『沈黙のキング —— 執事が教えた「聞く」という最強の武器』

かおるこ

文字の大きさ
4 / 13

【第3話】カースト底辺からのSOS

しおりを挟む
放課後の旧校舎。埃っぽく、湿ったインクの匂いが漂う廊下を、一条蓮は苛立ちとともに歩いていた。

「……なぜ俺が、こんな場所の備品確認をしなければならないんだ」

すべては佐藤の差し金だった。『王たるもの、領土の隅々にまで耳を傾けねえればなりません』。そんな屁理屈を並べられ、生徒会活動という名目で、普段なら足を踏み入れることすらない「カースト圏外」の掃き溜め――部室棟の最果てへと追いやられたのだ。

重い鉄の扉を開けるたびに、蝶番が悲鳴のような音を立てる。
最後の部室、文芸部の札が掲げられた部屋の前で、一人の女子生徒が立ち尽くしていた。

乱れた前髪に、分厚い眼鏡。制服はサイズが合っていないのか、肩が落ちている。名は……確か、**野原 紬(のはら つむぎ)**。存在感が希薄すぎて、同じクラスであることさえ今の今まで忘れていた。

「あ……あ、あの……一条、くん」

消え入りそうな声。蓮は心の中で舌打ちした。
(面倒だな。適当にあしらって帰るか……)
だが、廊下の突き当たりの影から、佐藤の冷徹な視線を感じる。

「……なんだ。言いたいことがあるなら、はっきり言え」

蓮は意識して、佐藤から叩き込まれた「開かれた質問(オープン・クエスチョン)」を脳内に呼び起こした。はい、いいえで終わらせない問いかけ。相手の物語を引き出す、禁断の鍵。

「あの……この部室、来月から閉鎖されるって、本当ですか? 私、まだ……書きたいものがあって」

「閉鎖の噂か。……君にとって、この場所がなくなることは、どういう意味を持つんだ?」

紬が、弾かれたように顔を上げた。
「どういう、意味……」
彼女は困惑したように指を絡ませ、視線を彷徨わせる。これまでの蓮なら「決定事項だ、諦めろ」と切り捨てていただろう。だが、蓮は黙って彼女の言葉を待った。

「ここは……私の、唯一の呼吸ができる場所なんです。教室だと、みんなの笑い声が、鋭い針みたいに刺さって……自分が透明人間になったみたいで。でも、ここでペンを持っている時だけは、私は私でいられるんです」

「透明人間、か」
蓮は、窓から差し込む西日に目を細めた。埃の粒子が、光の柱の中で踊っている。
「……具体的に、どんな物語を書いている時に、自分が自分であると感じるんだ?」

「え……?」
紬の瞳が、驚きに揺れる。カースト頂点の男が、地べたを這うような自分の「作品の中身」に興味を示すはずがない。そう思い込んでいた彼女の防衛本能が、蓮の問いによって優しく解体されていく。

「あの、……誰も救われないような、暗い迷路の話です。でも、最後に一筋だけ、自分の手足が見えるくらいの光が差す……そんな話を。……変、ですよね。一条くんみたいな、光の中にいる人には」

「光の中にいる、か。……君の目には、僕がそう映っているんだね。では、君がその『一筋の光』を書く時に、一番大切にしている感情は何だ?」

蓮の声は、自分でも驚くほど穏やかだった。
紬は、堰を切ったように話し始めた。
自分の孤独、言葉にできない焦燥、深夜の静寂だけが味方だった日々。彼女がこれまで誰にも話せず、ノートの隅に埋めていた言葉たちが、蓮の「開かれた問い」に導かれ、濁流となって溢れ出す。

「……私、初めてです。こんなに、自分の話を聞いてもらえたの。みんな、私が話し出すと、すぐにスマホを見たり、話を逸らしたりするから……」

紬の頬を、一筋の涙が伝った。
それは悲しみの涙ではなかった。自分の存在が、誰かの意識の中に確かに「着地」したことへの、震えるような安堵だった。

「私……この場所がなくなっても、書き続けます。一条くんが、聞いてくれたから」

彼女は、不器用な手つきで眼鏡を拭い、小さく微笑んだ。その笑顔は、教室で見せる卑屈なものではなく、表現者としての矜持が宿った、確かな美しさを持っていた。

(……なんだ、この感覚は)

蓮の胸の奥で、小さな、しかし無視できないさざ波が立った。
これまで、他人を従わせることでしか得られなかった充足感とは、全く質の異なる温かさ。
誰かの心の扉を開け、その奥にある魂に触れるということが、これほどまでに重く、瑞々しいものだとは知らなかった。

「……ふん。勝手にするがいい。だが、書き終えたら、その『一筋の光』とやらを僕に見せろ。確認してやる」

蓮は背を向け、足早に廊下を歩き出した。
背後で、紬の「はい!」という明るい声が響く。

「坊ちゃま。耳が少し、赤うございますよ」

角を曲がったところで待ち構えていた佐藤が、意地の悪い笑みを浮かべていた。

「黙れ。……佐藤、あの女子は、透明人間なんかじゃないぞ」

「左様でございますか。……『開かれた質問』は、相手に自分を発見させる魔法でございます。坊ちゃまも、少しは魔法使いらしくなってこられましたな」

蓮は答えず、ポケットの中で拳を握った。
カーストの頂点から見下ろす景色は、確かに絶景だった。だが、泥の中から咲く花の香りを教えたのは、他でもない、執事の余計なお節介だった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

処理中です...