『十五人囃子の不在』

かおるこ

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第八話「御輿入れ」

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第八話「御輿入れ」

「全部、持っていくの?」

畳の上に並べられた雛道具を見て、わたしは思わず聞いた。

黒漆の箪笥。
小さな鏡台。
蒔絵の入った重箱。
御所車。

どれも掌に乗るほどの大きさなのに、やけに存在感がある。

「嫁入り道具だからね」

母が笑う。

「昔は、こうやって持たされたのよ」

「全部?」

「全部」

母の声は軽い。
けれど、指先は丁寧に埃を払っている。

緋色の毛氈が、目に刺さる。

「わたし、そんなに運べないよ」

冗談のつもりで言ったのに、喉が少し乾く。

「今はトラックで一発よ」

母が笑う。

「そういう意味じゃなくて」

わたしは、御所車を手に取る。

つるりと冷たい。
漆の匂いがほのかにする。

結婚式まで、あと三週間。

「向こうのご両親、ちゃんとした家だし」

母が言う。

「ちゃんと、って?」

「ちゃんとよ」

曖昧な言葉。

胸がざわつく。

「家に入るんだから」

その言葉が、重く落ちる。

入る。

移動する。

わたしは、ここから、あちらへ。

「ねえ、結婚ってさ」

「なに」

「移動なのかな」

母が手を止める。

「選択よ」

「ほんとに?」

雛壇の三人官女が、静かに並んでいる。

その下の嫁入り道具。

「わたし、あの家に“入る”の?」

「入る、って言い方は古いわね」

「でも、住所も名字も変わるよ」

母は少し黙る。

「あなたが望んだんでしょ」

望んだ。

彼の笑顔。
手の温もり。
将来の話。

「好きだよ」

ぽつりとつぶやく。

「なら、それでいいじゃない」

母の声は優しい。

けれど、胸は軽くならない。

夜。

彼から電話が来る。

「準備どう?」

「うん、まあ」

「緊張してる?」

「ちょっと」

笑い声が受話器越しに弾む。

「大丈夫だよ。うち、そんな堅苦しくないし」

「うん」

「母さんも楽しみにしてるって」

その言葉に、胃がきゅっと縮む。

「ねえ」

「なに?」

「わたし、ちゃんとできるかな」

「なにが」

「あなたの家の人、って」

少し沈黙。

「うちの家の人、って?」

彼が笑う。

「もう、俺たちの家だろ」

その言葉に、少し救われる。

でも、どこかで、引っかかる。

俺たちの家。

でも、わたしはそこに入る。

雛壇の前に座る。

嫁入り道具を、ひとつひとつ見つめる。

小さな箪笥を開ける。

からっぽだ。

「中身、ないじゃん」

当たり前だ。

これは象徴だ。

持っていく“役割”。

「全部持っていくの?」

もう一度、つぶやく。

自分の仕事。
自分の名字。
自分の友達。
自分の癖。

どれを箱に入れて、どれを置いていくのか。

緋色の毛氈に手をつく。

ざらりとした感触。

重い。

たった布なのに。

「苦しい?」

背後から母の声。

「うん」

素直に言ってしまう。

母は隣に座る。

「わたしも、苦しかったわよ」

「え?」

「御輿入れって言葉、重いでしょ」

母は笑う。

「でもね」

「なに」

「運ばれるんじゃないのよ」

母の指が、御所車をくるりと回す。

「自分で、乗るの」

小さな車輪が、畳の上でかすかに転がる。

「選ぶの」

わたしは、御所車を握る。

ひんやりしている。

でも、しっかりしている。

「全部持っていかなくていいのよ」

母が言う。

「持っていきたいものだけでいい」

胸の奥で、何かがほどける。

「名字、変えなくてもいいんだよね」

「いいのよ」

「仕事も、続けていいんだよね」

「当たり前」

涙が、じわりとにじむ。

「怖かった」

「なにが」

「箱ごと、運ばれる気がして」

母が、そっと背中に手を置く。

「箱はね」

「うん」

「自分で開けるものよ」

雛壇の上で、嫁入り道具は静かに並んでいる。

小さくて、重たそうで、でもからっぽ。

わたしは、御所車を元の位置に戻す。

「わたし、乗るよ」

「どこへ?」

「自分で選んだ家へ」

緋色の段が、少しだけ柔らかく見える。

移動じゃない。

選択。

箱は重い。

でも、持ち方は選べる。

嫁入り道具は、黙っている。

その沈黙は、命令じゃない。

ただの、形。

わたしは立ち上がる。

「全部は、持っていかない」

母が笑う。

「そうしなさい」

緋色の上で、小さな御所車が、
静かに光を受けている。

運ばれるのではない。

わたしが、歩くのだ。

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