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【第8話】最強の敵、現る
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放課後のサロンに、場違いなほど軽薄な笑い声が響き渡った。
「へぇ、ここが噂の『聖域』? まるで葬式会場みたいな空気だね。みんな、一条蓮っていう教祖様にでも洗脳されてるの?」
現れたのは、隣接するエリート校から転校してきた男、**九条 院(くじょう いん)**。彼は、一条家と比肩する名家の三男坊でありながら、卓越した弁論術と「相手の最も触れられたくない傷を抉る」冷酷な煽りスキルで、元の学校のカーストを一人で崩壊させたという怪物だ。
九条は、磨き上げられたローファーで無造作に椅子を引き、蓮の正面に座った。
彼から漂うのは、強烈なミントの香水と、他者を試すような毒々しい好奇心の匂いだ。
「一条、聞いたよ。最近の君は、誰の話でも『ウンウン』って聞いてくれる仏様なんだって? 滑稽だよね。かつての冷徹なキングが、執事に洗脳されて『聞き上手な良い子』のフリをしてるなんて。……本当は、反吐が出るほど退屈なんじゃない? 弱者のゴミみたいな感情を飲み込む作業はさ」
九条の言葉は、鋭利な剃刀(かみそり)のように空気を切り裂く。
周囲の生徒たちが、怒りと困惑で身を硬くした。以前の蓮なら、この侮辱に対して即座に報復の牙を剥いただろう。
だが、蓮は動じなかった。
背後に控える佐藤の、冷たくも確かな存在感。今朝、佐藤は蓮にこう告げていた。
(『坊ちゃま、真の全受容とは、飛んでくる矢を盾で防ぐことではありません。広大な海になり、すべての矢を深く沈めることでございます』)
蓮は、九条の目をまっすぐに見つめた。
それは攻撃を待つ目ではなく、相手の存在をそのまま映し出す、静かな水面のようだった。
「……九条。君は、僕がこのやり方に苦痛を感じているはずだ、と確信しているんだね」
「……は? ああ、そうだよ。お前みたいなエゴイストが、他人に興味を持つはずがない。演技だろ? 聖人君子の。薄っぺらいんだよ、全部」
「なるほど。薄っぺらな演技に見えるほど、君にとって今の僕の変化は、受け入れ難いものなんだ」
蓮の声は、心地よい低音で響く。
九条は、わずかに眉を寄せた。どんなに煽っても、蓮が「反論」をしてこない。ただ自分の言葉を、濁りのない鏡のように返してくる。
「ハッ、面白い。じゃあ、これはどうかな? お前の執事……あの老いぼれ。お前が甘くなったせいで、一条家の威信はガタ落ちだ。お前は家を壊し、執事の過去のトラウマに付け込まれてるだけの操り人形なんだよ。惨めだな、一条」
教室内が凍りつく。それは、蓮にとって最も聖域に近い「佐藤」への攻撃だった。
しかし、蓮は瞬き一つ変えなかった。
九条の早口で攻撃的な口調、不自然に動く指先、そして言葉に込められた過剰なまでの「攻撃性」。蓮はそれらを五感で受け止め、その裏にある振動を感じ取る。
「……九条、君の言葉は、ひどく熱を帯びているね」
「……何?」
「君は、僕を怒らせたいんじゃない。僕を怒らせて、元の『暴君』に戻ることを、強く切望しているように見える。……君の周りには、そうやって力でねじ伏せてくる人間しか、いなかったんだね?」
九条の顔から、余裕の笑みが消えた。
「……お前に、何がわかる。俺は、俺はただ……」
「君が今、そんなに必死に牙を剥いているのは、僕が君を拒絶しないことが、君にとって**未知の恐怖**だからだ。君は、自分の毒が効かない世界に、戸惑っているんじゃないか?」
「やめろ……。お前のその、分かったようなツラ……!」
九条は立ち上がろうとした。だが、蓮の「全受容」の眼差しは、物理的な拘束よりも強く彼をその場に縛り付けた。
蓮は、九条の荒い呼吸、微かに震える唇、そしてミントの香りの奥に潜む「拒絶への恐怖」を、すべて吸い込むように聞き続けた。
「……いいよ。もっと言いたいことがあれば、すべて聴こう。君が納得するまで、僕はここにいる」
九条の瞳に、初めて「恐怖」の色が浮かんだ。
殴られるより、罵倒されるより、恐ろしいこと。それは、自分の悪意がすべて無効化され、さらけ出した魂をそのまま包み込まれてしまうこと。
「……化け物か、お前は……。何を言っても、お前の中に吸い込まれて消えちまう……。気持ち悪いんだよ、一条……っ!」
九条は、吐き捨てるようにそう言うと、逃げるように教室を飛び出していった。
勝利。だが、そこにはかつての「蹂躙」のような高揚感はなかった。
「……坊ちゃま、お疲れ様でございました。猛毒を濾過(ろか)するのは、さぞ骨が折れたことでしょう」
佐藤が歩み寄り、冷たい水差しからグラスに水を注いだ。
蓮は一気にそれを飲み干し、ふぅ、と長い息を吐いた。
「……佐藤。あいつ、最後は泣きそうな声をしていたな」
「左様でございます。悪意は、受け止められることでしか消滅いたしません。坊ちゃまは今、最強の『盾』ではなく、最強の『器』になられたのです」
蓮は、震える自分の手を見つめた。
九条の放った悪意の断片が、まだ自分の中に少しだけ残っている。だが、それはもはや痛みの種ではなかった。
「……あいつもいつか、自分の声を自分で聴けるようになるといいな」
カーストの頂点に君臨していた「王」は、今やどんな嵐も受け止める「港」へと変貌を遂げようとしていた。
「へぇ、ここが噂の『聖域』? まるで葬式会場みたいな空気だね。みんな、一条蓮っていう教祖様にでも洗脳されてるの?」
現れたのは、隣接するエリート校から転校してきた男、**九条 院(くじょう いん)**。彼は、一条家と比肩する名家の三男坊でありながら、卓越した弁論術と「相手の最も触れられたくない傷を抉る」冷酷な煽りスキルで、元の学校のカーストを一人で崩壊させたという怪物だ。
九条は、磨き上げられたローファーで無造作に椅子を引き、蓮の正面に座った。
彼から漂うのは、強烈なミントの香水と、他者を試すような毒々しい好奇心の匂いだ。
「一条、聞いたよ。最近の君は、誰の話でも『ウンウン』って聞いてくれる仏様なんだって? 滑稽だよね。かつての冷徹なキングが、執事に洗脳されて『聞き上手な良い子』のフリをしてるなんて。……本当は、反吐が出るほど退屈なんじゃない? 弱者のゴミみたいな感情を飲み込む作業はさ」
九条の言葉は、鋭利な剃刀(かみそり)のように空気を切り裂く。
周囲の生徒たちが、怒りと困惑で身を硬くした。以前の蓮なら、この侮辱に対して即座に報復の牙を剥いただろう。
だが、蓮は動じなかった。
背後に控える佐藤の、冷たくも確かな存在感。今朝、佐藤は蓮にこう告げていた。
(『坊ちゃま、真の全受容とは、飛んでくる矢を盾で防ぐことではありません。広大な海になり、すべての矢を深く沈めることでございます』)
蓮は、九条の目をまっすぐに見つめた。
それは攻撃を待つ目ではなく、相手の存在をそのまま映し出す、静かな水面のようだった。
「……九条。君は、僕がこのやり方に苦痛を感じているはずだ、と確信しているんだね」
「……は? ああ、そうだよ。お前みたいなエゴイストが、他人に興味を持つはずがない。演技だろ? 聖人君子の。薄っぺらいんだよ、全部」
「なるほど。薄っぺらな演技に見えるほど、君にとって今の僕の変化は、受け入れ難いものなんだ」
蓮の声は、心地よい低音で響く。
九条は、わずかに眉を寄せた。どんなに煽っても、蓮が「反論」をしてこない。ただ自分の言葉を、濁りのない鏡のように返してくる。
「ハッ、面白い。じゃあ、これはどうかな? お前の執事……あの老いぼれ。お前が甘くなったせいで、一条家の威信はガタ落ちだ。お前は家を壊し、執事の過去のトラウマに付け込まれてるだけの操り人形なんだよ。惨めだな、一条」
教室内が凍りつく。それは、蓮にとって最も聖域に近い「佐藤」への攻撃だった。
しかし、蓮は瞬き一つ変えなかった。
九条の早口で攻撃的な口調、不自然に動く指先、そして言葉に込められた過剰なまでの「攻撃性」。蓮はそれらを五感で受け止め、その裏にある振動を感じ取る。
「……九条、君の言葉は、ひどく熱を帯びているね」
「……何?」
「君は、僕を怒らせたいんじゃない。僕を怒らせて、元の『暴君』に戻ることを、強く切望しているように見える。……君の周りには、そうやって力でねじ伏せてくる人間しか、いなかったんだね?」
九条の顔から、余裕の笑みが消えた。
「……お前に、何がわかる。俺は、俺はただ……」
「君が今、そんなに必死に牙を剥いているのは、僕が君を拒絶しないことが、君にとって**未知の恐怖**だからだ。君は、自分の毒が効かない世界に、戸惑っているんじゃないか?」
「やめろ……。お前のその、分かったようなツラ……!」
九条は立ち上がろうとした。だが、蓮の「全受容」の眼差しは、物理的な拘束よりも強く彼をその場に縛り付けた。
蓮は、九条の荒い呼吸、微かに震える唇、そしてミントの香りの奥に潜む「拒絶への恐怖」を、すべて吸い込むように聞き続けた。
「……いいよ。もっと言いたいことがあれば、すべて聴こう。君が納得するまで、僕はここにいる」
九条の瞳に、初めて「恐怖」の色が浮かんだ。
殴られるより、罵倒されるより、恐ろしいこと。それは、自分の悪意がすべて無効化され、さらけ出した魂をそのまま包み込まれてしまうこと。
「……化け物か、お前は……。何を言っても、お前の中に吸い込まれて消えちまう……。気持ち悪いんだよ、一条……っ!」
九条は、吐き捨てるようにそう言うと、逃げるように教室を飛び出していった。
勝利。だが、そこにはかつての「蹂躙」のような高揚感はなかった。
「……坊ちゃま、お疲れ様でございました。猛毒を濾過(ろか)するのは、さぞ骨が折れたことでしょう」
佐藤が歩み寄り、冷たい水差しからグラスに水を注いだ。
蓮は一気にそれを飲み干し、ふぅ、と長い息を吐いた。
「……佐藤。あいつ、最後は泣きそうな声をしていたな」
「左様でございます。悪意は、受け止められることでしか消滅いたしません。坊ちゃまは今、最強の『盾』ではなく、最強の『器』になられたのです」
蓮は、震える自分の手を見つめた。
九条の放った悪意の断片が、まだ自分の中に少しだけ残っている。だが、それはもはや痛みの種ではなかった。
「……あいつもいつか、自分の声を自分で聴けるようになるといいな」
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