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第一章「関係の始まり」
【痴漢に、家でも触らせてみた(3)】
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「……落ち着いた?」
「はい。ありがとうございます」
りのが恥ずかしそうに笑う。頭に乗せていた手を背中に回したとき、ふと違和感に気付いた。なぜ、今まで見過ごしていたのだろう。
彼女に触るのを控えていたからか。それとも、彼女を癒している自分に満足し、肝心なものを見失っていたからか。
――りのの背中に、火傷の痕があった。
肩甲骨にかけて、黒ずんだ痣がいくつかある。はっきりと、痛々しく。
たとえば、これがヤカンのお湯がかかったような火傷跡なら、何かしら、不慮の事故があったせいだろうなと私も思う。だが、それはありえないんだ。
おそらくこれは、煙草の火を押し付けられてできたものだから。
一体なぜ?
何があって、誰に付けられたものなのか。
父親はいないと言っていた。なら、必然的にこれは母親に付けられたものだ。
どうして話してくれなかったのだろう。いや、別に私に話す必要はない。
わからないことだらけで頭の中がぐちゃぐちゃだ。今すぐ問い詰めたい衝動に駆られるが、それは逆効果だ。せっかく彼女は落ち着いたのに、いま痣の話をしたら、また怯えてしまう。遠回しに、慎重に真相を引き出さなければ。
「赤嶺さん、こっち向いて」
「……はい」
りのの瞳にかすかな緊張が滲む。彼女を安心させるために笑みを浮かべ、「大丈夫だよ」と抱きしめた。一瞬だけ身を震わせた彼女だったが、ためらいがちに私の背中に手を回した。
しばらく、静かなときが流れた。彼女の呼吸が落ち着いているのを見てから口を開いた。
「赤嶺さん、今日はいつもより積極的だね。なんか……あった?」
いつもより、どころではなく積極的だったが、彼女の反応を見るため、あえて軽いトーンで訊ねた。
「……うーん。別に、何もないですよ。ただ、一ノ瀬さんに早く会いたかっただけ」
りのは瞳を逸らした。声色に、かすかな震えが混じっていた。
「ふふ、そう? だとしたら嬉しいな。私も赤嶺さんに会うとほっとするよ」
笑顔を保ちながら、話題を少しだけずらす。
「でも、今日の赤嶺さん、いつもより元気がない気がする。学校で何か嫌なことあった?」
「学校……うん、普通、かな。いつも通りです」
言葉は短く、視線が床に落ちる。表情に変化はない。学校が原因ではないのかな。
「そっか、普通か。……でもさ、なんでもないことがストレスになってしまうことってあるよね。私も昔、学校で嫌なことがあって、それを家に帰ってからも引きずっていたことがあった。学校にいるときはなんでもないつもりでいたけど、一人になると段々苦しくなってきて。そういうときは、誰かに話を聞いてもらうと楽になるよね」
自らの経験を交えて共感を示し、話しやすい空気を作る。
「……そう、ですね」
りのは曖昧に頷いた。やはり何か隠しているな、という直感があった。
「私じゃ力になれないかな? それとも……私じゃ信用できない?」
わざと悲しげな表情を作ってみせると、りのは慌てたように首を振った。
「そんなことないです! 一ノ瀬さんはいつも優しいし、信用しています!」
「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいよ」
否定しなかったな、と思う。
「大したことがないならいいけど、もし何かあるんだったら、いつでも遠慮なく言ってね?」
「……はい。ありがとうございます」
りのは微笑んで見せたが、その笑顔はどこか作り物めいていた。
背中の、痣がある場所に指を這わせた。ぴくんと一度身体が跳ねる。心の傷に、直接触れたときみたいな反応だった。身じろぎをしていた彼女だが、そのあとは黙って私の手を受け入れている。
「痛かったね」
ここまできたら単刀直入だ。優しく、けれど核心に迫る声で訊ねる。
「……はい」
「どうしたの? 誰かにやられたの?」
りのは答えない。一度目を伏せてから、意を決したように私を見た。いつものクールな表情で感情が読み取れない。
「私が悪いんです」
「どういうこと?」
ここで感情的になってはいけない。あくまで冷静にだ。
「……階段で転んじゃったんです。……それで、ちょっと強くぶつけて」
ぶつけた? 火傷痕かどうかはさておき、この痣はどう見ても人為的に付けられたものだ。鋭利なもので傷付けられたか、あるいは、人体に有害な薬物を塗られたか、そういった類のものにしか思えない。
「そっか、ぶつけちゃったんだ。……うーん、なんか赤嶺さんって思ったよりおっちょこちょいなんだね。でも、大丈夫? ぶつけた場所が化膿したら良くないから、ちゃんと消毒したほうがいいかも」
「……ううん、大丈夫です。痛みはもうほとんどないから。すぐ治ります」
これ以上追及されたくないという拒絶を感じた。これは嘘だ。私の疑念は深まるばかりだが、ここで問い詰めるわけにもいかない。
「うん、わかった。……でもさ、赤嶺さん。なんかあったらすぐ言ってね。約束だよ?」
「……はい、約束します」
りのは頷き、私の手をぎゅっと握った。安心しきった表情をしている。
彼女はまだ何かを隠しているが、それを私に話してはくれない。私のことを十分に信頼していないから、秘密を打ち明けられないのだろうか。いや、違う気がする。もっと別の理由があるのだろう。
「あの……」
「ん?」
「一ノ瀬さん、また来てもいいですか……?」
りのがおずおずと切り出した。私は微笑んで頷く。
「うん、もちろんいいよ」
「ありがとうございます!」
りのはぱっと花が咲いたような明るい笑顔を浮かべた。だが、その笑顔にはどこか影があった。
話してくれない理由はわからないが、彼女が私を必要としているのは確かだ。なら、今はそれでいいと思う。本当のことを話してくれる日が、いずれ必ずくるだろうから。
被虐待児は、虐待している親を庇おうとする傾向にあると聞く。虐待を受けるのは、「自分が悪いからだ」と考えてしまう。そのため、親の行為を正当化し、自分を責めることで親を庇ってしまうのだ。
悪いのはあなたではない、ということを理解させ、安心して本音を話せる環境を作るのは、簡単じゃない。時間と根気が必要なのだ。
今はまだ推測でしかない。
――が、りのはおそらく親から虐待を受けている。
「はい。ありがとうございます」
りのが恥ずかしそうに笑う。頭に乗せていた手を背中に回したとき、ふと違和感に気付いた。なぜ、今まで見過ごしていたのだろう。
彼女に触るのを控えていたからか。それとも、彼女を癒している自分に満足し、肝心なものを見失っていたからか。
――りのの背中に、火傷の痕があった。
肩甲骨にかけて、黒ずんだ痣がいくつかある。はっきりと、痛々しく。
たとえば、これがヤカンのお湯がかかったような火傷跡なら、何かしら、不慮の事故があったせいだろうなと私も思う。だが、それはありえないんだ。
おそらくこれは、煙草の火を押し付けられてできたものだから。
一体なぜ?
何があって、誰に付けられたものなのか。
父親はいないと言っていた。なら、必然的にこれは母親に付けられたものだ。
どうして話してくれなかったのだろう。いや、別に私に話す必要はない。
わからないことだらけで頭の中がぐちゃぐちゃだ。今すぐ問い詰めたい衝動に駆られるが、それは逆効果だ。せっかく彼女は落ち着いたのに、いま痣の話をしたら、また怯えてしまう。遠回しに、慎重に真相を引き出さなければ。
「赤嶺さん、こっち向いて」
「……はい」
りのの瞳にかすかな緊張が滲む。彼女を安心させるために笑みを浮かべ、「大丈夫だよ」と抱きしめた。一瞬だけ身を震わせた彼女だったが、ためらいがちに私の背中に手を回した。
しばらく、静かなときが流れた。彼女の呼吸が落ち着いているのを見てから口を開いた。
「赤嶺さん、今日はいつもより積極的だね。なんか……あった?」
いつもより、どころではなく積極的だったが、彼女の反応を見るため、あえて軽いトーンで訊ねた。
「……うーん。別に、何もないですよ。ただ、一ノ瀬さんに早く会いたかっただけ」
りのは瞳を逸らした。声色に、かすかな震えが混じっていた。
「ふふ、そう? だとしたら嬉しいな。私も赤嶺さんに会うとほっとするよ」
笑顔を保ちながら、話題を少しだけずらす。
「でも、今日の赤嶺さん、いつもより元気がない気がする。学校で何か嫌なことあった?」
「学校……うん、普通、かな。いつも通りです」
言葉は短く、視線が床に落ちる。表情に変化はない。学校が原因ではないのかな。
「そっか、普通か。……でもさ、なんでもないことがストレスになってしまうことってあるよね。私も昔、学校で嫌なことがあって、それを家に帰ってからも引きずっていたことがあった。学校にいるときはなんでもないつもりでいたけど、一人になると段々苦しくなってきて。そういうときは、誰かに話を聞いてもらうと楽になるよね」
自らの経験を交えて共感を示し、話しやすい空気を作る。
「……そう、ですね」
りのは曖昧に頷いた。やはり何か隠しているな、という直感があった。
「私じゃ力になれないかな? それとも……私じゃ信用できない?」
わざと悲しげな表情を作ってみせると、りのは慌てたように首を振った。
「そんなことないです! 一ノ瀬さんはいつも優しいし、信用しています!」
「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいよ」
否定しなかったな、と思う。
「大したことがないならいいけど、もし何かあるんだったら、いつでも遠慮なく言ってね?」
「……はい。ありがとうございます」
りのは微笑んで見せたが、その笑顔はどこか作り物めいていた。
背中の、痣がある場所に指を這わせた。ぴくんと一度身体が跳ねる。心の傷に、直接触れたときみたいな反応だった。身じろぎをしていた彼女だが、そのあとは黙って私の手を受け入れている。
「痛かったね」
ここまできたら単刀直入だ。優しく、けれど核心に迫る声で訊ねる。
「……はい」
「どうしたの? 誰かにやられたの?」
りのは答えない。一度目を伏せてから、意を決したように私を見た。いつものクールな表情で感情が読み取れない。
「私が悪いんです」
「どういうこと?」
ここで感情的になってはいけない。あくまで冷静にだ。
「……階段で転んじゃったんです。……それで、ちょっと強くぶつけて」
ぶつけた? 火傷痕かどうかはさておき、この痣はどう見ても人為的に付けられたものだ。鋭利なもので傷付けられたか、あるいは、人体に有害な薬物を塗られたか、そういった類のものにしか思えない。
「そっか、ぶつけちゃったんだ。……うーん、なんか赤嶺さんって思ったよりおっちょこちょいなんだね。でも、大丈夫? ぶつけた場所が化膿したら良くないから、ちゃんと消毒したほうがいいかも」
「……ううん、大丈夫です。痛みはもうほとんどないから。すぐ治ります」
これ以上追及されたくないという拒絶を感じた。これは嘘だ。私の疑念は深まるばかりだが、ここで問い詰めるわけにもいかない。
「うん、わかった。……でもさ、赤嶺さん。なんかあったらすぐ言ってね。約束だよ?」
「……はい、約束します」
りのは頷き、私の手をぎゅっと握った。安心しきった表情をしている。
彼女はまだ何かを隠しているが、それを私に話してはくれない。私のことを十分に信頼していないから、秘密を打ち明けられないのだろうか。いや、違う気がする。もっと別の理由があるのだろう。
「あの……」
「ん?」
「一ノ瀬さん、また来てもいいですか……?」
りのがおずおずと切り出した。私は微笑んで頷く。
「うん、もちろんいいよ」
「ありがとうございます!」
りのはぱっと花が咲いたような明るい笑顔を浮かべた。だが、その笑顔にはどこか影があった。
話してくれない理由はわからないが、彼女が私を必要としているのは確かだ。なら、今はそれでいいと思う。本当のことを話してくれる日が、いずれ必ずくるだろうから。
被虐待児は、虐待している親を庇おうとする傾向にあると聞く。虐待を受けるのは、「自分が悪いからだ」と考えてしまう。そのため、親の行為を正当化し、自分を責めることで親を庇ってしまうのだ。
悪いのはあなたではない、ということを理解させ、安心して本音を話せる環境を作るのは、簡単じゃない。時間と根気が必要なのだ。
今はまだ推測でしかない。
――が、りのはおそらく親から虐待を受けている。
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