殺意の二重奏

木立 花音

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第一章「自殺か、他殺か」

【忘れられない恋がある(1)】

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 ただ、普通に暮らしているだけで、劣等感に苛まれることがあった。
 水津涼花すいづりょうかは、他人と比べて劣っている人間では決してないと、自らを評価している。
 自分で言うのは憚られるが、容姿は平均以上だし、スタイルも悪くない。運動神経に恵まれ、学生時代は成績も常に上位だった。夢は警察官になること。その夢は大学卒業後、すぐに叶えた。  
 交番勤務からスタートし、地道に実績を積み重ね、上司から刑事講習の推薦を受けた。講習を突破し、刑事に。刑事になってから二年後、二十六歳で巡査部長に昇進した。堅実な捜査と、失敗を恐れず挑戦する姿勢が評価されたのだ。
 大きな失敗をしたことがない。これは自慢できることだろう。相対的に自分は優秀であるとの自負もある。
 それでも、彼女の人生は盤石ではなかった。どうしても勝てない相手が一人だけいた。
 彼女と会わなくなってから八年。もう二度と会うことはないはずなのに、ふとした瞬間にあの頃の記憶が蘇る。そのたびに、涼花の心は鈍い痛みに締め付けられるのだった。  

   * * *

「涼花ちゃん! おーい!」
 千葉中央署ちばちゅうおうしょでの勤務を終え、署の玄関を出た涼花は、背後からの声に足を止めた。長い髪が揺れる。振り返ると、腹の突き出た中年の男が手を振っていた。
森岡もりおかさん? お久しぶりです」
 森岡は、涼花が以前勤務していた警察署で、刑事課の先輩だった人物だ。年齢は一回り以上離れている。仕事では頼りになる存在だったが、女癖の悪さは署内でも有名だった。合コンを企画しては若手の女性警察官に声をかけてまわっていた。涼花も誘われたことがあったが、きっぱり断っていた。  
「お元気でしたか? 異動してから連絡してなかったですけど」
「バリバリやってるよ! でもな、俺ももうすぐ四十だ。そろそろ家庭でも持つかと思うんだが、いい相手が見つからなくてさ」
 森岡が豪快に笑う。涼花は曖昧な笑みを返すしかなかった。森岡の結婚を願う親御さんの気持ちが痛いほどわかったから――そしてそれは、涼花自身にも跳ね返ってくる問題だった。  
「で、最近はどうだ?」
「どうって?」
「刑事課の仕事に決まってんだろ。何か面白いことでもないか?」
 森岡の笑顔は、どこか下卑たものだ。涼花は内心うんざりしていた。
「別に。いつも通りです」
「そうか? じゃ、軽く飲みにでも行かねえ? 奢るよ」
 森岡が馴れ馴れしく涼花の肩を抱いてきた。彼女は反射的にその手を振り払う。
「じゃあ、じゃないですよ。行きません。明日も仕事ですから」
「おいおい、久しぶりに会ったというのに釣れないねえ。ちょっとくらいいいじゃないか」
 涼花は眉をひそめて、森岡の腕から逃げた。
「意図を察してくださいよ。迷惑だと言っているんです。私、今お付き合いをしている人がいますんで」
 森岡の目が丸くなる。
「マジ? 涼花ちゃんに彼氏!?」
「ええ、そうです」
「嘘だろ……裏切られた気分だぜ……」
 よほどショックだったのか、森岡は大げさに肩を落としうなだれた。だが、すぐに顔を上げ、恨めしげに訊ねる。
「誰と付き合っているんだよ」
 涼花は冷ややかな視線で返す。
「誰とでもいいでしょう? 私は、森岡さんと足並みをそろえて独身を貫くつもりはありませんからね。答える義務だってありませんし。それでは、失礼します」
 踵を返し、涼花は歩き出した。背後で森岡が「おい!」と呼び止めるが、聞こえないふりをして立ち去る。夕暮れの街に溶け込むように足早に進みながら、恋人がいることが森岡を牽制する盾になったことに、内心で少し感謝した。  
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