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第三章「其々の、恋愛事情」
Part.26『和解』
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「ああ、その部分だけどね……この表現に変えるといいよ。ここと、ここ。二重表現になってるから」
「うわ、本当だ……恥ずかしい。ありがとうございます」
放課後、いつもの文芸部の部室。
行き詰っていた文化祭用の小説を推敲するため、今泉先輩に読んでもらっている最中だった。『相談に乗ってもらっていた』なんて嘘をついて未来さんの追及を逃れていたものの、本当に相談をしたのは今日が初めてである。
文章力の高い先輩らしく、されるアドバイスは適切かつわかりやうい。もっと早く見てもらうべきだったと、今さらのように思う。
……まあ、それはともかくとして。
さっきから、パソコンの画面を覗き込むときの顔がやたらと近いんですけど、先輩。
『加護さんと話しているとき、良い顔で笑う』なんて未来さんに言われたものだから、いつもの何割か増しで彼の存在を意識してしまう。
肩が触れるたびに心臓が跳ねる。紅潮しているであろう顔をそっと背ける。緊張しているのを悟られたくなくて、椅子を遠ざける私がいた。
「これ、文字数どのくらいで完結させる予定?」
彼が二センチ椅子を寄せてくる。
「今のところ、五万文字から七万文字くらいで収まる予定です」
私は三センチ椅子を遠ざけた。
「なるほど」と先輩は頷いた。「なんで逃げるの?」
「に……逃げてましぇん! 何を言ってりゅんですか!」
噛み噛みの上に声が裏返った。いくらなんでも動揺しすぎだろ、私。
「まあ、いいけど」
興味無さげに会話をぶった切ると、先輩は考え込んだ。
無関心ですか。それはそれで複雑です。
「でも――五万文字か。うん、ちょうどいいくらいかな。誰にでも読みやすい手軽な文章量って、案外そのくらいなんだよ」
はあ、そんなものか、と私は思った。
「でも、五万文字じゃあ物足りなくないですか?」
「もちろん、公募に出すなり書籍化を見すえて書くのなら、最低でも十万文字前後は必用になるだろうけど、慣れないうちからそんなの意識しなくて良いよ。この辺の匙加減が難しくてね……文字数を意識するあまり、無駄な描写が増えたんじゃ本末転倒になりかねない」
「それは、なんかわかります……。ごちゃごちゃして読みにくいと感じるときがありますよね」
もちろんそれでも、しっかりと構成された文章ならいい。『よくわからないけど描写を増やしました』なんていうのが、一番困るパターンだろう。
「書き足した文章のそれぞれに、意味を持たせないといけないからね。登場人物のどうでもいい過去とか、特に意味のない心情描写とか、視点を変えて繰り返す同じシーンとか、意図なく展開される会話文とか、最悪なのはその辺りかな。そんなもん、誰だって読みたくないってわかるだろ? だから、『読んでもらう』文章を書くように、常に意識していないとダメなんだ」
「んー……。結構気をつけるべきポイントは多いんですね……メモしておきます……」
『意味のない心情描写』とか、特にグサっときた。私の書いている小説に、めっちゃ心当たりがあります。
「それで……どうでしょう、私の小説。ちゃんと面白くなっていますか?」
「そうだなあ……」
先輩が腕組みをして黙考する。即答できないってことは、それなりに課題が多いのだろうなあ。
「課題は結構あるね」
「……ですよね」
予測はしてたけど、やはり落胆してしまう。
「まず、主人公がなぜ彼に惹かれるようになったのか、そこをもっと説明したほうが良い。それから、ところどころで展開を急いているように感じられる」
「急いている?」
「そう。どうしてそんな風に見えるのかというと、端的に言って描写が足りない。場面が切り替わったときの説明が不十分なまますぐ会話文に入ろうとしているから、頑張って地の文での説明を加えること。読み手が情景を思い描けないまま、ぽんぽんと場面だけが進んでしまっているからね。登場人物が何を感じているのか想像して、もっと描写をしたほうがいい。あとさ、ここの文章、自分でも違和感あるでしょ?」
「あ、わかりますか。その通りです」
「そもそも、文章の並びがおかしい。こことここの行を入れ替えてごらん。その上で、前後を含めて推敲を重ねれば、違和感のすべてが消えるよ」
「うわっ、本当だ。全然気づきませんでした」
「それで、肝心のストーリーなんだけど……」
きた。胃が痛い。膝の上で拳を握る。
「わりといいね。設定も構成もちゃんと練られているし、後半の展開は結構心に響くものがあるよ」
「あ、ありがとうございます」
うわあ、ちゃんと褒められた。私の人生において珍しいイベントだぞこれは。「ずるいです。私のも見てください」と明日香ちゃんにせがまれると、先輩は向こう側の椅子に移動していった。
「青春だなあ」
しんみりと部長が呟いた。
「部長も小説書いたらいいじゃないですか?」
「僕はダメなんだ。なぜかはわからないけれど、僕が書くと、何を伝えたいのかわからない、抽象的な文章になるらしいんだよね。以前今泉君に、小説を書きましょう、と酷評されたことがある」
「部長。その話、ちっとも笑えないんですけど……」
そのとき、部室の扉がカラカラと控えめな音を奏でながら開くと、数日振りに未来さんが姿を現した。
「生天目君……」
「すみません部長、ご迷惑をおかけしました」
未来さんは部長に深々と頭を下げたあと、今泉先輩の席に移動する。先輩は立ち上がって迎えると、神妙な面持ちで彼女の第一声に耳をかたむけた。
「許してもらえるとは思っていない。でも、頭を下げない限りは何も始まらないので、まずはこの言葉を伝えます。ごめんなさい」
未来さんは先輩に深く頭を下げると、ゆっくりと顔を上げ彼と向き合った。
「私、あれから色々考えて、すごく反省して、どうしたら京に許してもらえるかと考えた……。でも結局、答えはひとつしか見つからなかった」
そこで彼女がすうっと息を吸い込んだ。
「文学賞の特別賞の件、私から連絡を入れて辞退した。出版社のほうには結構反響があったみたいだけど、自分の作品じゃなかったことを伝えて、そこから先の──出版云々の話も、全部なかったことにしてもらった」
今泉先輩が、「うん」と頷いた。
「これだけは信じてほしいの。私は京の小説が大好きだし、それを世間に広く認知してもらいたいと思っているのも本当。私のしたことは間違いだったけれど、その気持ちに嘘はないから。それと……」
未来さんは一度言葉を切ると、今泉先輩の瞳をまっすぐ見すえる。強い覚悟をたたえた亜麻色の瞳と、黒い瞳が正面からぶつかった。
「私、やっぱり京のことが好き。この気持ちだけは偽れない。でも、私のことを、もう一度好きになってほしいとは言わないし言えない。今の私に、そんなことを願う資格なんてないから。でも……これだけはお願いします。これからもずっと、私を文芸部の仲間でいさせてください」
一息に吐き出すと、彼女は私に向かってちらりと目配せをした。交わされる言葉がそこになくても、私には伝わる。それは……。
未来さんから、私に贈られた『エール』
だから私も、力強く顎を引く。彼女から渡されたバトンをしっかり受け取って、頑張ろうと心に誓いながら。
未来さんも頷き返すと、再び先輩の目を見た。それから、意を決したように右手を差し出した。先輩の顔から緊張の色が融けだすと、しっかりと彼女の手のひらを握り返した。
「ありがとう。ちゃんと自分の言葉で伝えてくれたこと、嬉しく思うよ。俺は残念ながら、未来の気持ちの全てに応えてあげることはできそうにないけれど、それでも未来が仲間であることに変わりはないから。だから、これからも──よろしくお願いします」
先輩が未来さんの背中に手を回して抱き寄せると、彼女の頬を一筋の涙が伝う。未来さんが慌てて指先で拭うも、涙は次から次へと、止め処なくこぼれ落ちていった。形の良い口元が歪んで嗚咽が漏れ始めると、先輩の体に手を回して強く泣いた。
部長が抱き合う二人からそっと視線を外して、明日香ちゃんは満足したように笑みをこぼした。「さて、と」私もパソコンのディスプレイを見つめて、キーボードを叩き始める。
この瞬間、文芸部は元通りの五人に戻る。
明日からは、文化祭に向けて最後の追い込みに入っていかなければならないだろう。遅れている執筆作業を思うと気が滅入りそうになるけれど、それでも大丈夫だろうと私は思う。みんな顔には笑顔の花が咲いていたし、窓の外に広がる空は、こんなにも晴れているのだから。
「あ、そうだ」と私は思い出したように身を屈めると、鞄の中を探り始める。
「今泉先輩にプレゼントがあるんでした」
「な、なんだい」
緊張気味に喉を鳴らした先輩に、私は紙の束を差し出した。
「リレー小説ですよ。最後の締め、よろしくお願いしますね」
私がニッコリと微笑んだ瞬間、張り詰めていた緊張の糸が切れる音がした、気がした。
「うわ、本当だ……恥ずかしい。ありがとうございます」
放課後、いつもの文芸部の部室。
行き詰っていた文化祭用の小説を推敲するため、今泉先輩に読んでもらっている最中だった。『相談に乗ってもらっていた』なんて嘘をついて未来さんの追及を逃れていたものの、本当に相談をしたのは今日が初めてである。
文章力の高い先輩らしく、されるアドバイスは適切かつわかりやうい。もっと早く見てもらうべきだったと、今さらのように思う。
……まあ、それはともかくとして。
さっきから、パソコンの画面を覗き込むときの顔がやたらと近いんですけど、先輩。
『加護さんと話しているとき、良い顔で笑う』なんて未来さんに言われたものだから、いつもの何割か増しで彼の存在を意識してしまう。
肩が触れるたびに心臓が跳ねる。紅潮しているであろう顔をそっと背ける。緊張しているのを悟られたくなくて、椅子を遠ざける私がいた。
「これ、文字数どのくらいで完結させる予定?」
彼が二センチ椅子を寄せてくる。
「今のところ、五万文字から七万文字くらいで収まる予定です」
私は三センチ椅子を遠ざけた。
「なるほど」と先輩は頷いた。「なんで逃げるの?」
「に……逃げてましぇん! 何を言ってりゅんですか!」
噛み噛みの上に声が裏返った。いくらなんでも動揺しすぎだろ、私。
「まあ、いいけど」
興味無さげに会話をぶった切ると、先輩は考え込んだ。
無関心ですか。それはそれで複雑です。
「でも――五万文字か。うん、ちょうどいいくらいかな。誰にでも読みやすい手軽な文章量って、案外そのくらいなんだよ」
はあ、そんなものか、と私は思った。
「でも、五万文字じゃあ物足りなくないですか?」
「もちろん、公募に出すなり書籍化を見すえて書くのなら、最低でも十万文字前後は必用になるだろうけど、慣れないうちからそんなの意識しなくて良いよ。この辺の匙加減が難しくてね……文字数を意識するあまり、無駄な描写が増えたんじゃ本末転倒になりかねない」
「それは、なんかわかります……。ごちゃごちゃして読みにくいと感じるときがありますよね」
もちろんそれでも、しっかりと構成された文章ならいい。『よくわからないけど描写を増やしました』なんていうのが、一番困るパターンだろう。
「書き足した文章のそれぞれに、意味を持たせないといけないからね。登場人物のどうでもいい過去とか、特に意味のない心情描写とか、視点を変えて繰り返す同じシーンとか、意図なく展開される会話文とか、最悪なのはその辺りかな。そんなもん、誰だって読みたくないってわかるだろ? だから、『読んでもらう』文章を書くように、常に意識していないとダメなんだ」
「んー……。結構気をつけるべきポイントは多いんですね……メモしておきます……」
『意味のない心情描写』とか、特にグサっときた。私の書いている小説に、めっちゃ心当たりがあります。
「それで……どうでしょう、私の小説。ちゃんと面白くなっていますか?」
「そうだなあ……」
先輩が腕組みをして黙考する。即答できないってことは、それなりに課題が多いのだろうなあ。
「課題は結構あるね」
「……ですよね」
予測はしてたけど、やはり落胆してしまう。
「まず、主人公がなぜ彼に惹かれるようになったのか、そこをもっと説明したほうが良い。それから、ところどころで展開を急いているように感じられる」
「急いている?」
「そう。どうしてそんな風に見えるのかというと、端的に言って描写が足りない。場面が切り替わったときの説明が不十分なまますぐ会話文に入ろうとしているから、頑張って地の文での説明を加えること。読み手が情景を思い描けないまま、ぽんぽんと場面だけが進んでしまっているからね。登場人物が何を感じているのか想像して、もっと描写をしたほうがいい。あとさ、ここの文章、自分でも違和感あるでしょ?」
「あ、わかりますか。その通りです」
「そもそも、文章の並びがおかしい。こことここの行を入れ替えてごらん。その上で、前後を含めて推敲を重ねれば、違和感のすべてが消えるよ」
「うわっ、本当だ。全然気づきませんでした」
「それで、肝心のストーリーなんだけど……」
きた。胃が痛い。膝の上で拳を握る。
「わりといいね。設定も構成もちゃんと練られているし、後半の展開は結構心に響くものがあるよ」
「あ、ありがとうございます」
うわあ、ちゃんと褒められた。私の人生において珍しいイベントだぞこれは。「ずるいです。私のも見てください」と明日香ちゃんにせがまれると、先輩は向こう側の椅子に移動していった。
「青春だなあ」
しんみりと部長が呟いた。
「部長も小説書いたらいいじゃないですか?」
「僕はダメなんだ。なぜかはわからないけれど、僕が書くと、何を伝えたいのかわからない、抽象的な文章になるらしいんだよね。以前今泉君に、小説を書きましょう、と酷評されたことがある」
「部長。その話、ちっとも笑えないんですけど……」
そのとき、部室の扉がカラカラと控えめな音を奏でながら開くと、数日振りに未来さんが姿を現した。
「生天目君……」
「すみません部長、ご迷惑をおかけしました」
未来さんは部長に深々と頭を下げたあと、今泉先輩の席に移動する。先輩は立ち上がって迎えると、神妙な面持ちで彼女の第一声に耳をかたむけた。
「許してもらえるとは思っていない。でも、頭を下げない限りは何も始まらないので、まずはこの言葉を伝えます。ごめんなさい」
未来さんは先輩に深く頭を下げると、ゆっくりと顔を上げ彼と向き合った。
「私、あれから色々考えて、すごく反省して、どうしたら京に許してもらえるかと考えた……。でも結局、答えはひとつしか見つからなかった」
そこで彼女がすうっと息を吸い込んだ。
「文学賞の特別賞の件、私から連絡を入れて辞退した。出版社のほうには結構反響があったみたいだけど、自分の作品じゃなかったことを伝えて、そこから先の──出版云々の話も、全部なかったことにしてもらった」
今泉先輩が、「うん」と頷いた。
「これだけは信じてほしいの。私は京の小説が大好きだし、それを世間に広く認知してもらいたいと思っているのも本当。私のしたことは間違いだったけれど、その気持ちに嘘はないから。それと……」
未来さんは一度言葉を切ると、今泉先輩の瞳をまっすぐ見すえる。強い覚悟をたたえた亜麻色の瞳と、黒い瞳が正面からぶつかった。
「私、やっぱり京のことが好き。この気持ちだけは偽れない。でも、私のことを、もう一度好きになってほしいとは言わないし言えない。今の私に、そんなことを願う資格なんてないから。でも……これだけはお願いします。これからもずっと、私を文芸部の仲間でいさせてください」
一息に吐き出すと、彼女は私に向かってちらりと目配せをした。交わされる言葉がそこになくても、私には伝わる。それは……。
未来さんから、私に贈られた『エール』
だから私も、力強く顎を引く。彼女から渡されたバトンをしっかり受け取って、頑張ろうと心に誓いながら。
未来さんも頷き返すと、再び先輩の目を見た。それから、意を決したように右手を差し出した。先輩の顔から緊張の色が融けだすと、しっかりと彼女の手のひらを握り返した。
「ありがとう。ちゃんと自分の言葉で伝えてくれたこと、嬉しく思うよ。俺は残念ながら、未来の気持ちの全てに応えてあげることはできそうにないけれど、それでも未来が仲間であることに変わりはないから。だから、これからも──よろしくお願いします」
先輩が未来さんの背中に手を回して抱き寄せると、彼女の頬を一筋の涙が伝う。未来さんが慌てて指先で拭うも、涙は次から次へと、止め処なくこぼれ落ちていった。形の良い口元が歪んで嗚咽が漏れ始めると、先輩の体に手を回して強く泣いた。
部長が抱き合う二人からそっと視線を外して、明日香ちゃんは満足したように笑みをこぼした。「さて、と」私もパソコンのディスプレイを見つめて、キーボードを叩き始める。
この瞬間、文芸部は元通りの五人に戻る。
明日からは、文化祭に向けて最後の追い込みに入っていかなければならないだろう。遅れている執筆作業を思うと気が滅入りそうになるけれど、それでも大丈夫だろうと私は思う。みんな顔には笑顔の花が咲いていたし、窓の外に広がる空は、こんなにも晴れているのだから。
「あ、そうだ」と私は思い出したように身を屈めると、鞄の中を探り始める。
「今泉先輩にプレゼントがあるんでした」
「な、なんだい」
緊張気味に喉を鳴らした先輩に、私は紙の束を差し出した。
「リレー小説ですよ。最後の締め、よろしくお願いしますね」
私がニッコリと微笑んだ瞬間、張り詰めていた緊張の糸が切れる音がした、気がした。
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