25 / 28
第22話 『毎月会っていたのに』
しおりを挟む
『毎月会っていたのに』
病室の窓は、夕方の光を薄く通していた。
白いカーテンが揺れるたび、消毒液の匂いが鼻に刺さる。
母はベッドの上で、点滴の管を見つめている。透明な液体が、一定の間隔で落ちる。ぽと、ぽと、と小さな音が耳に残る。
「……ねえ」
母の声は、かすれている。
椅子に座った少年は、手を組んだまま顔を上げない。
「毎月、行ってたよね」
母はゆっくり言う。
「カラオケ」
少年の指先がぴくりと動く。
「うん」
「覚えてる?」
「覚えてるよ」
短い返事。
母の目に涙が滲む。
「十八番、なんだった?」
無理に笑う。
少年は小さく息を吐く。
「母さんが、演歌」
「そう」
母は笑う。
「あなたは、最近の歌ばっかり」
笑いが、途中で崩れる。
「一緒に歌ってたのに」
病室の空気が重くなる。
少年は窓の外を見る。沈みかけの空が群青に染まっている。
「歌ってたよ」
「じゃあ、どうして」
母の声が震える。
「どうして、変わったの、気づけなかったの」
沈黙。
機械の電子音だけが響く。
「電話も、してた」
母は続ける。
「毎週、電話してた」
「うん」
「手紙も、書いた」
視界が滲む。
「ちゃんと、読んでくれてた?」
少年の喉が動く。
「読んでた」
「返事もくれたよね」
「うん」
一拍。
「でも」
少年の声が、少し低くなる。
「母さんの手紙、ずっと同じだった」
母が息を呑む。
「『元気?』『ごはん食べてる?』『寂しくない?』」
その言葉が、胸に刺さる。
「だって」
母は言い返す。
「心配だったから」
「わかってる」
少年はすぐに言う。
「でもさ」
一拍。
「俺の話、あんまり聞いてなかった」
母の頭が、ぐらりと揺れる。
「そんなこと……」
「電話のときも」
少年は視線を落とす。
「俺が部活の話しても、『そう、よかったね』で終わってた」
母の胸が締めつけられる。
「テストの話しても、『頑張ってね』だけ」
言葉が止まらない。
「俺が怒ってるときも、泣いてるときも、気づいてなかった」
母の手がシーツを握る。
「……そんな」
涙が落ちる。
「カラオケも」
少年が続ける。
「母さん、昔の俺の歌しか覚えてなかった」
母の呼吸が浅くなる。
「『あのとき上手だったね』って」
一拍。
「俺、もう違う歌歌ってたのに」
沈黙。
母の耳鳴りが強くなる。
毎月、会っていた。
一緒に笑っていた。
写真も撮った。
でも。
「わたし」
母の声がかすれる。
「あなたを、昔のままにしてた?」
少年は答えない。
答えないことが、答えだった。
「ごめん」
母は言う。
「怖かったの」
少年が顔を上げる。
「なにが」
「変わっていくのが」
母は正直に言う。
「わたしの知らないあなたになるのが」
少年の目が揺れる。
「だから、昔のあなたを、ぎゅっと握ってた」
涙が頬を伝う。
「離したら、どこかに行っちゃう気がして」
少年の唇が震える。
「俺、行かないよ」
小さな声。
「ちゃんと、いるよ」
母は息を呑む。
「でも」
少年は続ける。
「変わる」
一拍。
「それは止められない」
母はゆっくり頷く。
「うん」
涙を拭う。
「止めなくていい」
少年が立ち上がる。
椅子が小さく軋む。
ベッドのそばに来て、母の手を握る。
温かい。
大きい。
「カラオケ」
少年が言う。
「また行こう」
母が目を上げる。
「今度は」
一拍。
「今の俺の歌、ちゃんと聴いて」
母の胸が、きゅっと鳴る。
「うん」
声が震える。
「歌詞も、覚える」
少年が、少し笑う。
「無理しなくていいよ」
「する」
母は笑い返す。
「ちゃんと、今のあなたを知りたい」
少年の目に、涙が光る。
「俺も」
小さな声。
「母さんのこと、ちゃんと見る」
病室の空気が、少しだけ柔らぐ。
窓の外の空が、ゆっくり夜に変わっていく。
点滴の液が、ぽとりと落ちる。
一緒に歌った歌は、過去になる。
でも。
これから歌う歌は、まだある。
母は少年の手を握りながら、静かに言う。
「次の面会は」
「うん」
「昔の話、少しだけにする」
少年が笑う。
「今の話、いっぱいしよう」
母も笑う。
涙でにじんだ視界の向こうに、
新しい歌が、まだ聞こえていない音で待っている気がした。
病室の窓は、夕方の光を薄く通していた。
白いカーテンが揺れるたび、消毒液の匂いが鼻に刺さる。
母はベッドの上で、点滴の管を見つめている。透明な液体が、一定の間隔で落ちる。ぽと、ぽと、と小さな音が耳に残る。
「……ねえ」
母の声は、かすれている。
椅子に座った少年は、手を組んだまま顔を上げない。
「毎月、行ってたよね」
母はゆっくり言う。
「カラオケ」
少年の指先がぴくりと動く。
「うん」
「覚えてる?」
「覚えてるよ」
短い返事。
母の目に涙が滲む。
「十八番、なんだった?」
無理に笑う。
少年は小さく息を吐く。
「母さんが、演歌」
「そう」
母は笑う。
「あなたは、最近の歌ばっかり」
笑いが、途中で崩れる。
「一緒に歌ってたのに」
病室の空気が重くなる。
少年は窓の外を見る。沈みかけの空が群青に染まっている。
「歌ってたよ」
「じゃあ、どうして」
母の声が震える。
「どうして、変わったの、気づけなかったの」
沈黙。
機械の電子音だけが響く。
「電話も、してた」
母は続ける。
「毎週、電話してた」
「うん」
「手紙も、書いた」
視界が滲む。
「ちゃんと、読んでくれてた?」
少年の喉が動く。
「読んでた」
「返事もくれたよね」
「うん」
一拍。
「でも」
少年の声が、少し低くなる。
「母さんの手紙、ずっと同じだった」
母が息を呑む。
「『元気?』『ごはん食べてる?』『寂しくない?』」
その言葉が、胸に刺さる。
「だって」
母は言い返す。
「心配だったから」
「わかってる」
少年はすぐに言う。
「でもさ」
一拍。
「俺の話、あんまり聞いてなかった」
母の頭が、ぐらりと揺れる。
「そんなこと……」
「電話のときも」
少年は視線を落とす。
「俺が部活の話しても、『そう、よかったね』で終わってた」
母の胸が締めつけられる。
「テストの話しても、『頑張ってね』だけ」
言葉が止まらない。
「俺が怒ってるときも、泣いてるときも、気づいてなかった」
母の手がシーツを握る。
「……そんな」
涙が落ちる。
「カラオケも」
少年が続ける。
「母さん、昔の俺の歌しか覚えてなかった」
母の呼吸が浅くなる。
「『あのとき上手だったね』って」
一拍。
「俺、もう違う歌歌ってたのに」
沈黙。
母の耳鳴りが強くなる。
毎月、会っていた。
一緒に笑っていた。
写真も撮った。
でも。
「わたし」
母の声がかすれる。
「あなたを、昔のままにしてた?」
少年は答えない。
答えないことが、答えだった。
「ごめん」
母は言う。
「怖かったの」
少年が顔を上げる。
「なにが」
「変わっていくのが」
母は正直に言う。
「わたしの知らないあなたになるのが」
少年の目が揺れる。
「だから、昔のあなたを、ぎゅっと握ってた」
涙が頬を伝う。
「離したら、どこかに行っちゃう気がして」
少年の唇が震える。
「俺、行かないよ」
小さな声。
「ちゃんと、いるよ」
母は息を呑む。
「でも」
少年は続ける。
「変わる」
一拍。
「それは止められない」
母はゆっくり頷く。
「うん」
涙を拭う。
「止めなくていい」
少年が立ち上がる。
椅子が小さく軋む。
ベッドのそばに来て、母の手を握る。
温かい。
大きい。
「カラオケ」
少年が言う。
「また行こう」
母が目を上げる。
「今度は」
一拍。
「今の俺の歌、ちゃんと聴いて」
母の胸が、きゅっと鳴る。
「うん」
声が震える。
「歌詞も、覚える」
少年が、少し笑う。
「無理しなくていいよ」
「する」
母は笑い返す。
「ちゃんと、今のあなたを知りたい」
少年の目に、涙が光る。
「俺も」
小さな声。
「母さんのこと、ちゃんと見る」
病室の空気が、少しだけ柔らぐ。
窓の外の空が、ゆっくり夜に変わっていく。
点滴の液が、ぽとりと落ちる。
一緒に歌った歌は、過去になる。
でも。
これから歌う歌は、まだある。
母は少年の手を握りながら、静かに言う。
「次の面会は」
「うん」
「昔の話、少しだけにする」
少年が笑う。
「今の話、いっぱいしよう」
母も笑う。
涙でにじんだ視界の向こうに、
新しい歌が、まだ聞こえていない音で待っている気がした。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる