『ひだまりの屋根の下で 〜世代を超えた家族の物語〜』

かおるこ

文字の大きさ
18 / 28

第15話「守るとは何か」

しおりを挟む
第15話「守るとは何か」

 会議室の空気は、紙の匂いがした。

 インクとコピー機の熱。
 淹れたてのコーヒーが冷めかけた酸味。
 窓は閉め切られ、外の子どもたちの声は、分厚いガラスに遮られている。

 長机の中央に、分厚い資料が積まれている。

《地域監査報告書》

 黒い文字が、やけにくっきりと浮かんでいた。

 結衣は背筋を伸ばし、両手を膝の上で握りしめる。
 掌にじっとりと汗が滲む。

 理事長が咳払いをした。

「本日はお忙しい中、ありがとうございます」

 監査員は三人。
 スーツの生地が擦れる音が、静かに重なる。

「率直に申し上げます」

 一人が資料をめくる。紙が乾いた音を立てる。

「交流プログラムは、リスクが高い」

 ページを指で叩く。

「転倒事故一件。軽傷とはいえ、未然に防げた可能性があります」

 結衣の胸が、ひやりと冷える。

「人員配置も非効率です。高齢者と児童を同時に管理するのは、コスト増につながる」

「ですから」

 別の監査員が言葉を引き継ぐ。

「交流時間の全面廃止を勧告します」

 その瞬間、空気が止まる。

 結衣の耳鳴りが強くなる。

「それは……」

 理事長が口を開くが、声は弱い。

「理念は理解します。しかし、施設は理念だけで運営できません」

 冷静な声。

「守るべきは、安全です」

 その言葉が、机の上に重く落ちる。

 結衣の喉が震える。

「安全は大事です。でも、交流があるから――」

「感情論ですね」

 ぴしゃりと遮られる。

 指先が白くなるほど、資料を握る。

 そのとき、椅子がきしむ音がした。

 ゆっくりと立ち上がる影。

 村上だった。

 会議室の視線が一斉に集まる。

「発言してもよろしいか」

 低く、通る声。

 監査員がわずかに眉を上げる。

「どうぞ」

 村上は机に手を置く。
 木目の感触が掌に伝わる。

「私は、合理主義者だ」

 静かな導入。

「数字を信じ、効率を重んじて生きてきた」

 監査員が頷く。

「その私が、申し上げる」

 一拍。

「効率だけでは人は生きられん」

 部屋の空気が、ぴんと張る。

「何を根拠に?」

 監査員が問い返す。

 村上は目を逸らさない。

「孤独の数字を、出せますか」

 沈黙。

「無言になる子どもの確率を、算出できますか」

 結衣の心臓が強く打つ。

「守られることを拒み、誰とも関わらず、静かに衰えていく老人の速度は?」

 監査員のペンが止まる。

「私は、事故を恐れた」

 声がわずかに震える。

「守れなかった過去がある」

 空気が揺れる。

「だから、感情を切り捨てた」

 ゆっくりと息を吐く。

「だが、ここで見た」

 窓の外に目を向ける。

 ガラス越しに、子どもが走る影が見える。

「転んだ私に、手を伸ばす子どもを」

 結衣の目が潤む。

「危険だと怒鳴った」

 拳を握る。

「だが、あの子は言った」

 喉が詰まる。

「『ひとりでいたから』と」

 会議室の空気が、重くなる。

「守るとは、何か」

 村上は静かに問いかける。

「転ばせないことか」

「それも重要です」

 監査員が言う。

「だが」

 村上は被せる。

「転んだときに、誰かが手を伸ばすことも、守ることだ」

 言葉が、熱を帯びる。

「交流を廃止すれば、事故は減るかもしれん」

 机を指で叩く。

「だが、心は確実に痩せる」

 結衣の呼吸が震える。

「私は息子を事故で亡くした」

 監査員の顔色が変わる。

「守れなかった」

 声が低く落ちる。

「だから安全を追い求めた」

 一拍。

「だが、守るとは、孤立させることではなかった」

 会議室の時計が、かちりと鳴る。

「ここは施設だ」

 監査員が言う。

「家族ではない」

「家族とは血ではない」

 村上が即座に返す。

「選び続ける時間だ」

 静寂。

 結衣の胸が、熱くなる。

「私は、理念を守る」

 村上ははっきりと言う。

「合理の上に、感情を積み上げる」

 監査員が目を細める。

「責任は取れるのですか」

「取る」

 即答。

「私が理事に加わる」

 理事長が息を呑む。

「資金面も、人員配置も、再設計する」

 目は強い。

「交流は残す」

 会議室の空気が震える。

 結衣の頬を、涙が伝う。

「なぜそこまで」

 監査員の声は、先ほどより柔らかい。

 村上は、ゆっくりと答える。

「ここで、負けたくない人がいるからだ」

 将棋盤の感触が、掌によみがえる。

「壁でいるのは、やめた」

 静かな宣言。

「砦になる」

 沈黙が続く。

 窓の外で、子どもの笑い声が、かすかに届く。

 ガラス越しでもわかる、明るさ。

 監査員が資料を閉じる。

「……再検討します」

 短い言葉。

 だが、重みがある。

 会議室の空気が、少しだけ緩む。

 結衣は、椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。

 胸の奥が熱い。

 村上はゆっくりと座る。

 膝の痛みが、まだ残っている。

 だが、それは確かな重みだ。

 会議室の扉が開く。

 廊下から、子どもと高齢者の笑い声が混ざって聞こえる。

 乾いた空気が、温度を持つ。

 村上は目を閉じる。

 守るとは、閉ざすことではなかった。

 守るとは、共に揺れることだった。

 机の上に落ちた午後の光が、木目を照らす。

 その線は、もう歪んでいない。

 静かに、強く、そこにあった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...