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【プロローグ】
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その日は、あまり良い目覚めではなかった。
目を開けると同時にずきりと側頭部が痛んで、入沢龍人は顔をしかめた。窓から差し込んでいる朝日が眩しい。昨晩はいささか飲み過ぎたようだ。自分がそこまで酒に強くないことをすっかり失念していた。
もう一杯どうですか? などと、綺麗なホステスの女の子が気前よく振る舞うのが悪い――。
すべてを他人事にして、頭を左右に振る。1LDKのアパートの中には、昨日が真夏日だったことを思わせる熱気が朝になっても行き場をなくして漂っていた。
朝食の準備をしながら、龍人は弟の蓮音がいる部屋の固定電話に連絡した。だが、応答はない。訝しみつつスマホにもかけてみるが、こちらも繋がらない。
こいつはまずいぞ。胸騒ぎを覚えた龍人はすぐさま行動を起こした。
目的地のマンションに着いたのは、午前九時頃。駐車場に車を停め、龍人は四階建ての建物を見上げる。白いタイルの外壁は一見綺麗だが、実際は安普請のマンションだ。ここの二階に弟はいる。
「どうして私が呼ばれなければならないのですか。ここはあなたの部屋ですよね?」
不満げな声に振り返ると、婚約者の妹、戸部千沙が立っていた。急な呼び出しで着替える暇もなかったのか、ティーシャツにスキニーパンツというラフな格好だ。顔色は少し悪い。
「悪いな、千沙ちゃん。実は昨日から俺、蓮音と部屋を交換してたんだ」
「知りませんよ……。だとしても、それがなんで私を呼ぶ理由になるんですか?」
「部屋だけじゃなく、持ち物も全部交換しているんだ。だから俺、部屋の鍵を持ってないんだよ。本当は昼頃に蓮音を呼んで元に戻す予定だったけど、電話が全然繋がらなくてさ」
「なんのために交換なんて……?」
千沙が眉を八の字にし、首を傾げる。
「それはちょっと言えないんだよね」
「女絡みですか?」
「あ、ばれた?」
龍人はへらへらと笑う。彼は冗談のつもりだったが、千沙は顔を赤らめて言葉を失った。どこか呆れたようでもあった。
説明はそこまでにして、龍人はマンションのエントランスに足を踏み入れる。一人暮らしの住人が多いせいか、エレベーターホールは静まり返っていた。
エレベーターに乗ると、千沙が蓮音のスマホに電話をかけた。
「電源が切れてるみたいです」
「やっぱりダメか。何があったんだろうな……寝ているだけならいいけど」
目的の階に着き、二階の外部廊下を進む。朝の静けさの中、二人は誰ともすれ違わず、蓮音の部屋の前に辿り着いた。龍人がドアをノックする。反応はない。ドアを引いてみるが、鍵がかかっている。インターホンを押しても、音沙汰なし。
「いないんですかね?」
千沙が困った顔で呟き、ドアノブに目をやる。
「さあな。入ってみないとわからない」
もう一度電話をかけるが、結果は同じ。龍人は胸騒ぎを抑えつつ、千沙が持ってきた鍵でドアを開けた。
室内の空気はひんやりとしていた。人の気配は感じられない。靴を脱ぎ、二人は慎重に中へ進む。リビングに入った瞬間、部屋の中央のテーブルに突っ伏している蓮音の姿が目に入った。
一瞬の静寂。千沙が無言で駆け寄り、蓮音の横で立ち尽くす。彼女の手がゆっくりと口元を覆った。
「うそ……」
震える声。龍人も千沙の視線を追う。蓮音は座ったままテーブルに突っ伏し、顔が横に傾いている。薄く開かれた目は、虚ろに虚空を捉えていた。
「どうして……」
なんとか絞り出した声は掠れていた。ぴくりとも動かない蓮音に向かって龍人は問いかける。どうして弟が死ななくちゃならないのかと。弟の目は、完全に死者の目になっていた。
テーブルの上には、ワインの入ったグラス。赤い液体が、朝の光に不気味に揺らめいていた。
* * *
目を開けると同時にずきりと側頭部が痛んで、入沢龍人は顔をしかめた。窓から差し込んでいる朝日が眩しい。昨晩はいささか飲み過ぎたようだ。自分がそこまで酒に強くないことをすっかり失念していた。
もう一杯どうですか? などと、綺麗なホステスの女の子が気前よく振る舞うのが悪い――。
すべてを他人事にして、頭を左右に振る。1LDKのアパートの中には、昨日が真夏日だったことを思わせる熱気が朝になっても行き場をなくして漂っていた。
朝食の準備をしながら、龍人は弟の蓮音がいる部屋の固定電話に連絡した。だが、応答はない。訝しみつつスマホにもかけてみるが、こちらも繋がらない。
こいつはまずいぞ。胸騒ぎを覚えた龍人はすぐさま行動を起こした。
目的地のマンションに着いたのは、午前九時頃。駐車場に車を停め、龍人は四階建ての建物を見上げる。白いタイルの外壁は一見綺麗だが、実際は安普請のマンションだ。ここの二階に弟はいる。
「どうして私が呼ばれなければならないのですか。ここはあなたの部屋ですよね?」
不満げな声に振り返ると、婚約者の妹、戸部千沙が立っていた。急な呼び出しで着替える暇もなかったのか、ティーシャツにスキニーパンツというラフな格好だ。顔色は少し悪い。
「悪いな、千沙ちゃん。実は昨日から俺、蓮音と部屋を交換してたんだ」
「知りませんよ……。だとしても、それがなんで私を呼ぶ理由になるんですか?」
「部屋だけじゃなく、持ち物も全部交換しているんだ。だから俺、部屋の鍵を持ってないんだよ。本当は昼頃に蓮音を呼んで元に戻す予定だったけど、電話が全然繋がらなくてさ」
「なんのために交換なんて……?」
千沙が眉を八の字にし、首を傾げる。
「それはちょっと言えないんだよね」
「女絡みですか?」
「あ、ばれた?」
龍人はへらへらと笑う。彼は冗談のつもりだったが、千沙は顔を赤らめて言葉を失った。どこか呆れたようでもあった。
説明はそこまでにして、龍人はマンションのエントランスに足を踏み入れる。一人暮らしの住人が多いせいか、エレベーターホールは静まり返っていた。
エレベーターに乗ると、千沙が蓮音のスマホに電話をかけた。
「電源が切れてるみたいです」
「やっぱりダメか。何があったんだろうな……寝ているだけならいいけど」
目的の階に着き、二階の外部廊下を進む。朝の静けさの中、二人は誰ともすれ違わず、蓮音の部屋の前に辿り着いた。龍人がドアをノックする。反応はない。ドアを引いてみるが、鍵がかかっている。インターホンを押しても、音沙汰なし。
「いないんですかね?」
千沙が困った顔で呟き、ドアノブに目をやる。
「さあな。入ってみないとわからない」
もう一度電話をかけるが、結果は同じ。龍人は胸騒ぎを抑えつつ、千沙が持ってきた鍵でドアを開けた。
室内の空気はひんやりとしていた。人の気配は感じられない。靴を脱ぎ、二人は慎重に中へ進む。リビングに入った瞬間、部屋の中央のテーブルに突っ伏している蓮音の姿が目に入った。
一瞬の静寂。千沙が無言で駆け寄り、蓮音の横で立ち尽くす。彼女の手がゆっくりと口元を覆った。
「うそ……」
震える声。龍人も千沙の視線を追う。蓮音は座ったままテーブルに突っ伏し、顔が横に傾いている。薄く開かれた目は、虚ろに虚空を捉えていた。
「どうして……」
なんとか絞り出した声は掠れていた。ぴくりとも動かない蓮音に向かって龍人は問いかける。どうして弟が死ななくちゃならないのかと。弟の目は、完全に死者の目になっていた。
テーブルの上には、ワインの入ったグラス。赤い液体が、朝の光に不気味に揺らめいていた。
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