『境界線の濁流』

かおるこ

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第12話「白い牢」

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鉄の扉が、朝の光の中でゆっくり開いた。

**ガシャン。**

重たい金属の音が、廊下に響く。

蓮は顔を上げた。
留置室の蛍光灯は一晩中ついていたせいで、目が痛い。
喉は乾いている。
口の中が鉄みたいな味だ。

「起きてるか」

警察官が言った。

「……起きてる」

声がかすれていた。

警察官は鍵を回す。

「今日は移送だ」

「……病院?」

「そう」

蓮はベッドから足を下ろす。
床が冷たい。

外の廊下から、消毒液の匂いが漂ってくる。

「三週間だってな」

警察官が軽く言う。

「措置入院」

蓮はぼんやり聞いていた。

そのとき、

背中の壁に映る影が、少し揺れた。

蓮は小さく言う。

「……お前も来るんだろ」

警察官が眉をひそめる。

「誰に言ってる?」

「……別に」

---

救急車の中は白かった。

プラスチックの匂い。
アルコールの匂い。
金属のきしむ音。

ベルトで体を固定される。

「苦しくない?」

救急隊員が聞く。

「……平気」

車が動き出す。

サイレンは鳴っていない。

静かな移動だ。

天井の小さなライトが揺れる。

その光の中で、

蓮はふと呟いた。

「……あのさ」

隊員が顔を上げる。

「どうしました?」

「ここって」

蓮は少し笑った。

「ドグラ・マグラみたいだな」

隊員はきょとんとする。

「……なんです?」

「小説」

蓮は天井を見たまま言う。

「頭おかしい奴が、ずっと病院に閉じ込められるやつ」

隊員は困った顔をした。

「まぁ……ゆっくり休めば大丈夫ですよ」

蓮は小さく笑う。

「みんなそう言う」

---

病院の玄関は大きかった。

ガラスの自動ドア。

**ウィーン。**

冷たい空気が流れてくる。

消毒液の匂いが強い。

受付の奥で看護師が話している。

「措置入院の方、来ました」

「はい、こちらです」

白衣の医者が近づいてくる。

昨日の医者とは違う人だ。

若い。

目が疲れている。

「蓮さんですね」

「……はい」

「ここでは安全に過ごしてもらいます」

その言葉に、蓮は少し笑った。

「安全」

医者がカルテをめくる。

「幻覚、妄想、錯乱」

「警察保護」

「医療判断」

ペンが紙を擦る。

**カリカリ。**

「三週間、観察します」

蓮は言う。

「もし治らなかったら?」

医者は顔を上げない。

「延びます」

その一言が、重く落ちた。

---

病棟の扉は、分厚かった。

鍵が三つ。

**ガチャ。
ガチャ。
ガチャ。**

看護師が振り向く。

「携帯、刃物、紐類は預かります」

「……ない」

「ベルトも外してください」

蓮はベルトを外す。

ズボンが少し落ちる。

看護師は慣れた手つきで袋に入れる。

「部屋はこちら」

廊下は静かだった。

床がピカピカに光っている。

遠くで誰かが笑っている。

甲高い笑い声。

「ひひひひ……」

蓮は立ち止まる。

「……誰?」

看護師は普通に言う。

「患者さん」

また笑い声。

「ひひひひ!」

その声に、

影が床で揺れた。

蓮は小さく言う。

「……いるな」

看護師が振り返る。

「何がです?」

「いや」

---

部屋は狭かった。

ベッド。

小さな机。

鉄格子の窓。

外は曇り空。

看護師が言う。

「ここで休んでください」

「……はい」

ドアが閉まる。

**ガチャン。**

鍵の音。

足音が遠ざかる。

静寂。

蓮はベッドに座った。

マットレスが硬い。

窓の外を見る。

灰色の空。

そして、

窓ガラスに映る影。

黒い影。

蓮の背中から伸びている。

「……まだいるな」

蓮は呟く。

影は答えない。

ただ、

ゆっくり揺れている。

蓮は天井を見た。

白い。

蛍光灯。

目が少し痛い。

そして、

ふと笑った。

「ドグラ・マグラだな」

静かな部屋に声が落ちる。

「ここが夢か」

「外が夢か」

誰も答えない。

蓮は影に向かって言う。

「なぁ」

影が揺れる。

「どっちが現実なんだ?」

窓の外で風が鳴る。

**ゴォ……**

その音が、

一瞬、

川の音に聞こえた。

蓮は目を閉じる。

冷たい濁流。

泥の匂い。

あの世界。

それはまだ、

胸の奥で

静かに流れていた。
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