『境界線の濁流』

かおるこ

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第11話「保護」

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外の空気が、急に騒がしくなった。

遠くでサイレンが鳴る。

**ウゥゥゥン……ウゥゥゥン……**

最初は一つだと思った。

だが違う。

音が重なっている。

高いサイレン。
低いサイレン。
短く切れる警告音。

蓮は川の中で立ち止まった。

濁った水が膝を打つ。

**ゴォォ……**

「……なんだ?」

顔を上げる。

向こう岸。

光が見えた。

赤。

青。

白。

回転している。

「……?」

次の瞬間、誰かの声が聞こえた。

「いたぞ!あそこ!」

「こっちだ!」

蓮は瞬きをする。

川が、揺れた。

水の音が消える。

代わりに聞こえるのは——

人の足音。

**バタバタバタ**

そして、

懐中電灯の光。

「大丈夫か!」

強い光が目に刺さる。

蓮は目を細めた。

「あぶねえぞ!」

誰かが近づいてくる。

「落ち着け!」

蓮は周りを見た。

川は、なかった。

アパートの廊下。

冷たいコンクリート。

蛍光灯の白い光。

蓮は床に座り込んでいた。

手は濡れていない。

だが、

胸はまだ水の冷たさを覚えている。

「……あれ?」

警察官が二人、目の前に立っていた。

紺色の制服。

肩の無線が小さく鳴る。

「おい、聞こえるか?」

一人がしゃがむ。

「名前言える?」

蓮は口を開く。

「……川が」

「は?」

「流れてて」

警察官が顔を見合わせる。

後ろから別の声。

「救急も来てます」

振り返ると、階段の方に人が立っている。

白いヘルメット。

消防服。

さらにその向こう。

赤い光。

救急車。

パトカー。

消防車。

全部来ていた。

廊下の外は、

**赤と青の光でぐるぐる回っている。**

「……なんで」

蓮は呟いた。

警察官がゆっくり言う。

「通報があった」

「……通報?」

「騒いでたんだろ?」

隣の部屋のドアが少し開いている。

そこから誰かが見ている。

「意味不明なこと叫んで、床這い回ってたって」

蓮の喉が乾く。

「……川だった」

小さく言う。

「ほんとに」

警察官は何も言わない。

代わりにもう一人が腕を取る。

「立てる?」

「……」

蓮は立ち上がろうとする。

足がふらつく。

救急隊員が近づく。

「意識ははっきりしてますか?」

「……してる」

「薬は飲んでます?」

「……飲んでる」

隊員が警察官に小さく言う。

「精神の可能性ありますね」

蓮は聞こえていた。

胸の奥が冷たくなる。

「ちょっと署まで来てもらう」

警察官が言った。

「……なんで」

「状況確認」

腕を軽く掴まれる。

冷たい手袋。

蓮は抵抗しない。

ただ聞く。

「……逮捕?」

警察官は首を振った。

「違う」

少し間を置いて言う。

「保護だ」

---

パトカーの後部座席は狭かった。

硬いビニールの匂い。

無線の音。

「○○号、現場対応終了」

車が動き出す。

窓の外の街灯が流れる。

蓮はぼんやり外を見る。

影がガラスに映る。

自分の影。

その後ろ。

黒い影。

「……来てるな」

蓮が呟く。

前の席の警察官が振り向く。

「何か言った?」

「……いや」

車は静かに走る。

サイレンはもう鳴っていない。

それでも胸の奥では、

まだ川が流れている。

---

警察署の空気は冷たかった。

蛍光灯の光。

消毒液の匂い。

机の上の書類。

カップ麺の残り香。

「ここ座って」

椅子に座らされる。

刑事が向かいに座る。

四十代くらい。

疲れた顔。

「名前」

「……蓮」

「フルネーム」

蓮は答える。

ペンが紙を擦る。

**カリカリ**

「何してた?」

「……川を渡ろうとしてた」

刑事の手が止まる。

「川?」

「廊下に」

沈黙。

刑事はゆっくり息を吐いた。

「幻覚か」

蓮は言い返さない。

別の警察官が入ってくる。

「医者来てます」

刑事が頷く。

「ちょっと待ってな」

---

白衣の男が現れた。

丸眼鏡。

穏やかな声。

「こんばんは」

椅子に座る。

「私は精神科医です」

蓮は黙っている。

医者が静かに言う。

「あなたは今、危険な状態です」

「……誰が」

「あなた自身が」

蓮の眉が動く。

医者は続ける。

「自傷、他害の恐れ」

「……俺、誰も殴ってない」

「でも可能性がある」

医者は紙をめくる。

「大声、錯乱、幻覚」

「通報」

「警察保護」

蓮は目を閉じる。

影が背中で揺れる。

医者が言う。

「医療裁判になります」

「……裁判?」

「措置入院の判断」

蓮は笑った。

乾いた笑い。

「俺、犯罪者じゃない」

医者は首を振る。

「病気です」

その言葉が、

胸に沈む。

しばらくして、

別室に連れていかれた。

小さな部屋。

机。

録音機。

裁判官のような男。

医者。

警察官。

質問が続く。

「幻覚は見えますか」

「……はい」

「今も?」

蓮は少し考える。

そして、

後ろを見る。

影がいる。

壁に揺れている。

「……います」

裁判官が医者を見る。

医者が頷く。

静かな声。

「措置入院が妥当です」

蓮の耳に残った言葉は、

それだけだった。

---

鉄のドアが閉まる。

**ガシャン。**

留置室。

冷たい床。

硬いベッド。

消毒液の匂い。

遠くで誰かが咳をする。

警察官が言う。

「明日、病院に移送」

蓮は聞く。

「……どれくらい」

「三週間」

短く答える。

「措置入院」

足音が遠ざかる。

鍵が回る。

静寂。

蓮は天井を見る。

蛍光灯の白い光。

影が横に伸びている。

黒い影。

それが、

ゆっくり揺れた。

蓮は小さく言う。

「……三週間だって」

影は答えない。

ただ、

そこにいた。

まるで、

**ずっと前から一緒だったみたいに。**

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