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第三話「五人囃子:不協和音」
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第三話「五人囃子:不協和音」
「こんなの古いじゃん」
わたしはスマホをいじりながら、わざと大きな声で言った。
緋色の段の上で、五人囃子がきちんと並んでいる。
太鼓、小鼓、大鼓、笛、謡い。
「今年は出さなくていいよ。誰も見ないし」
「見るわよ」
母が言う。
「おばあちゃんも来るし」
「だからなに」
「だから、ちゃんとするの」
ちゃんと。
その言葉が嫌いだ。
居間に甘酒の匂いが漂っている。
ひなあられの甘い粉が、指先にざらつく。
「インスタ映えとか狙ってるの?」
「そんなわけないでしょ」
母の声が少しだけ尖る。
わたしは肩をすくめる。
「まあ、好きにすれば」
そう言いながらも、目の端で五人囃子を見る。
同じ顔。
同じ姿勢。
息を止めたまま、音を待っている。
夜。
家は静まり返る。
部屋のドアを閉め、イヤホンを耳に差そうとした瞬間、
かすかな音が聞こえた。
ひゅう。
「……なに?」
また、ひゅう。
笛だ。
細く、頼りない音。
わたしはドアを少し開ける。
廊下の向こう、居間の灯りが漏れている。
「まさか」
足音を忍ばせて近づく。
父が、正座していた。
手に小さな横笛。
ぎこちない指づかい。
ひゅ、ひゅう。
音がかすれる。
「……うるさい」
思わず口に出る。
父がびくりとする。
「起きてたのか」
「何してんの」
「練習」
「なにの」
「五人囃子の笛」
わたしは笑う。
「本気?」
「本気」
父は真顔だ。
緋色の段の前で、
人形たちが父を見下ろしている。
「やめてよ、近所迷惑」
「窓は閉めてる」
「そういう問題じゃなくて」
父は笛を置く。
「お前、小さい頃、これ好きだったろ」
「覚えてない」
「覚えてるよ。笛の人が一番好きだって」
そんなこと、言っただろうか。
「今は別に」
わたしは壁にもたれる。
「なんで練習してんの」
「合わせたくて」
「誰と」
「五人囃子と」
父は少し笑う。
「毎年、音が聞こえないのが気になってな」
「当たり前でしょ、人形なんだから」
「でもさ」
父は人形を見上げる。
「こいつら、音出したそうにしてる」
沈黙。
ひゅう、とまた吹く。
今度は少し長く、まっすぐな音。
完璧じゃない。
むしろ、不安定。
でも、まっすぐだ。
「下手」
「知ってる」
「音外れてる」
「知ってる」
父は笑う。
その笑いが、少しだけ悔しそうだ。
「でもさ」
父が言う。
「家族って、最初から合ってるわけじゃないだろ」
「なにそれ」
「ちょっとずつ、合わせるんだよ」
笛をもう一度、唇にあてる。
ひゅう。
今度は、さっきより滑らか。
わたしは、耳を澄ます。
うるさい、と言ったのに。
耳を塞ぐ代わりに、息を止める。
五人囃子の笛の人形を見る。
静かな顔。
音は出ない。
けれど、父の音に、ほんの少し寄り添っているように見える。
「わたし、古いの嫌いなんじゃないかも」
小さくつぶやく。
「なに?」
「なんでもない」
床に座る。
畳の冷たさが、膝に伝わる。
「もう一回」
自分でも驚く言葉が出る。
「なんだって?」
「もう一回、吹いて」
父が目を丸くする。
「うるさいって言ったくせに」
「今はいい」
父は、少し照れくさそうに笛を構える。
ひゅう。
今度は、ほんの少しだけ、
五人囃子のリズムに近づく。
太鼓も、小鼓もない。
完璧な合奏なんて、ない。
でも、音はある。
「さっきよりマシ」
「ほんとか」
「ほんと」
父の肩が、少しだけ軽くなる。
「来年さ」
父が言う。
「お前も、なんかやるか」
「なにを」
「太鼓でも」
「無理」
笑う。
でも、胸の奥があたたかい。
不協和音。
それは、失敗じゃない。
まだ、合わせている途中の音。
五人囃子は、黙ったまま並んでいる。
けれど、
わたしたちの不器用な音を、
ちゃんと聞いている気がした。
「こんなの古いじゃん」
わたしはスマホをいじりながら、わざと大きな声で言った。
緋色の段の上で、五人囃子がきちんと並んでいる。
太鼓、小鼓、大鼓、笛、謡い。
「今年は出さなくていいよ。誰も見ないし」
「見るわよ」
母が言う。
「おばあちゃんも来るし」
「だからなに」
「だから、ちゃんとするの」
ちゃんと。
その言葉が嫌いだ。
居間に甘酒の匂いが漂っている。
ひなあられの甘い粉が、指先にざらつく。
「インスタ映えとか狙ってるの?」
「そんなわけないでしょ」
母の声が少しだけ尖る。
わたしは肩をすくめる。
「まあ、好きにすれば」
そう言いながらも、目の端で五人囃子を見る。
同じ顔。
同じ姿勢。
息を止めたまま、音を待っている。
夜。
家は静まり返る。
部屋のドアを閉め、イヤホンを耳に差そうとした瞬間、
かすかな音が聞こえた。
ひゅう。
「……なに?」
また、ひゅう。
笛だ。
細く、頼りない音。
わたしはドアを少し開ける。
廊下の向こう、居間の灯りが漏れている。
「まさか」
足音を忍ばせて近づく。
父が、正座していた。
手に小さな横笛。
ぎこちない指づかい。
ひゅ、ひゅう。
音がかすれる。
「……うるさい」
思わず口に出る。
父がびくりとする。
「起きてたのか」
「何してんの」
「練習」
「なにの」
「五人囃子の笛」
わたしは笑う。
「本気?」
「本気」
父は真顔だ。
緋色の段の前で、
人形たちが父を見下ろしている。
「やめてよ、近所迷惑」
「窓は閉めてる」
「そういう問題じゃなくて」
父は笛を置く。
「お前、小さい頃、これ好きだったろ」
「覚えてない」
「覚えてるよ。笛の人が一番好きだって」
そんなこと、言っただろうか。
「今は別に」
わたしは壁にもたれる。
「なんで練習してんの」
「合わせたくて」
「誰と」
「五人囃子と」
父は少し笑う。
「毎年、音が聞こえないのが気になってな」
「当たり前でしょ、人形なんだから」
「でもさ」
父は人形を見上げる。
「こいつら、音出したそうにしてる」
沈黙。
ひゅう、とまた吹く。
今度は少し長く、まっすぐな音。
完璧じゃない。
むしろ、不安定。
でも、まっすぐだ。
「下手」
「知ってる」
「音外れてる」
「知ってる」
父は笑う。
その笑いが、少しだけ悔しそうだ。
「でもさ」
父が言う。
「家族って、最初から合ってるわけじゃないだろ」
「なにそれ」
「ちょっとずつ、合わせるんだよ」
笛をもう一度、唇にあてる。
ひゅう。
今度は、さっきより滑らか。
わたしは、耳を澄ます。
うるさい、と言ったのに。
耳を塞ぐ代わりに、息を止める。
五人囃子の笛の人形を見る。
静かな顔。
音は出ない。
けれど、父の音に、ほんの少し寄り添っているように見える。
「わたし、古いの嫌いなんじゃないかも」
小さくつぶやく。
「なに?」
「なんでもない」
床に座る。
畳の冷たさが、膝に伝わる。
「もう一回」
自分でも驚く言葉が出る。
「なんだって?」
「もう一回、吹いて」
父が目を丸くする。
「うるさいって言ったくせに」
「今はいい」
父は、少し照れくさそうに笛を構える。
ひゅう。
今度は、ほんの少しだけ、
五人囃子のリズムに近づく。
太鼓も、小鼓もない。
完璧な合奏なんて、ない。
でも、音はある。
「さっきよりマシ」
「ほんとか」
「ほんと」
父の肩が、少しだけ軽くなる。
「来年さ」
父が言う。
「お前も、なんかやるか」
「なにを」
「太鼓でも」
「無理」
笑う。
でも、胸の奥があたたかい。
不協和音。
それは、失敗じゃない。
まだ、合わせている途中の音。
五人囃子は、黙ったまま並んでいる。
けれど、
わたしたちの不器用な音を、
ちゃんと聞いている気がした。
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