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第3話「小さな嘘」
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第3話「小さな嘘」
電話は、夕方に鳴った。
西日が部屋の奥まで差し込み、
埃が金色に浮いている。
テレビの音を消す。
「もしもし」
『佐藤か?』
森だ。
あの広いリビングが、頭に浮かぶ。
「おう」
『この前はありがとな。嫁も喜んでた』
「そうか」
少しだけ胸がざらつく。
『なあ』
森が続ける。
『今度はお前の家に行くよ』
その瞬間。
時間が、止まる。
視線が自然と部屋を巡る。
テーブルの上の新聞。
読みかけのチラシ。
洗っていないマグカップ。
色褪せたカーテン。
空気が少し、湿っている。
古い家具の匂い。
「……」
声が出ない。
『どうした?』
森の声は軽い。
悪気のない、いつもの調子。
だが、胸の奥がぎゅっと縮む。
来る。
ここに。
この六畳に。
この生活の匂いの中に。
「いや……」
喉が乾く。
『日曜とかどうだ?』
森は続ける。
『団地、久しぶりだしな』
団地。
その言葉が、やけに大きく響く。
昔は、みんな団地だった。
狭い部屋で、夢だけは広かった。
今は違う。
「いや、今ちょっとな」
口から出た。
早い。
考えるより先に。
『ちょっと?』
森の声が、ほんの少し低くなる。
「片付けてなくてさ」
笑ってみせる。
自分でも分かる。
作り笑いだ。
『そんなの気にしねえよ』
森は即答する。
『お前の家だろ?』
その言葉に、胸がざらりと擦れる。
“お前の家”。
そうだ。
ここは、自分の家だ。
でも。
この部屋は、十年の停滞が染み込んでいる。
壁紙の黄ばみ。
ソファのへたり。
床の細かい傷。
森の家の、光の反射を思い出す。
白い壁。
磨かれた床。
家族の笑い声。
「いや、本当に今ちょっとな」
もう一度言う。
少し強く。
『……そうか』
森の声が、わずかに止まる。
その沈黙が、耳に痛い。
『じゃあ、また今度な』
「ああ」
通話が切れる。
部屋が、急に広く感じる。
いや、狭いのに。
息が詰まる。
「……なんだよ」
独り言が漏れる。
来られて困る理由はない。
友達だ。
四十年の。
それなのに。
テーブルを見つめる。
新聞の端が、くしゃりと折れている。
「こんな部屋、見せられるかよ」
声が荒くなる。
誰もいないのに。
立ち上がる。
窓を開ける。
外の空気が入る。
それでも、匂いは消えない。
古い木の匂い。
生活の匂い。
これが、自分の十年だ。
掃除を始める。
新聞をまとめる。
ゴミ袋を引き寄せる。
カサ、と音がする。
だが、すぐに手が止まる。
「なんで、あいつのために」
胸の奥に、妙な怒りが湧く。
森は悪くない。
分かっている。
だが、あの家の光景が頭から離れない。
広いリビング。
孫の写真。
「元気そうだな」
あの言葉が、蘇る。
元気“そう”。
見た目だけ、という響き。
勝手に意味を足しているのは自分だと、分かっている。
それでも。
「来られたら、比べられる」
誰が?
森が?
いや、自分が。
比べてしまう。
団地と一戸建て。
独居と家族。
ソファに座る。
ばねがきしむ。
「……小さいな」
何が?
部屋か。
自分か。
スマホが震える。
森からメッセージ。
“無理すんなよ。片付いたら呼べ”
優しい文面。
胸が、少し痛む。
「違うんだよ」
画面に向かって呟く。
片付けの問題じゃない。
見せたくないのは、散らかりじゃない。
この生活。
この十年。
何も増えなかった時間。
壁の時計が、やけに大きな音を立てる。
カチ、カチ。
森と自分。
同じ時間を生きてきたはずだ。
なのに、形が違う。
「いや、今ちょっとな」
さっきの言葉が、頭の中で反響する。
ちょっと。
小さな嘘。
本当は、
「来るな」
だった。
胸がざわつく。
窓の外から、子どもの笑い声が聞こえる。
遠い。
「なんで、こんなに」
呟く。
嫉妬か。
劣等感か。
分からない。
ただ、友情の表面に、薄い亀裂が入った気がする。
ほんの小さな、見えない歪み。
でも、それは確かにそこにある。
部屋の真ん中に立つ。
静かだ。
森の家のにぎやかさを思い出す。
「……呼べるかよ」
小さく吐き出す。
答えは出ない。
ただ、胸の奥で何かが静かに軋んでいた。
電話は、夕方に鳴った。
西日が部屋の奥まで差し込み、
埃が金色に浮いている。
テレビの音を消す。
「もしもし」
『佐藤か?』
森だ。
あの広いリビングが、頭に浮かぶ。
「おう」
『この前はありがとな。嫁も喜んでた』
「そうか」
少しだけ胸がざらつく。
『なあ』
森が続ける。
『今度はお前の家に行くよ』
その瞬間。
時間が、止まる。
視線が自然と部屋を巡る。
テーブルの上の新聞。
読みかけのチラシ。
洗っていないマグカップ。
色褪せたカーテン。
空気が少し、湿っている。
古い家具の匂い。
「……」
声が出ない。
『どうした?』
森の声は軽い。
悪気のない、いつもの調子。
だが、胸の奥がぎゅっと縮む。
来る。
ここに。
この六畳に。
この生活の匂いの中に。
「いや……」
喉が乾く。
『日曜とかどうだ?』
森は続ける。
『団地、久しぶりだしな』
団地。
その言葉が、やけに大きく響く。
昔は、みんな団地だった。
狭い部屋で、夢だけは広かった。
今は違う。
「いや、今ちょっとな」
口から出た。
早い。
考えるより先に。
『ちょっと?』
森の声が、ほんの少し低くなる。
「片付けてなくてさ」
笑ってみせる。
自分でも分かる。
作り笑いだ。
『そんなの気にしねえよ』
森は即答する。
『お前の家だろ?』
その言葉に、胸がざらりと擦れる。
“お前の家”。
そうだ。
ここは、自分の家だ。
でも。
この部屋は、十年の停滞が染み込んでいる。
壁紙の黄ばみ。
ソファのへたり。
床の細かい傷。
森の家の、光の反射を思い出す。
白い壁。
磨かれた床。
家族の笑い声。
「いや、本当に今ちょっとな」
もう一度言う。
少し強く。
『……そうか』
森の声が、わずかに止まる。
その沈黙が、耳に痛い。
『じゃあ、また今度な』
「ああ」
通話が切れる。
部屋が、急に広く感じる。
いや、狭いのに。
息が詰まる。
「……なんだよ」
独り言が漏れる。
来られて困る理由はない。
友達だ。
四十年の。
それなのに。
テーブルを見つめる。
新聞の端が、くしゃりと折れている。
「こんな部屋、見せられるかよ」
声が荒くなる。
誰もいないのに。
立ち上がる。
窓を開ける。
外の空気が入る。
それでも、匂いは消えない。
古い木の匂い。
生活の匂い。
これが、自分の十年だ。
掃除を始める。
新聞をまとめる。
ゴミ袋を引き寄せる。
カサ、と音がする。
だが、すぐに手が止まる。
「なんで、あいつのために」
胸の奥に、妙な怒りが湧く。
森は悪くない。
分かっている。
だが、あの家の光景が頭から離れない。
広いリビング。
孫の写真。
「元気そうだな」
あの言葉が、蘇る。
元気“そう”。
見た目だけ、という響き。
勝手に意味を足しているのは自分だと、分かっている。
それでも。
「来られたら、比べられる」
誰が?
森が?
いや、自分が。
比べてしまう。
団地と一戸建て。
独居と家族。
ソファに座る。
ばねがきしむ。
「……小さいな」
何が?
部屋か。
自分か。
スマホが震える。
森からメッセージ。
“無理すんなよ。片付いたら呼べ”
優しい文面。
胸が、少し痛む。
「違うんだよ」
画面に向かって呟く。
片付けの問題じゃない。
見せたくないのは、散らかりじゃない。
この生活。
この十年。
何も増えなかった時間。
壁の時計が、やけに大きな音を立てる。
カチ、カチ。
森と自分。
同じ時間を生きてきたはずだ。
なのに、形が違う。
「いや、今ちょっとな」
さっきの言葉が、頭の中で反響する。
ちょっと。
小さな嘘。
本当は、
「来るな」
だった。
胸がざわつく。
窓の外から、子どもの笑い声が聞こえる。
遠い。
「なんで、こんなに」
呟く。
嫉妬か。
劣等感か。
分からない。
ただ、友情の表面に、薄い亀裂が入った気がする。
ほんの小さな、見えない歪み。
でも、それは確かにそこにある。
部屋の真ん中に立つ。
静かだ。
森の家のにぎやかさを思い出す。
「……呼べるかよ」
小さく吐き出す。
答えは出ない。
ただ、胸の奥で何かが静かに軋んでいた。
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