『ひだまりの屋根の下で 〜世代を超えた家族の物語〜』

かおるこ

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第22話 『毎月会っていたのに』

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『毎月会っていたのに』

 病室の窓は、夕方の光を薄く通していた。
 白いカーテンが揺れるたび、消毒液の匂いが鼻に刺さる。

 母はベッドの上で、点滴の管を見つめている。透明な液体が、一定の間隔で落ちる。ぽと、ぽと、と小さな音が耳に残る。

「……ねえ」

 母の声は、かすれている。

 椅子に座った少年は、手を組んだまま顔を上げない。

「毎月、行ってたよね」

 母はゆっくり言う。

「カラオケ」

 少年の指先がぴくりと動く。

「うん」

「覚えてる?」

「覚えてるよ」

 短い返事。

 母の目に涙が滲む。

「十八番、なんだった?」

 無理に笑う。

 少年は小さく息を吐く。

「母さんが、演歌」

「そう」

 母は笑う。

「あなたは、最近の歌ばっかり」

 笑いが、途中で崩れる。

「一緒に歌ってたのに」

 病室の空気が重くなる。

 少年は窓の外を見る。沈みかけの空が群青に染まっている。

「歌ってたよ」

「じゃあ、どうして」

 母の声が震える。

「どうして、変わったの、気づけなかったの」

 沈黙。

 機械の電子音だけが響く。

「電話も、してた」

 母は続ける。

「毎週、電話してた」

「うん」

「手紙も、書いた」

 視界が滲む。

「ちゃんと、読んでくれてた?」

 少年の喉が動く。

「読んでた」

「返事もくれたよね」

「うん」

 一拍。

「でも」

 少年の声が、少し低くなる。

「母さんの手紙、ずっと同じだった」

 母が息を呑む。

「『元気?』『ごはん食べてる?』『寂しくない?』」

 その言葉が、胸に刺さる。

「だって」

 母は言い返す。

「心配だったから」

「わかってる」

 少年はすぐに言う。

「でもさ」

 一拍。

「俺の話、あんまり聞いてなかった」

 母の頭が、ぐらりと揺れる。

「そんなこと……」

「電話のときも」

 少年は視線を落とす。

「俺が部活の話しても、『そう、よかったね』で終わってた」

 母の胸が締めつけられる。

「テストの話しても、『頑張ってね』だけ」

 言葉が止まらない。

「俺が怒ってるときも、泣いてるときも、気づいてなかった」

 母の手がシーツを握る。

「……そんな」

 涙が落ちる。

「カラオケも」

 少年が続ける。

「母さん、昔の俺の歌しか覚えてなかった」

 母の呼吸が浅くなる。

「『あのとき上手だったね』って」

 一拍。

「俺、もう違う歌歌ってたのに」

 沈黙。

 母の耳鳴りが強くなる。

 毎月、会っていた。
 一緒に笑っていた。
 写真も撮った。

 でも。

「わたし」

 母の声がかすれる。

「あなたを、昔のままにしてた?」

 少年は答えない。

 答えないことが、答えだった。

「ごめん」

 母は言う。

「怖かったの」

 少年が顔を上げる。

「なにが」

「変わっていくのが」

 母は正直に言う。

「わたしの知らないあなたになるのが」

 少年の目が揺れる。

「だから、昔のあなたを、ぎゅっと握ってた」

 涙が頬を伝う。

「離したら、どこかに行っちゃう気がして」

 少年の唇が震える。

「俺、行かないよ」

 小さな声。

「ちゃんと、いるよ」

 母は息を呑む。

「でも」

 少年は続ける。

「変わる」

 一拍。

「それは止められない」

 母はゆっくり頷く。

「うん」

 涙を拭う。

「止めなくていい」

 少年が立ち上がる。

 椅子が小さく軋む。

 ベッドのそばに来て、母の手を握る。

 温かい。

 大きい。

「カラオケ」

 少年が言う。

「また行こう」

 母が目を上げる。

「今度は」

 一拍。

「今の俺の歌、ちゃんと聴いて」

 母の胸が、きゅっと鳴る。

「うん」

 声が震える。

「歌詞も、覚える」

 少年が、少し笑う。

「無理しなくていいよ」

「する」

 母は笑い返す。

「ちゃんと、今のあなたを知りたい」

 少年の目に、涙が光る。

「俺も」

 小さな声。

「母さんのこと、ちゃんと見る」

 病室の空気が、少しだけ柔らぐ。

 窓の外の空が、ゆっくり夜に変わっていく。

 点滴の液が、ぽとりと落ちる。

 一緒に歌った歌は、過去になる。

 でも。

 これから歌う歌は、まだある。

 母は少年の手を握りながら、静かに言う。

「次の面会は」

「うん」

「昔の話、少しだけにする」

 少年が笑う。

「今の話、いっぱいしよう」

 母も笑う。

 涙でにじんだ視界の向こうに、
 新しい歌が、まだ聞こえていない音で待っている気がした。

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