『ひだまりの屋根の下で 〜世代を超えた家族の物語〜』

かおるこ

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第10話「ひだまりの屋根は続く」

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「ひだまりの家」の庭に、今年も紫陽花が鮮やかな大輪を咲かせていた。
雨上がりの昼下がり、アスファルトからは蒸せ返るような夏の予感が立ち上り、濡れた土の香りが鼻腔をくすぐる。

「佐々木さん、新しい入居者の方の荷物、こちらでよろしいですか?」

若手スタッフの声に、結衣はふっと顔を上げた。
「ええ、お願い。……ああ、もう『佐々木さん』はやめてって言ったじゃない。結衣さんでいいわよ」

結衣は笑って、少しだけ目尻に増えたシワを指でなぞった。あの新米時代から数年。今や彼女はこの施設の要、ベテラン指導員として、子供たちと高齢者たちの橋渡し役を担っている。

施設は以前よりも活気に満ちていた。幼老複合施設という形は地域に根付き、今では「近所の大きな家」として親しまれている。

そこへ、玄関の自動ドアが開く軽やかな音が響いた。
「こんにちは! 遅くなってすみません!」

聞き覚えのある、芯の通った快活な声。結衣が振り向くと、そこには白いTシャツを爽やかに着こなした、背の高い青年が立っていた。

「カイト君!」

カイトだった。施設を卒業し、今は地元の大学に通う彼は、週末になると必ずこうしてボランティアとして戻ってくる。かつての、大人を拒絶し、震える小動物のようだった面影はもうない。その瞳には、かつての源三が持っていたような、静かで確固たる意志が宿っていた。

「結衣さん、相変わらず忙しそうですね。今日は『寺子屋』の手伝いですよね?」
「助かるわ。ほら、あっちで新しい子が待ってるわよ。算数の割合が分からなくて、泣きそうになってる子がね」

カイトは苦笑いして、自分のこめかみを掻いた。
「割合か。……責任重大だな。じいさんに怒られないように教えないと」

カイトは迷わず、共有ラウンジへと向かった。
そこでは、新しく入居したばかりの偏屈な老人・村上と、心を閉ざした少年のタケルが、かつての源三とカイトのように、一触即発の空気で睨み合っていた。

「最近のガキは、礼儀というものを知らん。そんな汚い手で本を触るな!」
村上の鋭い声に、タケルは唇を噛み締め、今にも教科書を投げ捨てそうな顔をしている。

結衣がハラハラしながら見守る中、カイトがその間に割って入った。
カイトの体からは、太陽の匂いと、少しだけ大人びた制汗剤の香りがした。

「村上さん。その子は手が汚いんじゃなくて、さっきまで庭で、折れた花を植え直してたんです。……これと同じようにね」

カイトはポケットから、一組の古い将棋の駒を取り出した。源三から譲り受けた、あの日の一部。
「タケル、だろ? 難しそうな顔してるな。……俺も昔、ここで同じ顔をしてたんだ」

カイトはタケルの隣に座り、優しくノートを引き寄せた。
「いいか、割合ってのはな、陣取り合戦なんだ。この『ひだまりの家』にいる全員が味方だと思って考えてみろよ」

その教え方、その口調。結衣の耳には、カイトの声の背後に、懐かしい源三の低いダミ声が重なって聞こえた気がした。
村上は鼻を鳴らしたが、カイトがタケルの泥だらけの手を「頑張った証拠だ」と笑って握るのを見て、ふっと毒気が抜けたように肩の力を抜いた。

「……フン、若造が。教え方がなっておらん。私が見てやる」
村上が、不器用ながらも眼鏡をかけ直し、タケルのノートを覗き込む。

その光景を見て、結衣の胸に熱いものが込み上げた。
かつて源三が言っていた「命のバトン」。
それは、単なる思い出の継承ではない。誰かを想う痛みや、温かさを知った人間が、また次の誰かの絶望を救う。その連鎖こそが、この屋根の下で育まれている「新しい家族」の正体なのだ。

「ヒナちゃんも来たわよ!」
テラスの方から声がした。
看護学生になったヒナが、認知症が進んだ入居者たちの手を引き、ゆっくりと散歩を楽しんでいる。
「おばあちゃん、今日の空、佐藤おじいちゃんがいた頃と同じ色だね」
ヒナの優しい声に、高齢者たちが穏やかに微笑む。

夕暮れ時、オレンジ色の光が廊下を長く伸ばした。
結衣は、源三がいつも座っていたあの場所から、庭を眺めた。
カイトと村上、そしてタケルが、一つの将棋盤を囲んでいる。
笑い声と、時折混じる厳しい小言。

血は繋がっていない。けれど、ここには確かに「帰りたくなる場所」がある。
「佐藤さん。見てますか?」
結衣は心の中で呟いた。
「あなたの言った通り、誰も一人じゃありません。この屋根の下で、みんな誰かの『根っこ』になっています」

カイトが空を見上げた。
一番星が瞬き始める藍色の空に、かつて飛ばした竹とんぼの軌跡が見えるようだった。
彼が今、タケルの手を握るその温もりは、かつて源三が彼に与えたもの。
そしてタケルもまた、いつか誰かの手を握るだろう。

ひだまりの屋根は、今日も、そして明日も。
世代を超えて、傷ついた魂を優しく包み込み、新しい命を未来へと繋ぎ続けていく。

「さあ、みんな、ご飯にするわよ! 今日はオムライス、カイト君の分もあるからね!」

結衣の元気な声に、施設中が沸き立った。
ここにあるのは、終わりのない物語。
血縁を超えた「家族」の笑い声が、夜の帳を優しく押し返していた。

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