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第三章「愛と葛藤の深化 」
【崩れていくルール】
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ルールの一つを自ら破った。
ルールを破ったことで、ルールの再評価が必要になった。
りのは私を求めていて、私は嫌じゃなかった。なら、ルールを一つずつ外し、関係を少しずつ進展させていくのが自然な選択肢になるのかな。
二人で海に行ったあの日から、一週間が過ぎていた。
インターホンの音にドアを開けると、ずぶ濡れになった制服姿のりのが立っていた。濡れた髪から水滴が滴っている。
「家にいたくなかった」と小さく呟いたりのの後ろに、母親の影を見た。
このひどい土砂降りの中、傘も差さずに来たのだろうか。顔色が良くないし、このままじゃ風邪を引く。
「お風呂沸かすから、入る?」
少し逡巡する仕草を見せたのち、「一緒に入りませんか?」とりのが言った。
ルールが一つ外れかける。
外れてもいいかな、と思う。
嫌なら拒絶すればいいだけだ。どうということはない。私たちは女同士なのだから、一緒にお風呂に入るのは自然なことで、特別な行為だと意識するのはむしろおかしい。
濡れた服を脱ぎ捨てて、りのが後ろ手でブラのホックを外すと、形の良い胸があらわになる。どこか気まずくて、私は視線を逸らした。
「どうしたんですか?」と訊かれて、わたわたしてしまう。「なんでもない」と言った自分の声が、大袈裟に浴室に響いた。
湯船に二人で浸かる。二人だとさすがに窮屈だ。
りのが前で私が後ろ。ごく普通に触れ合う肌が、温かくて心地よい。抱きしめそうになって、手を身体の横に置く。
彼女の濡れた髪から水滴が滴る。肩に手を乗せてみたら、ひんやりとしていてびっくりした。以前も思ったが、りのは体温が低いのだろうか?
「冷えてるね」
「そうかもしれないです」
どうして傘を持ってこなかったの、と聞こうとしてやめた。
今は何もできない。今日のこととか、明日のこととかではなく、根本的な救いがりのには必要だが、その方法は簡単には見付からない。それでも、と思う。寄り添うことしかできないけれど、今はそれでいいのかもしれない。
身体を寄せ合って、お湯に浸かりながら会話をした。
「最近、学校ではどう?」
「クラスでちょっと浮いた存在になっています」
そう言って彼女は口元を緩ませた。
「悪口なんて気にするな、って自分に言い聞かせてる。でも……みんなが向けてくる目はやっぱり冷たい。詩さんに触れているときだけ、そのことを忘れられる」
りのは笑っているが、瞳の奥には影がある――学校の廊下で囁かれる「レズ」という言葉、そこかしこから向けられる視線。「浮いた存在」なんだと笑って見せるその裏で、彼女はいったいどれほど傷付いているのか。
「女子ってすぐそういうことで仲間外れにするんですね」
「派閥を作るのが好きだからね。そうして多数に収まっていないと、みんな不安なんだよ」
他人を攻撃するのは弱い心の裏返しだ。自分がそこに行きたくないと恐れるから、誰かをそこに押し込める。そうして自分の居場所を作る。
耳元に唇を寄せると、りのはくすぐったそうに身を捩った。
「何かあったら私に言ってね。相談に乗ってあげるから」
「ありがとうございます」
壊れそうなその笑みは、あの日見た奈緒のものとどこか似ていた。
湯船から上がる。湯気が浴室を満たし、鏡に二人の曖昧な姿が映っていた。
シャワーを手に取って、りのの濡れた髪にお湯をかける。くすぐったそうに彼女の肩が震え、背中の痣が薄い光の中で浮かび上がる。母親の暴力、学校の冷たい視線――りのがその小さな身体で背負っているものが、私の心を疼かせた。
「詩さん、私が背中を流してあげます」
りのの声は、囁くように柔らかく、だがどこか切実だ
「じゃあ、お願いしようかな」
彼女はシャワーを手に取って、私の背中にお湯を流した。水滴が鎖骨を滑り落ち、胸元に溜まる。泡をまとったりのの指先が肩に触れ、ゆっくりと下に降りていく。
「詩さんの背中、綺麗ですね」
褒め言葉にこそばゆくなる。
「そうかな?」
「はい。こんなに綺麗な人見たことないです」
りのが突然背中に唇を押し当ててきた。ちゅ、と水音が響いて、その場所から温もりが広がっていく。
唇を触れさせたまま、りのがゆっくりと息を吐く。柔らかい唇の感触と吐息が、くすぐったいけれども心地よい。
「詩さんの背中も肩も髪も全部好きです」
そう言って、りのがまた一つ口付けを落とす。
「キスは、する場所によって意味が違うんだって。知ってましたか?」
「そうなの? 背中へのキスはどういう意味があるの?」
などととぼけて見せるが本当は知っている。
背中へのキスは『確認』だ。背中に遠慮なく触れられるのは、親密な間柄の者に限られる。自分にしかできない方法で、愛情を表現したい、もしくは確認したいときに背中に口付ける。
意味を知っているだけにリアクションしづらい。だから、知らないふりをした。
「うふふ、内緒。あとでゆっくり調べてみて」
脇腹に添えてあった指先が、私の二の腕に触れる。そのまま腕をなぞっていき、彼女の指先が私の手に触れる。指と指が絡み合うようにして繋がれる。
「詩さん」
りのが私のうなじにキスをした。痕を残そうとするみたいな、強くて深いキスだった。
うなじへのキスはなんだったかな。
考えているうちに、背中から抱きすくめられる。両手を拘束されて、身動きできなくなった。
「詩さん」と囁く声は震えている。キスマークをつけるみたいな強い抱擁には、愛情表現というよりも、むしろ孤独を埋めるような必死さがあった。
黙って彼女の抱擁を受け入れた。彼女が抱えている不安が、触れた指先から伝わってくるようだったから。
お風呂から上がる頃にはすっかり日が暮れていて、外ではざあざあと雨が降っていた。
りのに部屋着を貸し、私はブラウスとショートパンツに着替えてソファに並んで座る。窓を叩く雨音以外の音はなく、部屋は静寂に包まれていた。りのは膝を抱えるような体勢をしていて、私は彼女の細い肩にそっと手を添えた。
「最近眠れないんです」と彼女は言った。
「怖い夢を見るの」と続けた声は震えている。
「どんな夢?」
「暗い部屋で、母に首を絞められるんです。苦しくて、声が出せない」
「それはとても怖い夢だね」
甘えるように、りのが体重を預けてくる。
夢の話か、それとも現実の話か。頭の片隅でそっと思う。
「いつか本当に殺されてしまいそうで、それが怖い」
「夢は夢だよ」
りのの手を握る。どうしたら、彼女の不安を取り除けるだろう。どうしたら、彼女はぐっすりと眠れるのだろう。
答えはすでに知っていた。「一緒に寝ようか?」と提案すると、彼女は小さく頷いた。まんまと乗せられた気がするが、今は乗っておこうと思う。
寝室に移動して、二人でベッドに潜り込む。向かい合わせの体勢からりのを抱き寄せると、わかっていたことだが本当に華奢だ。不安を取り除くように背中をさすると、彼女はかすかに身じろぎをした。
「お母さんのこと、嫌い?」
この質問が、彼女にとって地雷なのを知っている。それでも聞いておかなくてはならなかった。
「嫌いじゃないですよ。でも、ちょっとだけ苦手かな。……昔は、優しかったんですけどね」
昔は、という表現をりのは使った。何かしらきっかけがあって、それから母親は変わってしまったということだろうか。彼女の家はシングルマザーだったはず。父親がいなくなったのが、そのタイミングだったのかもしれない。
「りの、最近、眠れないって言ってたよね。何か……家で落ち着かないこと、あったりする?」
りのの母親には、おそらく虐待癖がある。だからといって、『母親失格』の烙印を押すのは早計だ。すべての行動には理由がある。単に厳しい躾の一環かもしれないし、愛情が深すぎるがゆえの過剰な反応かもしれない。虐待の背景にあるのが、必ずしもネガティブな要因とは限らない。
りのの瞳が揺れた。彼女は膝を抱え、宙に指で小さな円を描いた。
「家は……うん、ときどき静かすぎるの。お母さんが忙しくて家にいないことが多いから、一人きりの家って、ちょっと怖いというか落ち着かなくて」
「それはわかる……」
人がいない家は私も少し苦手だ。
でもね、と彼女は続ける。
「詩さんと一緒にいると安心する」
「お母さんは、なんの仕事をしているの?」
「仕事?」
うーーんと彼女は考え込んで、それから軽く頬を膨らませた。
「私にばっかり質問するのずるいです」
「そうか。それもそうだね。じゃあ……どうしようかな」
そこでりのがいたずらっぽく笑んだ。布団を引っ張って、顔の下半分を隠した。
「ひとつ質問に答えるたびに、詩さんに一度触りたいです」
「いつも触っているじゃない」
「そうですけど、そうじゃないんです」
ルールが一つ外れるのが、今なのかなと思う。
でも、好意があるとわかっている相手に、自由に触らせるのはまずくないか。
まずければ、ここで話を終わらせればいい。それがわかっていながら、すでに半分流されている自分の心を見つめた。優柔不断だな。
「変なことはしないって、約束します。詩さんが嫌ならすぐに止めますから」
「……うーん……」
ここでさらに一歩、踏み込んでいく必要がある。この関係がここで途切れてしまわないように、繋ぎとめなくてはならない。そう。これは彼女の心のケアの一環だ。
「わかった。いいよ、それで」
「やった!」
こちらがリスクを負うことなく、彼女の本音を引き出せるとは思っていなかった。
それはそうと、そうやって無邪気に笑われたら断るに断れないじゃない。
「お母さんの仕事は、銀行員? だったかな。あと、学校でPTA会長をしているの」
「PTA会長?」
母親の仕事を把握していないのか。それがまず驚きだったが、それ以上にPTA会長という肩書きに驚いた。娘を虐待している母親に、PTA会長の任は勤まるのか。
「そう、PTA会長。家では家事をほとんどしないけど、学校では余所行きの顔をしているみたい。先生たちは、いつも私のお母さんのことを褒めているよ」
りのの指が私のうなじに触れる。
少し驚いてから、これが質問に答えたことによる報酬だと気付く。
指は肩に向かって滑り、鎖骨をなぞった。こそばゆくて身を捩ったが、逃がさないぞとばかりに腰を抱き寄せられた。
触る時間が長すぎるんじゃないの? と思うが言わずにおいた。
「朝食は、いつも誰と食べているの?」
「だいたい、いつも一人かな」
片親なのだし、母親の勤務時間が長くなりがちと考えたら妥当か。だいたい、という表現を使ったのだから、たまには一緒に食事をするのだろう。親子関係が冷え切っているわけではないのか。
彼女が私のお腹に触れる。するりと手が、ブラウスの内側に滑り込む。ひんやりとした指の感触に、身体がぴくんと反応した。
そう言えば、「直接肌に触るのは禁止」のルールはとっくに剥がれている。
「指、冷たい」
「あ……ごめんなさい」
「いいよ。私の身体で温めて」
返事の代わりに、りのが私の胸元に顔を埋めた。
「今、夢中になっているもの何かある?」
「ネイルかなあ。ピンクとかベージュとか、今のトレンドに合わせて色を集めるのが楽しいの」
「この間海に行ったときも、綺麗なネイルをしていたもんね」
「気付いていてくれたんですね。嬉しいです!」
りのの指がせり上がってきて、布地越しに胸の膨らみのすぐ下を摩る。そこは……と制止しようとしてやめた。ここは我慢だ。
「買うお金はある?」
「ありますよ。心配してくれているんですか? 詩さんは優しいなあ」
特別お金に困っているわけではないのかな? シングルマザーの家庭でも、生活が困窮していないなら良いことだ。
性感帯への接触はNG、のルールが剥がれるのを覚悟して目を瞑る。
ところが彼女の手は動かない。私の身体をぎゅっと抱きしめているのみだ。
「家でテレビはよく観る?」
「あんまり観ないかな。部屋でスマホをいじっていることが多いかも」
食事が終わると、すぐ部屋にこもってしまうのだと。母親とは生活リズムが違うので、食事を一緒にすることが少ない。食事もりのが作る。けれど、食費はちゃんともらっているし、母親と不仲なわけではないのだと。
いずれにしても、家族の団欒は少なそうだが。
突然、りのが動いた。身体を起こして私の上に跨ってくる。布団に私の背中が沈む。お腹に彼女の熱を感じる。
「りの……?」
ルールを破ったことで、ルールの再評価が必要になった。
りのは私を求めていて、私は嫌じゃなかった。なら、ルールを一つずつ外し、関係を少しずつ進展させていくのが自然な選択肢になるのかな。
二人で海に行ったあの日から、一週間が過ぎていた。
インターホンの音にドアを開けると、ずぶ濡れになった制服姿のりのが立っていた。濡れた髪から水滴が滴っている。
「家にいたくなかった」と小さく呟いたりのの後ろに、母親の影を見た。
このひどい土砂降りの中、傘も差さずに来たのだろうか。顔色が良くないし、このままじゃ風邪を引く。
「お風呂沸かすから、入る?」
少し逡巡する仕草を見せたのち、「一緒に入りませんか?」とりのが言った。
ルールが一つ外れかける。
外れてもいいかな、と思う。
嫌なら拒絶すればいいだけだ。どうということはない。私たちは女同士なのだから、一緒にお風呂に入るのは自然なことで、特別な行為だと意識するのはむしろおかしい。
濡れた服を脱ぎ捨てて、りのが後ろ手でブラのホックを外すと、形の良い胸があらわになる。どこか気まずくて、私は視線を逸らした。
「どうしたんですか?」と訊かれて、わたわたしてしまう。「なんでもない」と言った自分の声が、大袈裟に浴室に響いた。
湯船に二人で浸かる。二人だとさすがに窮屈だ。
りのが前で私が後ろ。ごく普通に触れ合う肌が、温かくて心地よい。抱きしめそうになって、手を身体の横に置く。
彼女の濡れた髪から水滴が滴る。肩に手を乗せてみたら、ひんやりとしていてびっくりした。以前も思ったが、りのは体温が低いのだろうか?
「冷えてるね」
「そうかもしれないです」
どうして傘を持ってこなかったの、と聞こうとしてやめた。
今は何もできない。今日のこととか、明日のこととかではなく、根本的な救いがりのには必要だが、その方法は簡単には見付からない。それでも、と思う。寄り添うことしかできないけれど、今はそれでいいのかもしれない。
身体を寄せ合って、お湯に浸かりながら会話をした。
「最近、学校ではどう?」
「クラスでちょっと浮いた存在になっています」
そう言って彼女は口元を緩ませた。
「悪口なんて気にするな、って自分に言い聞かせてる。でも……みんなが向けてくる目はやっぱり冷たい。詩さんに触れているときだけ、そのことを忘れられる」
りのは笑っているが、瞳の奥には影がある――学校の廊下で囁かれる「レズ」という言葉、そこかしこから向けられる視線。「浮いた存在」なんだと笑って見せるその裏で、彼女はいったいどれほど傷付いているのか。
「女子ってすぐそういうことで仲間外れにするんですね」
「派閥を作るのが好きだからね。そうして多数に収まっていないと、みんな不安なんだよ」
他人を攻撃するのは弱い心の裏返しだ。自分がそこに行きたくないと恐れるから、誰かをそこに押し込める。そうして自分の居場所を作る。
耳元に唇を寄せると、りのはくすぐったそうに身を捩った。
「何かあったら私に言ってね。相談に乗ってあげるから」
「ありがとうございます」
壊れそうなその笑みは、あの日見た奈緒のものとどこか似ていた。
湯船から上がる。湯気が浴室を満たし、鏡に二人の曖昧な姿が映っていた。
シャワーを手に取って、りのの濡れた髪にお湯をかける。くすぐったそうに彼女の肩が震え、背中の痣が薄い光の中で浮かび上がる。母親の暴力、学校の冷たい視線――りのがその小さな身体で背負っているものが、私の心を疼かせた。
「詩さん、私が背中を流してあげます」
りのの声は、囁くように柔らかく、だがどこか切実だ
「じゃあ、お願いしようかな」
彼女はシャワーを手に取って、私の背中にお湯を流した。水滴が鎖骨を滑り落ち、胸元に溜まる。泡をまとったりのの指先が肩に触れ、ゆっくりと下に降りていく。
「詩さんの背中、綺麗ですね」
褒め言葉にこそばゆくなる。
「そうかな?」
「はい。こんなに綺麗な人見たことないです」
りのが突然背中に唇を押し当ててきた。ちゅ、と水音が響いて、その場所から温もりが広がっていく。
唇を触れさせたまま、りのがゆっくりと息を吐く。柔らかい唇の感触と吐息が、くすぐったいけれども心地よい。
「詩さんの背中も肩も髪も全部好きです」
そう言って、りのがまた一つ口付けを落とす。
「キスは、する場所によって意味が違うんだって。知ってましたか?」
「そうなの? 背中へのキスはどういう意味があるの?」
などととぼけて見せるが本当は知っている。
背中へのキスは『確認』だ。背中に遠慮なく触れられるのは、親密な間柄の者に限られる。自分にしかできない方法で、愛情を表現したい、もしくは確認したいときに背中に口付ける。
意味を知っているだけにリアクションしづらい。だから、知らないふりをした。
「うふふ、内緒。あとでゆっくり調べてみて」
脇腹に添えてあった指先が、私の二の腕に触れる。そのまま腕をなぞっていき、彼女の指先が私の手に触れる。指と指が絡み合うようにして繋がれる。
「詩さん」
りのが私のうなじにキスをした。痕を残そうとするみたいな、強くて深いキスだった。
うなじへのキスはなんだったかな。
考えているうちに、背中から抱きすくめられる。両手を拘束されて、身動きできなくなった。
「詩さん」と囁く声は震えている。キスマークをつけるみたいな強い抱擁には、愛情表現というよりも、むしろ孤独を埋めるような必死さがあった。
黙って彼女の抱擁を受け入れた。彼女が抱えている不安が、触れた指先から伝わってくるようだったから。
お風呂から上がる頃にはすっかり日が暮れていて、外ではざあざあと雨が降っていた。
りのに部屋着を貸し、私はブラウスとショートパンツに着替えてソファに並んで座る。窓を叩く雨音以外の音はなく、部屋は静寂に包まれていた。りのは膝を抱えるような体勢をしていて、私は彼女の細い肩にそっと手を添えた。
「最近眠れないんです」と彼女は言った。
「怖い夢を見るの」と続けた声は震えている。
「どんな夢?」
「暗い部屋で、母に首を絞められるんです。苦しくて、声が出せない」
「それはとても怖い夢だね」
甘えるように、りのが体重を預けてくる。
夢の話か、それとも現実の話か。頭の片隅でそっと思う。
「いつか本当に殺されてしまいそうで、それが怖い」
「夢は夢だよ」
りのの手を握る。どうしたら、彼女の不安を取り除けるだろう。どうしたら、彼女はぐっすりと眠れるのだろう。
答えはすでに知っていた。「一緒に寝ようか?」と提案すると、彼女は小さく頷いた。まんまと乗せられた気がするが、今は乗っておこうと思う。
寝室に移動して、二人でベッドに潜り込む。向かい合わせの体勢からりのを抱き寄せると、わかっていたことだが本当に華奢だ。不安を取り除くように背中をさすると、彼女はかすかに身じろぎをした。
「お母さんのこと、嫌い?」
この質問が、彼女にとって地雷なのを知っている。それでも聞いておかなくてはならなかった。
「嫌いじゃないですよ。でも、ちょっとだけ苦手かな。……昔は、優しかったんですけどね」
昔は、という表現をりのは使った。何かしらきっかけがあって、それから母親は変わってしまったということだろうか。彼女の家はシングルマザーだったはず。父親がいなくなったのが、そのタイミングだったのかもしれない。
「りの、最近、眠れないって言ってたよね。何か……家で落ち着かないこと、あったりする?」
りのの母親には、おそらく虐待癖がある。だからといって、『母親失格』の烙印を押すのは早計だ。すべての行動には理由がある。単に厳しい躾の一環かもしれないし、愛情が深すぎるがゆえの過剰な反応かもしれない。虐待の背景にあるのが、必ずしもネガティブな要因とは限らない。
りのの瞳が揺れた。彼女は膝を抱え、宙に指で小さな円を描いた。
「家は……うん、ときどき静かすぎるの。お母さんが忙しくて家にいないことが多いから、一人きりの家って、ちょっと怖いというか落ち着かなくて」
「それはわかる……」
人がいない家は私も少し苦手だ。
でもね、と彼女は続ける。
「詩さんと一緒にいると安心する」
「お母さんは、なんの仕事をしているの?」
「仕事?」
うーーんと彼女は考え込んで、それから軽く頬を膨らませた。
「私にばっかり質問するのずるいです」
「そうか。それもそうだね。じゃあ……どうしようかな」
そこでりのがいたずらっぽく笑んだ。布団を引っ張って、顔の下半分を隠した。
「ひとつ質問に答えるたびに、詩さんに一度触りたいです」
「いつも触っているじゃない」
「そうですけど、そうじゃないんです」
ルールが一つ外れるのが、今なのかなと思う。
でも、好意があるとわかっている相手に、自由に触らせるのはまずくないか。
まずければ、ここで話を終わらせればいい。それがわかっていながら、すでに半分流されている自分の心を見つめた。優柔不断だな。
「変なことはしないって、約束します。詩さんが嫌ならすぐに止めますから」
「……うーん……」
ここでさらに一歩、踏み込んでいく必要がある。この関係がここで途切れてしまわないように、繋ぎとめなくてはならない。そう。これは彼女の心のケアの一環だ。
「わかった。いいよ、それで」
「やった!」
こちらがリスクを負うことなく、彼女の本音を引き出せるとは思っていなかった。
それはそうと、そうやって無邪気に笑われたら断るに断れないじゃない。
「お母さんの仕事は、銀行員? だったかな。あと、学校でPTA会長をしているの」
「PTA会長?」
母親の仕事を把握していないのか。それがまず驚きだったが、それ以上にPTA会長という肩書きに驚いた。娘を虐待している母親に、PTA会長の任は勤まるのか。
「そう、PTA会長。家では家事をほとんどしないけど、学校では余所行きの顔をしているみたい。先生たちは、いつも私のお母さんのことを褒めているよ」
りのの指が私のうなじに触れる。
少し驚いてから、これが質問に答えたことによる報酬だと気付く。
指は肩に向かって滑り、鎖骨をなぞった。こそばゆくて身を捩ったが、逃がさないぞとばかりに腰を抱き寄せられた。
触る時間が長すぎるんじゃないの? と思うが言わずにおいた。
「朝食は、いつも誰と食べているの?」
「だいたい、いつも一人かな」
片親なのだし、母親の勤務時間が長くなりがちと考えたら妥当か。だいたい、という表現を使ったのだから、たまには一緒に食事をするのだろう。親子関係が冷え切っているわけではないのか。
彼女が私のお腹に触れる。するりと手が、ブラウスの内側に滑り込む。ひんやりとした指の感触に、身体がぴくんと反応した。
そう言えば、「直接肌に触るのは禁止」のルールはとっくに剥がれている。
「指、冷たい」
「あ……ごめんなさい」
「いいよ。私の身体で温めて」
返事の代わりに、りのが私の胸元に顔を埋めた。
「今、夢中になっているもの何かある?」
「ネイルかなあ。ピンクとかベージュとか、今のトレンドに合わせて色を集めるのが楽しいの」
「この間海に行ったときも、綺麗なネイルをしていたもんね」
「気付いていてくれたんですね。嬉しいです!」
りのの指がせり上がってきて、布地越しに胸の膨らみのすぐ下を摩る。そこは……と制止しようとしてやめた。ここは我慢だ。
「買うお金はある?」
「ありますよ。心配してくれているんですか? 詩さんは優しいなあ」
特別お金に困っているわけではないのかな? シングルマザーの家庭でも、生活が困窮していないなら良いことだ。
性感帯への接触はNG、のルールが剥がれるのを覚悟して目を瞑る。
ところが彼女の手は動かない。私の身体をぎゅっと抱きしめているのみだ。
「家でテレビはよく観る?」
「あんまり観ないかな。部屋でスマホをいじっていることが多いかも」
食事が終わると、すぐ部屋にこもってしまうのだと。母親とは生活リズムが違うので、食事を一緒にすることが少ない。食事もりのが作る。けれど、食費はちゃんともらっているし、母親と不仲なわけではないのだと。
いずれにしても、家族の団欒は少なそうだが。
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「りの……?」
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