痴漢を捕まえたら女の子だったので、好きに触らせてみた結果、私が百合にハマった話。

木立 花音

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第五章「友人からのメッセージ 」

【奈緒はバカだよ!(1)】

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 アパートのドアを開けると、木の温もりが静かに私を迎えた。狭い部屋、本棚の薄い埃、窓の外の遠い喧騒。私はソファに崩れ落ち、膝を抱えた。
 明日香の言葉が、奈緒の死の真相を暴いた。
 彼女の裏切り、教室の冷たい視線、私の拒絶――奈緒はそんな中で、ひとり死んでいった。目を閉じると、あの最後の電話が蘇る。「詩、誰も信じられない」。あのとき、彼女の手を握っていれば。彼女の愛を、受け入れていれば。
 窓ガラスに映る自分の顔。十四歳で奈緒を失った私と、二十四歳でりのを愛した私が、重なり合って見えた。

「奈緒、ごめんね……。あれから十年経つのに、私、ちっとも成長してないや」

 呟きが落ち、涙が頬を伝う。
 ――自分が女の子しか愛せないことで、どれだけ辛いことがあったか。でも詩と出会ってから、初めて同性愛者に生まれて良かったと思えたんだ。
 奈緒は、最期の瞬間まで私を愛してくれていた。
 それが本当なら、私に拒絶されることさえ、彼女にとっては想定のうちだったのかもしれない。恨んでは、いなかったのかもしれない。
 それでも私は、自分を許せない。
 りのの笑顔が脳裏に浮かぶ。人目を避けて電車の中で重ねた手の温もり。九十九里浜の波の音。
 私はりのを愛している。それなのに、奈緒の影に縛られた私は、彼女の愛をまっすぐ受け止められないでいる。
 机の引き出しから、書きかけの奈緒宛の手紙を取り出した。
 インクの滲んだ文字。「女同士の愛を拒んだ私が、りのを愛していいのか」。その問いは、あのときと違う響きを持っていた。
 私は他の子たちとは違うのだろうか。
 親や友だちは変だと思うだろうか。
 普通じゃない自分でも、受け入れてもらえるのだろうか。
 そんな不安や戸惑いは、誰にでもある。
 そうした不安や戸惑いは、同性愛者の多くが抱く感情だ。十代や二十代という自分のアイデンティティを見つける大切な時期に、「性のあり方」に気付くのは大きな変化であり重要なステップだ。混乱するのはむしろ当然のこと。
 性のあり方はグラデーションだ。白黒はっきり付けなくてもいい。ゆっくりと、自分のペースで気持ちと向き合っていけばいい。
 愛することは罪じゃない。
 そのことに、もっと早く気付いていたらな。
 奈緒を失った私だからこそ、りのを愛することで、過去を赦せるかもしれない。
 手紙を胸に押し当てると、静かな決意が灯った。
 過去と、きちんと向き合おう。自分の気持ちを、確かめよう。
 いてもたってもいられなくなり、スマホと鞄だけをつかんでアパートを飛び出した。
 駅までの道を、足早に歩く。
 本八幡駅近くの歩道橋を渡っているとき、正面から祐介が現れた。
 私に用はないはずなのに、なぜこの街にいるのか。 私服姿だから、別の女ができたのかもしれない――と思うがそんなことはどうでもいい。
 合わせたくないのに目が合い、気まずそうに彼が視線を逸らす。私も逸らしたかったけれど、あえて逸らさず、まっすぐ見据えた。
 あなたの告発で、私は仕事を奪われた。
 でも、私たちの絆は壊せない。
 最初は、りのを助けたいだけだった。それなのに、いつの間にか本気になっていた。
 それでいい。どんな形の愛であっても、それは尊いものなのだから。
 それに気付かせてくれて、ありがとう。

 冷たい秋風が墓地を吹き抜ける。奈緒の墓は市川市郊外の林に囲まれた丘の上にポツンとあって、風が強い日はもろに煽られる。
 墓石に刻まれた名前を指でなぞる。
 持ってきた白い菊の花束を置き、膝をついた。
 風が髪を乱し、遠くでカラスが鳴く。

「久しぶり、奈緒。ここ何年かは、命日くらいしか来れていなかった。何ヶ月ぶりかな。そっちはどう? 退屈してる?」

 最近ようやく、出す予定のないメールを打つ癖が抜けた。
 少しずつ、過去を清算できている証拠なのだろうか。

「ようやく、自分の気持ちに整理を付けられた気がするんだ。だから、それを報告するために今日ここに来たんだよ。やっぱり、奈緒に直接話したかったから」

 ごめんね、という声が風に乗り、墓石に吸い込まれていく。

「あなたを拒絶したこと。教室で孤立させてしまったこと……。昨日、明日香に会って、全部知った。あなたがどれだけ傷ついていたか。私が支えていれば、結果は変わっていたのかな」

 涙が墓石に落ち、土に染みた。

「私を恨んでいなかったんだね。ありがとう。最後まで、私を愛してくれていたことが、今ならちゃんとわかるよ。私、りのを愛してるの。他の女の子を好きになることを、許してくれる?」

 墓石に触れると、冷たく硬い。奈緒の手を握り返すみたいに、指を滑らせた。
 そのとき墓地の入り口で声がしたので振り返ると、中年女性が立っていた。
 黒髪のミディアムヘア、紫のコスモス柄のワンピース。驚いた表情で私を見ている。

「一ノ瀬さん?」

 奈緒の母親だった。

「奈緒に会いに来てくれたのね。ありがとう。奈緒も喜ぶわ」
「お久しぶりです」

 慌てて立ち上がり、頭を下げた。

「来ても、手を合わせるくらいしかできないので……奈緒が退屈していなければいいのですが」
「来てくれただけで、ありがたいわ。あの子もきっとそう思っているはずです」

 奈緒の母親は深くお辞儀をした。墓石の前まで進み、花を手向けるとしゃがんで手を合わせた。目を閉じ祈る姿はどこか奈緒を彷彿させて、彼女がもし生きていたら――と母親の横顔に奈緒の面影を重ねた。

「今日は奈緒の月命日だからね。覚えていてくれたの?」
「いえ、たまたまです。月命日じゃなくても、来ますよ」
「あの子はいつも言ってた。一ノ瀬さんと友だちになれて嬉しかったって。あなたみたいな子が同年代にいることを、私は誇りに思うわ」
「そんな……私の方こそ、奈緒さんに励まされてばかりでした」
「あの子は最期まで、あなたのことを想っていたのね」
「はい。私も、奈緒さんのことは決して忘れません」

 二人で並び、もう一度手を合わせる。

「一ノ瀬さん、あなたは今、幸せ?」

 唐突な話題展開と問いに、思わずきょとんとする。穏やかな笑みを浮かべた母親の瞳は、しかしどこか寂しげだった。
 以前の私なら、「はい」とは答えられなかったかもしれない。
 でも今は違う。

「はい……幸せです」

 はっきり答えると、母親はにっこりと笑って立ち上がる。スカートについた土を手で払った。

「そう。それなら良かった。……あなたが幸せだと答えてくれなかったら、渡せなかったかもしれない」
「なんのことでしょう?」

 立ち上がり、母親の目を見つめる。本当に、何のことかわからなかった。

「……なんて、それは方便ね。いずれ渡そうとは思っていたのだけれど」

 母親は鞄から一冊のノートを取り出し、そっと私に手渡した。
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