殺意の二重奏

木立 花音

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第三章「捜査の突破口」

【絵画教室】

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 入沢蓮音が講師をしていた絵画教室は、習志野市ならしのし高根木戸たかねきど駅を出てすぐの場所にあった。
 タイル張りの白いマンションの三階に、『アート・オデッセイ』という看板が掲げられている。十数人ほどの生徒を抱える、小規模な絵画教室だ。
 涼花は会議室然とした部屋に通される。対応をしてくれたのは、絵画教室の代表の地位にある女性だった。年齢は四十路間近に見える。
「いきなりで申し訳ありません」
 その女性に対して涼花は殊勝な態度で頭を下げた。
「いえ、ご苦労さまです。蓮音さんのことでお訊ねしたいとのことでしたが……?」
「はい。簡単で構いません。生前、彼がこちらの絵画教室でどういった感じに講師をされていたのか、懇意にしていた人物がいたか、教えていただけるとありがたいのですが」
「蓮音さんですか……真面目な方でしたよ。生徒の指導にも熱心で」と女性は答えた。
「真面目に……そうなんですね」
 このへんは、涼花の中にある蓮音の印象と違わない。
「ええ。ただ、自分のことはあまり話さない人でしたので、交友関係はよく知りませんが。少なくとも、教室の生徒や講師の中で特別親しい人はいなかったと思います。ただ……」
「ただ、なんでしょう?」
「亡くなる少し前くらいでしたでしょうか? 蓮音さんに彼女ができたのではないか? との噂がありましたね」
「彼女ですか?」
 そういった情報はこれまでなかった。涼花はメモを取り始めた。
「ええ。あくまで噂ですけど。でも、ちょうどその頃からですね。蓮音さんの様子がおかしくなったのは」
「おかしいというのは?」
 涼花の質問に、その女性は表情を曇らせた。
「そうですねえ……なんと言ったらいいのでしょうか……心ここにあらずといった様子でした。絵を描いていても上の空で、生徒や講師の方たちともほとんど話をされなくなって……」
 そんなにも、蓮音の態度は変わったのだろうか。涼花にはちょっと想像できなかった。
「どういった感じの女性だったかわかりますか?」
「可愛らしい方でしたよ。私は一度しか見ていないので、噂になっていた女性と同じだったのかどうか、わかりませんけれどね」
「失礼ですが、先生が見られたのはこちらの女性ですか?」
 涼花は、千歳の写真を取り出して女性に見せた。
「いいえ。この女性ではないですね。もっと若い方でした」
「では、こちらの女性でしょうか」
 今度は千沙の写真を差し出すと、女性は即座に頷いた。
「ああ、たぶんこの方です。高校生みたいな風貌で可愛らしくて、先生もやるもんだな、なんて思ったのでよく覚えています」
 涼花は小さく息をついた。千沙は昨年蓮音と会ったきりだと話していたが、嘘の可能性が出てきた。もっとも、龍人と蓮音は外見がよく似ている。女性が見たのが龍人だった可能性も否定できない。ややこしいな、と涼花は苦い顔をしそうになる。
「二人が会っていたのはいつ頃からですか?」
「私が知る限り、今年の春頃からだと思います」
 蓮音の死の数ヶ月前だ。その時期に、蓮音と千沙の間で何か関係の変化があったのだろうか。
「あ……そういえば」
「なんでしょう?」
 女性はそこでいったん言葉を切り、それから少し声を落として言った。
「あまり大きな声では言えないのですが……」
 女性は周囲を気にするように視線を彷徨わせ、声を潜めた。
「……亡くなられるひと月ほど前のことです。蓮音さんが、その女性と言い争いをしているところを見たという生徒さんがいらっしゃいました」
「言い争い、ですか?」
「はい。女性が一方的に怒っていたと聞きました。その方と何かトラブルがあったのか、それとも別の原因かはわかりませんが……」
 つまり、そこでなんらかのトラブルがあって以降、蓮音の様子がおかしくなったということになるのだろうか。
 涼花は重ねて女性に礼を告げると、教室をあとにした。
 マンションを出て、車に乗ると涼花はすぐ越智に電話をかけた。
「もしもし」
『もしもし、お疲れ様です。どうでしたか?』
「蓮音の女性関係で気になる情報が得られたよ」
 涼花は、先ほど絵画教室で聞いた話を越智に伝えた。
『なるほど……』
「それで、申し訳ないんだけど、これから戸部千沙とコンタクトを取って、ここ一ヶ月ほどの間に、蓮音と会っていた事実がないか、もう一度確認してもらえる?」
『了解です』

   * * *

 千歳が自宅に戻ったのは午後五時を少し過ぎた頃だった。珍しく仕事が早く終わり、気分は軽い。玄関に入った瞬間、スマホに着信があった。龍人からだ。

「もしもし、どうかしたの?」
『今日、そっちに行っていいか?』
 また一緒に暮らさないかという話だろうか? と千歳は思った。だが、残念ながらそうではないらしい。些細な喧嘩から始まった別居だったが、千歳はそもそも大して怒っていない。また一緒に暮らそうと提案されたなら、断る理由はないのに。
「え、ええ。もちろん」
『じゃあ、今から向かう』
 そこで通話が切れた。
 千歳が夕食の準備を始めると、ほどなくしてドアチャイムが鳴った。玄関まで迎えに出ると、普段着姿の龍人がいた。小さな鞄を一つ抱えている。
「いらっしゃい。上がって」
 千歳は龍人を部屋の中へ招き入れた。彼は慣れた調子で部屋に上がり、だがふとその足を止めた。
「どうしたの?」
 不思議に思い千歳が尋ねると、龍人は落ち着いた調子で言った。
「今日、泊まっていってもいいか?」
「え……? べ、別に構わないけど……」
 千歳が答えると、龍人はにっこり微笑んだ。その笑顔につられて、千歳も思わず頬がゆるんでしまう。
 二人は夕食を共にし、順番に風呂に入った。リビングでくつろぎながら、千歳はソファーで本を読み、龍人はその隣でテレビを観ていた。
「なあ」
 ふと、龍人が口を開いた。
「なに?」
「千歳さ、少しは落ち着いた?」
 落ち着いた、とはなんの話だろう、と千歳は考える。パート先ではそりが合わない人も多少はいるが、悩むほどではない。私生活でも、特に大きな問題はない。
 しいて言えば、早く籍を入れたいと申し出ても、龍人が首を縦に振ってくれないことだったが。それを面と向かって言う気にはなれない。
「別に何も問題ないよ」と千歳は答えた。
「そうか」龍人は満足げに頷き、そこで言葉を切った。
 千歳が不思議に思い彼の顔を覗くと、龍人は頬を少し赤らめ、視線を逸らした。そして小さな声で言った。
「千歳には俺がついている。だから何も心配しなくていい」と。
 彼がそう言ってくれることが、千歳は嬉しかった。

   * * *
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