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第6話 IF 三千万円の春
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IF 三千万円の春
雨の匂いが、窓の隙間から入ってきていた。
三月の終わり。
少し湿った空気。
テーブルの上には、古い通帳と一通の封筒。
恒一はそれを何度も開いては閉じていた。
「……三千万円」
小さく呟く。
父の遺産だった。
銀行の残高の数字は、いつも見ていた給料の桁と違う。
見慣れないゼロの数。
志保が台所から顔を出す。
「まだ見てるの?」
「いや……」
恒一は通帳を閉じる。
「なんか実感なくてさ」
志保は笑う。
「宝くじじゃないのよ」
味噌汁の湯気がふわりと立ち上る。
鰹だしの匂い。
息子が椅子に座りながら言う。
「お父さん、お金持ちになったの?」
恒一は苦笑する。
「違う違う」
箸を取りながら言う。
「これはな」
少し考える。
「未来のお金だ」
娘が聞く。
「未来?」
志保が椀を置く。
「あなた、どうするの」
恒一はゆっくり答える。
「子どもだろ」
志保は頷く。
その言葉だけで、もう決まっていた。
---
夜。
台所の蛍光灯が白い。
テーブルの上にノートが広がっている。
電卓。
カチ、カチ。
恒一が言う。
「大学まで出すとさ」
「いくらくらい?」
志保が腕を組む。
「全部公立でも三千万くらい」
志保の目が丸くなる。
「そんなに?」
「大学が一番かかるらしい」
恒一はノートに数字を書く。
**30000000**
「私立入ったら」
「五千万とか」
志保は息を吐く。
「……家一軒じゃない」
息子が廊下から顔を出す。
「何の話?」
恒一は笑う。
「お前の未来の話」
「未来?」
「大学だ」
息子は首を傾げる。
「まだ遠いよ」
「そうだな」
恒一は笑う。
「でも今から準備するんだ」
志保がぽつりと言う。
「三千万、全部使うの?」
恒一は頷く。
「たぶん」
少しだけ静かになる。
窓の外で、雨が降り始めた。
ポツ、ポツ。
志保が言う。
「自分のためには?」
恒一は笑う。
「もう働いてるしな」
志保は少しだけ黙る。
「……あなたって」
「ん?」
「損な人ね」
恒一は肩をすくめる。
「そうか?」
「普通、少しは残すわよ」
恒一は湯気の立つ味噌汁をすする。
塩の味。
だしの香り。
「子どもだろ」
それだけだった。
---
会社。
昼休み。
食堂のカレーの匂い。
同僚の相馬が言う。
「三千万?」
「親父の遺産」
相馬は目を丸くする。
「すげえじゃん」
「まあな」
「何買う?」
恒一は笑う。
「何も」
相馬はスプーンを止める。
「は?」
「教育費」
相馬は笑う。
「真面目すぎ」
「そうか?」
「俺なら車買う」
「だろうな」
カレーのスパイスの匂いが強い。
相馬は言う。
「でもさ」
「なんだ」
「子ども二人育てるのって」
少し考える。
「三千万じゃ足りないぞ」
恒一はスプーンを止める。
「足りない?」
「大学までだろ」
相馬は指を折る。
「食費」
「服」
「塾」
「スマホ」
「修学旅行」
笑う。
「人生、金かかる」
恒一は苦笑する。
「……だよな」
---
夜。
家。
テーブルの上のノート。
数字が増えている。
**教育費**
**生活費**
**大学**
恒一が言う。
「結局さ」
「三千万じゃ」
志保が続きを言う。
「足りない」
沈黙。
娘が部屋から顔を出す。
「お父さん」
「ん?」
「私、大学行きたい」
恒一は笑う。
「行け」
娘は少し驚く。
「本当に?」
「行け」
娘は嬉しそうに笑う。
「ありがとう!」
その笑顔を見て、恒一は思う。
三千万。
大きな金だ。
だが。
子どもの未来は、もっと大きい。
---
六畳のアパート。
恒一は目を開ける。
天井の染み。
冷たい空気。
夢だった。
三千万の遺産。
味噌汁の匂い。
子どもの声。
全部、夢。
テーブルの上には離婚届。
恒一はそれを見つめる。
「……三千万あっても」
小さく言う。
「同じだったかもな」
窓の外で電車が走る。
ゴトン。
ゴトン。
人生は、数字では決まらない。
三千万でも。
六千万でも。
たぶん足りない。
恒一は目を閉じる。
頭の奥で、あの数字がまた浮かぶ。
**67.2歳。**
その数字の前では、
三千万も、
人生も、
少しだけ
同じ重さに見えた。
雨の匂いが、窓の隙間から入ってきていた。
三月の終わり。
少し湿った空気。
テーブルの上には、古い通帳と一通の封筒。
恒一はそれを何度も開いては閉じていた。
「……三千万円」
小さく呟く。
父の遺産だった。
銀行の残高の数字は、いつも見ていた給料の桁と違う。
見慣れないゼロの数。
志保が台所から顔を出す。
「まだ見てるの?」
「いや……」
恒一は通帳を閉じる。
「なんか実感なくてさ」
志保は笑う。
「宝くじじゃないのよ」
味噌汁の湯気がふわりと立ち上る。
鰹だしの匂い。
息子が椅子に座りながら言う。
「お父さん、お金持ちになったの?」
恒一は苦笑する。
「違う違う」
箸を取りながら言う。
「これはな」
少し考える。
「未来のお金だ」
娘が聞く。
「未来?」
志保が椀を置く。
「あなた、どうするの」
恒一はゆっくり答える。
「子どもだろ」
志保は頷く。
その言葉だけで、もう決まっていた。
---
夜。
台所の蛍光灯が白い。
テーブルの上にノートが広がっている。
電卓。
カチ、カチ。
恒一が言う。
「大学まで出すとさ」
「いくらくらい?」
志保が腕を組む。
「全部公立でも三千万くらい」
志保の目が丸くなる。
「そんなに?」
「大学が一番かかるらしい」
恒一はノートに数字を書く。
**30000000**
「私立入ったら」
「五千万とか」
志保は息を吐く。
「……家一軒じゃない」
息子が廊下から顔を出す。
「何の話?」
恒一は笑う。
「お前の未来の話」
「未来?」
「大学だ」
息子は首を傾げる。
「まだ遠いよ」
「そうだな」
恒一は笑う。
「でも今から準備するんだ」
志保がぽつりと言う。
「三千万、全部使うの?」
恒一は頷く。
「たぶん」
少しだけ静かになる。
窓の外で、雨が降り始めた。
ポツ、ポツ。
志保が言う。
「自分のためには?」
恒一は笑う。
「もう働いてるしな」
志保は少しだけ黙る。
「……あなたって」
「ん?」
「損な人ね」
恒一は肩をすくめる。
「そうか?」
「普通、少しは残すわよ」
恒一は湯気の立つ味噌汁をすする。
塩の味。
だしの香り。
「子どもだろ」
それだけだった。
---
会社。
昼休み。
食堂のカレーの匂い。
同僚の相馬が言う。
「三千万?」
「親父の遺産」
相馬は目を丸くする。
「すげえじゃん」
「まあな」
「何買う?」
恒一は笑う。
「何も」
相馬はスプーンを止める。
「は?」
「教育費」
相馬は笑う。
「真面目すぎ」
「そうか?」
「俺なら車買う」
「だろうな」
カレーのスパイスの匂いが強い。
相馬は言う。
「でもさ」
「なんだ」
「子ども二人育てるのって」
少し考える。
「三千万じゃ足りないぞ」
恒一はスプーンを止める。
「足りない?」
「大学までだろ」
相馬は指を折る。
「食費」
「服」
「塾」
「スマホ」
「修学旅行」
笑う。
「人生、金かかる」
恒一は苦笑する。
「……だよな」
---
夜。
家。
テーブルの上のノート。
数字が増えている。
**教育費**
**生活費**
**大学**
恒一が言う。
「結局さ」
「三千万じゃ」
志保が続きを言う。
「足りない」
沈黙。
娘が部屋から顔を出す。
「お父さん」
「ん?」
「私、大学行きたい」
恒一は笑う。
「行け」
娘は少し驚く。
「本当に?」
「行け」
娘は嬉しそうに笑う。
「ありがとう!」
その笑顔を見て、恒一は思う。
三千万。
大きな金だ。
だが。
子どもの未来は、もっと大きい。
---
六畳のアパート。
恒一は目を開ける。
天井の染み。
冷たい空気。
夢だった。
三千万の遺産。
味噌汁の匂い。
子どもの声。
全部、夢。
テーブルの上には離婚届。
恒一はそれを見つめる。
「……三千万あっても」
小さく言う。
「同じだったかもな」
窓の外で電車が走る。
ゴトン。
ゴトン。
人生は、数字では決まらない。
三千万でも。
六千万でも。
たぶん足りない。
恒一は目を閉じる。
頭の奥で、あの数字がまた浮かぶ。
**67.2歳。**
その数字の前では、
三千万も、
人生も、
少しだけ
同じ重さに見えた。
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