がれている。脚は自由になるが、動かそうとしても動かない。瞼は動かせても唇までは思うようにならない。
――痺れ薬かしら?それとも、魔法?
働かない頭で思いつくのはそれくらいだ。酒は抜けてきていて、身体が動かないのは酒のせいではない。一度脱走を図った自分を許すはずもなく、黒い集団――塀の中の犬は自分を一人で閉じ込めたのだろう。両手の自由が奪われたまま、どれほどの時間こうしていればいいのか。
――トイレに行きたい。
次にマリナが思ったことはそれだった。むしろ、それしか思わなかった。
アルコール度数が高いワインをがぶ飲みし、以降はトイレに行っていない。逃げ出すだけで精一杯だ。これが夏なら汗をかいて発散することもあるが、今は冬である。フロードリンは雪が殆ど降らず気候が穏やかな場所だが、汗をかくほど暑くはならない。
――トイレに行きたい。どうしよう、死活問題だわ。
敵のアジトから抜けられなければどうにもならないが、粗相をしてしまうのは、何より自分のプライドが許さない。
「誰か!誰かいませんか!」
――声が、出たわ!
ドアの方向へ声をかけた。反応はない。見張りがいるのかいないのか、いても返事をしないのか分からない。
「お願い!いたら返事をして!」
悲痛の叫びに応えてドアを開けた男が、廊下へ顔を向けて手招きをしている。
――何……?他に誰かいるの?
対格の良い彼の背後から現れたのは、ふわふわしたピンク色の巻き毛を持つ誰からも愛されるはずのヒロインだった。

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