穢れた、記憶の消去者

木立 花音

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第二章「神崎柚乃」

第二話【違っているのは時間か? 記録か?(1)】

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 約束を破ることに、過剰なまでの恐怖を覚えるようになったのは、はたしていつからなのか。
 きっかけは、おそらく私が中学二年の冬の日の出来事にある。この日は、西高東低の冬型の気圧配置で、記録的な寒波が云々かんぬんとテレビで報道されていて、ようは、都心部でも雪が降るようなとても寒い日だったのだ。
 当時私は、内申書が良くなるぞ、との先生の勧めもあって、委員会活動なるものに勤しんでいた。とは言っても、会計という木っ端の仕事だったが。
 年度末の会計処理をしていた私は、生徒会室でうんうんと唸っていた。
 どうしても数百円ほど計算が合わず、春先からの伝票と領収書を何度も見返していた。
 ふと、目を向けた窓の外はみぞれ雪。時刻はすでに十七時をまわっていた。
 これは遅くなる旨を一度施設に入れないとダメだな、と判断し、クラスメイトからスマホを借りて電話をかけた。

『そっかあ、柚乃ちゃんも大変ね。ところで、美優ちゃんもまだ帰ってきてないんだけれど、まだ学校にいるの?』

 擁護教諭の声で、自分の愚かさに気がついた。駅前のクリスマスイルミネーションを一緒に見にいこうよと、この日私は姉と約束をしていたのだ。予期せぬトラブルに追われているうちに、すっかり失念してしまっていた。
 私と姉は、クラスも所属している部活動も違うので、学校を出る時間が合わないことが多い。そのため、現地集合にしていた。
 今日は天気が悪いというのに。
 血の気が――引いた。

「会計の仕事なんですが、明日に一部残してもいいでしょうか?」

 そう先生に告げて了承をもらうと、すぐに学校を飛び出した。
 まずい、まずい、と連呼しながら、駅までの道をひた走った。
 しかし、待ち合わせをしていたベンチにも、喫茶店の中にも、ファーストフード店にも姉の姿はない。雪はさっきよりも激しく降っていた。吐く息が煙ってしまうほど辺りは凍てついているのに、背中には気持ちの悪い汗をかいていた。自分たちがスマホを持っていないのを、こんなに呪った日はなかった。
 どうしよう。どこかで行き違いになっているのだろうか。
 駆けずり回って、もう探す当てがなくなって、引き返そうとしたそのとき、正面からやってきた姉と出くわした。
「あ」と二人の声がそろって、それから二人で顔を見合わせて小さく笑った。心配した、と姉が私を抱きしめた。
 いつまで経っても私がこないので、心配になった姉は一度学校まで戻ったらしい。その道中でおそらく私と行き違いになった。
 私がすでに出たことを学校で誰かから聞き、引き返してきて私を見つけたのだ。
 遅くなるのを伝えていなかったこと。
 約束を完全に忘れていたこと。
 どう考えても非は私の側にあったが、委員会活動じゃしょうがないよ、と姉は笑って許してくれたのだ。

「お姉ちゃん。体、冷えているよ」

 時刻はすでに十九時を過ぎていて、抱きしめ返した姉の体は、まるで氷のように冷たかった。
 次の日から、三十九度の熱を出して姉は学校を三日休んだ。
 この日から、私は怖くなった。街合わせの時刻に遅れるのが。約束事をすっぽかすのが。

   *

「柚乃、着いたよ」と楓に言われて目が覚めた。

 知らず知らずのうちに、眠ってしまっていたらしい。楓の車は、ピザ店の駐車場に停まっていた。

「ごめん。自分の用事で車を出してもらったのに、悠長に寝ちゃって」
「疲れているんじゃないの?」と茶化すみたいに楓が言う。
「そう……かもね」

 薫さんの家を出てから、眠れない日が多くなった。それがたたって、日中でもふとした瞬間に睡魔が襲ってくるのだ。
 頬を二度叩いて気合いを入れる。

「んじゃ、行こっか」

 今度は私から促して、二人で車を降りた。

 用件を伝えると、四十代と思しき男性の店長の顔が露骨に曇った。こいつは門前払いだろうか、と危惧したが、楓が探偵事務所の名刺をちらつかせると店長の態度が変わる。

「ええと……。少々お待ちください」

 事務室然とした部屋に通されて、困惑した顔で頭をかきつつ店長が奥の部屋に引っ込んでいった。

「ありがとね、楓」
「ううん」と彼女がウインクで返す。

 私が伝えた用件は、『葉子さんが亡くなった日の夕方の、ピザの宅配記録を見せてほしい』というものだった。店内に踏み込んできて、注文もせず、不躾に用件を伝えたのはしかも二十歳そこそこの小娘だ。どう考えても怪しい。
 それでも、しぶしぶながらに応じてもらえたのは、間違いなく楓の名刺の神通力だろう。
 今日ほど、楓がいてくれて良かったと思ったことはない。
 日にちを出したとき――店長の顔色が変わった気がした。もしかすると、一年前にも警察の人が同じ質問をしていったのかもしれない。
 いや、していったのだろう。
 待たされること十分。一冊のファイルを片手に店長が戻ってくる。
 店長は、私たちと向き合うようにソファに座ると、テーブルの上にファイルを広げた。

「七月七日の十六時から十八時の間に入っていた宅配は三件。そのうち、問題のマンションへの宅配は一件ですね」
「注文をした、マンションの住人の名前をお伺いしても?」
「これ、本当はまずいんですけどね……」

 個人情報保護法が云々と理由を並べてしぶりながらも、店長が資料に目を通し始める。

「仁平薫様。宅配先は510号室。お届けした時間は十七時三十分ですね」

 ピザの宅配記録はちゃんとあった。問題はなさそうだな、と納得しかけて違和感に気づいた。

「あれ? 宅配の時間は、本当に十七時半で合っていますか?」
「え?」
「マンションの住人は、このピザを十八時に受け取っているんですよ?」

 隣の楓が怪訝な顔になる。「その資料、見せてください」と言う。
 ファイルを受け取って確認してみると、配達記録の欄には確かに十七時三十分と書いてあった。

「記録が間違っている可能性は?」
「うーん……。まあ、記録は宅配をした本人がしていますからね。人の手によるものである以上、絶対にエラーがないとは言い切れませんが。けれど、宅配時間に関するクレームはこの日届いていませんし、おそらく記録通りではないかなと」

 そう言って店長が胸を張る。となると、記録上のミスか? あの日の監視カメラの映像を見た限りでは、宅配員がマンションに入ったのは十八時を過ぎてからだ。この微妙な食い違いはいったいなんだ? よくわからない。

「制服の切り替えは、全店で一斉に行われますか? 昨年の夏頃に、制服のデザインが一部変わっていますよね?」
「え? ええ、まあ。基本的には一斉に切り替えますよ」
「一部の宅配員のみが、旧式の制服を一定期間着用していた可能性は?」
「いや、もちろんゼロではありません。洗濯をしていて替えがたまたまなかった、ということだってあるでしょうし。そのへんは……各々に任せているのでなんとも」

 見間違えているだけだろうか。……どこかひっかかるんだけどな。

「わかりました。ご協力をいただきまして、ありがとうございました」

 頭を下げて、腰を浮かしかけたそのとき、「あの」と店長が私たちを呼び止める。

「はい?」
「失礼ですが、警察のほうから依頼をされて今日はこられたのですか?」

 警察? と楓と顔を見合わせた。

「いえ、そういうわけではありません」

 ついでなので、疑問は晴らしておくことにした。

「もしかして、一年前にも警察の方がきて、同じ質問をしていったとか?」
「はい。一年前にもきています。しかしそれとは別に、つい先日もまた警察の方がこられたのですよ。それで、何か捜査に進展があったのかな? と思ったもので」

 一年前にもきているだろう、とは予測していた。それはいいとして……先日だって?
 これには、再び楓と顔を見合わせる他なかった。

   *
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