『ひだまりの屋根の下で 〜世代を超えた家族の物語〜』

かおるこ

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第23話『次の曲を録る』

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『次の曲を録る』

 封筒は、少し膨らんでいた。

 白い普通の長形封筒。宛名の字は、少しだけ右上がりで、インクがところどころ濃い。ボールペンをぎゅっと握って書いた跡だ。

 裏には、丸い文字でひと言。

《今週のランキングだよ》

 少年は封筒を持ったまま、しばらく立ち尽くした。

 施設の玄関ホールは、夕方の匂いがしている。洗濯物の柔軟剤と、煮魚の残り香と、外から入ってくる冷たい風。

「どうした?」

 カイトが声をかける。

 少年は無言で封筒を見せる。

「母さんから」

「お、また?」

 カイトはにやりと笑う。

「熱心だな」

 少年は封を開ける。

 中から出てきたのは、透明なケースに入ったカセットテープ。ラベルには、母の字でこう書いてある。

《第1位~第10位》

 テープ特有の、少し甘くて埃っぽい匂いがした。新品じゃない、どこか懐かしい匂い。

「今どきカセットかよ」

 ヒナが横から覗き込む。

「うち、プレイヤーあったっけ?」

「物置にある」

 カイトが答える。

「源三の遺品の横に」

 少年はラベルを指でなぞる。指先に紙のざらつきが伝わる。

「前はさ」

 ぽつりと呟く。

「演歌のカセットだった」

「母さんの?」

「うん」

 一拍。

「俺が歌ってたやつ」

 食堂の奥で、鍋の蓋が鳴る音がする。金属がぶつかる乾いた音。

「今回は?」

 カイトが聞く。

 少年は裏面を見る。

 そこには、曲名がびっしりと並んでいる。

 聞いたことのあるタイトル。今、友達が口ずさんでいる歌。スマホの中に入っている曲。

 少年の喉が、わずかに鳴る。

「……俺がこの前、言ったやつ」

「え?」

「電話で」

 ヒナが目を丸くする。

「ちゃんと覚えてたんだ」

 少年は、テープを握りしめる。

 指にプラスチックの冷たさ。

 その夜、物置からプレイヤーを引っ張り出した。

 ほこりを払うと、埃の匂いがふわりと舞う。カチ、とスイッチを入れると、モーターの低い唸りが始まる。

 テープを差し込む。

 カチャリ。

 再生ボタンを押す。

 ウィーン、とテープが回る音。少しのノイズ。ザッ、という擦れるような音。

 そして、イントロ。

 少年の胸が、ぎゅっと締まる。

「これ……」

 小さく笑う。

「マジで入ってる」

 ヒナが横で跳ねる。

「何位?」

「三位」

 少年は笑いながら言う。

 曲が流れる。

 スピーカーから出る音は、少しこもっている。低音が弱い。でも、ちゃんと聞こえる。

 母が、レンタルショップでCDを借りて、
 部屋でデッキにセットして、
 再生と録音のボタンを同時に押して、
 終わるまでじっと待って、
 曲名を書いて、
 巻き戻して、
 封筒に入れて、
 ポストに入れた。

 その姿が、頭に浮かぶ。

 少年は、テープを止めた。

 スマホを取り出す。

 通話ボタンを押す。

 コール音。

 一回、二回。

「……もしもし?」

 母の声。

 少し息が上がっている。

「聞いた」

 少年は言う。

「早い!」

 母の声が明るくなる。

「どう? ちゃんと入ってた?」

「入ってた」

 一拍。

「三位」

「そう!」

 母が笑う。

「今週、三位なんだって」

「知ってるよ」

 少年も笑う。

 電話越しに、紙をめくる音がする。

「一位も入れたからね」

「いらない」

「えー」

 母の声が、少し拗ねる。

「せっかくダビングしたのに」

「……ありがと」

 少年は、ゆっくり言う。

 電話の向こうが、静かになる。

「どういたしまして」

 母の声が、少し震えている。

「カセット、久しぶりでね」

 一拍。

「最初、ボタン間違えて、全部消しちゃって」

 少年が吹き出す。

「マジで?」

「うん」

 母も笑う。

「やり直した」

 少年は、テープを指で回す。

「……なんでカセット?」

 聞いてみる。

 母が少し黙る。

「なんかね」

 一拍。

「形があるほうが、いいかなって」

「形?」

「データだと、触れないでしょ」

 母の声が、柔らかくなる。

「テープなら、巻き戻せるし」

 少年の胸が、熱くなる。

「巻き戻せるって」

 小さく繰り返す。

「うん」

「俺ら、巻き戻せないよ」

 母が息を呑む。

「うん」

 素直な返事。

「でも」

 母は続ける。

「巻き戻せなくても」

 一拍。

「次の曲は、録れる」

 少年は、目を閉じる。

 テープの回る音が、耳に残る。

「俺さ」

 ゆっくり言う。

「母さんのこと、昔のままにしてた」

 電話の向こうが静かになる。

「いつまでも、演歌歌ってる母さんだと思ってた」

 母が、小さく笑う。

「今も歌うよ」

「知ってる」

 一拍。

「でも、ランキング調べて、CD借りて、ダビングして」

 喉が詰まる。

「変わってる」

 母の声が、少し涙混じりになる。

「変わろうとしてる」

 少年も言う。

「俺も」

 自分の胸に手を当てる。

「俺も、変わろうとしてる」

 電話の向こうで、鼻をすする音。

「一緒だね」

 母が言う。

「一緒だ」

 少年は頷く。

 カセットのテープが、カチ、と止まる。

 終わりの合図。

「次、何位がいい?」

 母が聞く。

「……一位」

「よし」

 母が笑う。

「じゃあ、来週も送る」

「うん」

 少年は、プレイヤーの上にテープを置く。

 プラスチックの冷たい感触。

 でも、中で巻かれているのは、確かな時間。

「母さん」

「なに?」

「次の面会」

 一拍。

「今の俺の話、する」

 母が静かに答える。

「聞く」

 テープは巻き戻せる。

 でも、二人はもう、戻らない。

 進みながら、録り直していく。

 ノイズ混じりでも、ちゃんと聞こえる音で。

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