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【第9話】崩壊するカースト、生まれる繋がり
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中庭を吹き抜ける風が、少しずつ冬の気配を運んできている。
しかし、私立聖華学園の空気は、例年のこの時期とは明らかに違っていた。重苦しい沈黙や、誰かの顔色を伺うような卑屈な視線が消え、代わりに、ざわざわとした「対話」の熱が校舎を包んでいる。
「一条様、この間のノート、ありがとうございました。……あの、実は私、ずっとお礼が言いたかったんですけど、怖くて」
「……そうか。君は、僕に話しかけるのに、それほどの勇気が必要だったんだね。気づけなくて悪かった」
中庭のベンチで、蓮は一人の下級生と向き合っていた。
かつてなら、彼が中庭に現れるだけで周囲は凍りつき、彼のために半径五メートルは無人地帯になった。だが今、彼の周りには自然と人の輪ができている。それは、かつての「取り巻き」という歪な構造ではない。ただ、彼に話を聞いてほしい者たちが、対等な距離感でそこにいるのだ。
蓮の耳には、佐藤の教えが血肉となって刻まれている。
(『坊ちゃま、真の民主主義とは、声なき者の声に、最も高貴な者が耳を貸すことから始まります』)
「一条君、これ見て! 昨日の部活でさ……」
「蓮様、ちょっと相談があるんすけど」
カーストの境界線が、霧が晴れるように消えていく。頂点と底辺を隔てていた透明な壁は、蓮が放つ「全受容」の光によって溶け去っていた。
だが、その光を「眩しすぎる」と忌み嫌う者たちもいた。
「一条蓮君。……少し、よろしいかな」
冷たく、湿った声が蓮の背後で響く。学年主任の**蛇崩(じゃくずれ)**だった。
彼は、厳格な規律と階級意識こそが教育だと信じて疑わない、保守派教師の急先鋒だ。彼の背後には、同じく苦虫を噛み潰したような顔の教師たちが控えている。
「生徒指導室へ来なさい。君の最近の振る舞いについて、看過できない報告が上がっている」
指導室の重い扉が閉まると、外の喧騒が嘘のように消えた。
室内には、古い書類の匂いと、蛇崩が愛用している安っぽい万年筆のインクの匂いが充満している。
「一条君、君は何を企んでいるのかね」
蛇崩が、机を指先で叩きながら切り出した。
「企んでいる、とは?」
「とぼけるな。君が『誰の話でも聞く』などという奇行に走ったせいで、学園の秩序が崩壊している。掃除をサボる者がいれば、上級生に意見する下級生まで現れた。カーストとは、秩序だ。上位者が正しく君臨し、下位者がそれに従うことで、この学園の品位は保たれてきた。君は、その頂点として、君臨することを放棄したのか?」
蛇崩の目は、苛立ちと「自分の権益が脅かされること」への恐怖で濁っていた。蓮は静かに、佐藤の教え……『感情の裏側を聴く』を実践した。
「先生。先生は、生徒たちが自由に対話し始めたことで、自分が築き上げてきた『管理体制』が通用しなくなるのを、ひどく**危惧していらっしゃる**んですね」
「……何だと?」
「生徒たちが自律し、自分の声を上げ始めたら、先生のような『力による支配』を信条とする方の居場所がなくなる。先生が今、僕にぶつけている怒りは……自分の存在意義を見失いかけている、**寂しさの裏返し**なのではないですか?」
蛇崩の顔が、一瞬で真っ赤に染まった。
「……貴様ッ! 生意気を言うな! 私は、教育者として……!」
「教育とは、導くことではなく、聴くことから始まると、僕は学びました。先生。先生が最後に、誰かの声を『評価』せずに最後まで聴いたのは、いつのことですか?」
蓮の言葉は、蛇崩の喉元に突きつけられた、抜き身の真実だった。
蛇崩は言葉を失い、震える手で眼鏡を直した。彼を支持していた他の教師たちも、蓮の圧倒的な「受容の圧」の前に、反論の言葉を見つけられずにいた。
「……一条、君は変わってしまった。一条家の長男が、あんな無能な平民たちの言葉に耳を貸すなど……。いつか必ず、後悔するぞ」
「いいえ、先生」
蓮は立ち上がり、ドアへと手をかけた。
「僕は今、人生で初めて、自分が誰かと繋がっていると感じています。後悔があるとすれば、もっと早く、この『静かな革命』に気づかなかったことだけです」
扉を開けると、そこには影のように佐藤が立っていた。
「坊ちゃま。お見事でございました。もはや、カーストという檻は壊れました。ですが、檻を壊した者には、最後の責任が伴います」
「分かっている、佐藤。……あいつらが、自分の足で歩き出すのを見届けるまでだろ」
蓮は中庭に視線を戻した。
そこでは、かつてのライバル、取り巻き、底辺と呼ばれた少女、そして煽りの天才だった九条までもが、一つの輪になって語り合っていた。
もはや、誰が上で誰が下かなど、誰一人として気にしていない。
「……美しい景色ですな」
「ああ。……少し、賑やかすぎるけどな」
蓮は微かに微笑んだ。
だが、その平穏を打ち破るように、校内放送のチャイムが鳴り響く。
それは、卒業式前に行われる、伝統的な「王の演説」の召集だった。
しかし、私立聖華学園の空気は、例年のこの時期とは明らかに違っていた。重苦しい沈黙や、誰かの顔色を伺うような卑屈な視線が消え、代わりに、ざわざわとした「対話」の熱が校舎を包んでいる。
「一条様、この間のノート、ありがとうございました。……あの、実は私、ずっとお礼が言いたかったんですけど、怖くて」
「……そうか。君は、僕に話しかけるのに、それほどの勇気が必要だったんだね。気づけなくて悪かった」
中庭のベンチで、蓮は一人の下級生と向き合っていた。
かつてなら、彼が中庭に現れるだけで周囲は凍りつき、彼のために半径五メートルは無人地帯になった。だが今、彼の周りには自然と人の輪ができている。それは、かつての「取り巻き」という歪な構造ではない。ただ、彼に話を聞いてほしい者たちが、対等な距離感でそこにいるのだ。
蓮の耳には、佐藤の教えが血肉となって刻まれている。
(『坊ちゃま、真の民主主義とは、声なき者の声に、最も高貴な者が耳を貸すことから始まります』)
「一条君、これ見て! 昨日の部活でさ……」
「蓮様、ちょっと相談があるんすけど」
カーストの境界線が、霧が晴れるように消えていく。頂点と底辺を隔てていた透明な壁は、蓮が放つ「全受容」の光によって溶け去っていた。
だが、その光を「眩しすぎる」と忌み嫌う者たちもいた。
「一条蓮君。……少し、よろしいかな」
冷たく、湿った声が蓮の背後で響く。学年主任の**蛇崩(じゃくずれ)**だった。
彼は、厳格な規律と階級意識こそが教育だと信じて疑わない、保守派教師の急先鋒だ。彼の背後には、同じく苦虫を噛み潰したような顔の教師たちが控えている。
「生徒指導室へ来なさい。君の最近の振る舞いについて、看過できない報告が上がっている」
指導室の重い扉が閉まると、外の喧騒が嘘のように消えた。
室内には、古い書類の匂いと、蛇崩が愛用している安っぽい万年筆のインクの匂いが充満している。
「一条君、君は何を企んでいるのかね」
蛇崩が、机を指先で叩きながら切り出した。
「企んでいる、とは?」
「とぼけるな。君が『誰の話でも聞く』などという奇行に走ったせいで、学園の秩序が崩壊している。掃除をサボる者がいれば、上級生に意見する下級生まで現れた。カーストとは、秩序だ。上位者が正しく君臨し、下位者がそれに従うことで、この学園の品位は保たれてきた。君は、その頂点として、君臨することを放棄したのか?」
蛇崩の目は、苛立ちと「自分の権益が脅かされること」への恐怖で濁っていた。蓮は静かに、佐藤の教え……『感情の裏側を聴く』を実践した。
「先生。先生は、生徒たちが自由に対話し始めたことで、自分が築き上げてきた『管理体制』が通用しなくなるのを、ひどく**危惧していらっしゃる**んですね」
「……何だと?」
「生徒たちが自律し、自分の声を上げ始めたら、先生のような『力による支配』を信条とする方の居場所がなくなる。先生が今、僕にぶつけている怒りは……自分の存在意義を見失いかけている、**寂しさの裏返し**なのではないですか?」
蛇崩の顔が、一瞬で真っ赤に染まった。
「……貴様ッ! 生意気を言うな! 私は、教育者として……!」
「教育とは、導くことではなく、聴くことから始まると、僕は学びました。先生。先生が最後に、誰かの声を『評価』せずに最後まで聴いたのは、いつのことですか?」
蓮の言葉は、蛇崩の喉元に突きつけられた、抜き身の真実だった。
蛇崩は言葉を失い、震える手で眼鏡を直した。彼を支持していた他の教師たちも、蓮の圧倒的な「受容の圧」の前に、反論の言葉を見つけられずにいた。
「……一条、君は変わってしまった。一条家の長男が、あんな無能な平民たちの言葉に耳を貸すなど……。いつか必ず、後悔するぞ」
「いいえ、先生」
蓮は立ち上がり、ドアへと手をかけた。
「僕は今、人生で初めて、自分が誰かと繋がっていると感じています。後悔があるとすれば、もっと早く、この『静かな革命』に気づかなかったことだけです」
扉を開けると、そこには影のように佐藤が立っていた。
「坊ちゃま。お見事でございました。もはや、カーストという檻は壊れました。ですが、檻を壊した者には、最後の責任が伴います」
「分かっている、佐藤。……あいつらが、自分の足で歩き出すのを見届けるまでだろ」
蓮は中庭に視線を戻した。
そこでは、かつてのライバル、取り巻き、底辺と呼ばれた少女、そして煽りの天才だった九条までもが、一つの輪になって語り合っていた。
もはや、誰が上で誰が下かなど、誰一人として気にしていない。
「……美しい景色ですな」
「ああ。……少し、賑やかすぎるけどな」
蓮は微かに微笑んだ。
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それは、卒業式前に行われる、伝統的な「王の演説」の召集だった。
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