103 / 200
安堵と落胆
しおりを挟む今着ている服は平民から買ったもので、肌に触れる生地はジェイデン様の用意してくれたものより硬く、着心地はよくないけれどデザインはシンプルで嫌いではない。日傘を差せないからと、マントを被り馬に乗っている。
「暑くないか?」
顔を傾け臙脂を見つめて頷くとお腹に回された腕に力が入り、ディオルド様の胸が背中に触れた。
「速すぎるか?怖くないか?」
風の感触が頬を打ち付けるほど馬を駆けさせている。
私は速くない、怖くないと伝えるため綱を持つ大きな手の甲を二回叩く。
「次の町で休憩だ」
わかりましたと伝えるため、一回叩く。
私たちの前方にはエコーとガガ様が走り、後ろにはスモークと呼ばれていたブリアールの騎士がいた。
昨夜、全身に切り傷を負い、血を滲ませていたエコーは今朝にはもう止まったと言った。それを聞いた私はエコーが強がっているのかわからず確かめたくて、でもどうしたらいいのか考えていたら、ディオルド様がエコーのシャツをまくり上げて見せてくれた。確かに血は止まっていてとても安心した。
ジャーマン子爵領地を抜ける際、私たちは検問所を避けるため大きく迂回した。山の中は馬で駆けれず、徒歩で越えると言うディオルド様は私を一度も地に下ろしていない。
『足が痛む。赤くなっていた。悪化させたくない』
宿を出る前、私の足に軟膏を塗って包帯を巻くディオルド様は言い聞かせるように何度も言っていた。悪態のようにエコーに駆け寄ったことを責める言葉を口にしながら、男に掴まれた腕と肩にもひんやりとするものを塗って包帯を巻いてくれた。
「ティンモント子爵領地でも宿に泊まる」
「…心配しているのでは?」
ジャーマン子爵もジェレマイア様もディオルド様を案じているはず。特にジャーマン子爵は自領で起きたことだから気が気じゃないわ。
「不測の事態にどう動くか、ゼノには話してある。俺が戻らなければ騎士の編成を建て直し先に進む。ティンモント子爵領地の宿にはダートが来るだろう。フランセーまで不便で過ごしにくいが我慢してくれ」
「不便は気にしませんが…ダート…?」
「ああ。スモークとガガと一緒に王国騎士団から引き抜いた奴だ。腕が確かでな」
「団長…と呼ばれていましたのね」
スモーク様がディオルド様に声をかけるときそう言っていた。
「ロシェル」
「はい」
「なんだか顎がこそばゆい…かいてくれ」
ディオルド様は私を抱いていて両手が使えないから私がするしかないわね。
「ここです?」
たくましい顎にはチクチクとする髭が生えている。そこを撫でるとディオルド様は口の端を小さく上げた。
「そこだ」
「閣下、ティンモント領地に入りますよ。戯れもそこまで」
ガガ様の声に手を引く。戯れていたつもりがなくて、でも人からは戯れていると見えてしまうと思うと落ち着かない。
「…ふん…見張りはどうだ?」
「ジャーマン子爵が頭の回る男ならすぐさま検問所に人を送り、ここらの見回りの指示を出すでしょうが…いませんね」
「賊の遺体の数に腰を抜かしているかもな」
あれを片付けるのはかなりの手間だ、とディオルド様が言う。
アプソとダフネの無事を聞いて心底ほっとしたけれど、ブリアールの騎士が亡くなっている。そのことに胸が痛くなる。私を守れ、と叫ぶ彼らの声が恐怖のなか聞こえていた。人を斬る音、怒号に悲鳴、血の匂いが甦り、ディオルド様のシャツを掴んでしまう。
「ロシェル、眠かったら寝ていい。昨夜は遅く、今朝は早くに起こした。眠いだろ?」
確かにいつもより睡眠時間は短かったけれど眠けはない。私は昨夜起きなかった。それを聞いて複雑な思いが湧いた。迷惑をかけずにすんだと思いながら、少しずつジェイデン様の存在が私のなかで小さくなるようで、なぜか後ろめたかった。
「…私よりディオルド様もガガ様もスモーク様も寝ていません」
私を起こしたディオルド様はすでに身支度を終えていたもの。
「ロシェル、ガガにもスモークにも敬称はつけるな。二人とも奴隷上がりだぞ」
奴隷だった過去はあまり関係がないわ。
「…男性を呼び捨てることが苦手です」
「アラントにも男の使用人はいたろ」
「…私と関わる人は執事のフォアマンしかいませんでした…邸の外にはいましたけど」
「いつからだ」
ディオルド様の問いに顔を上げると近くに臙脂の瞳があった。
「…私の古い記憶では…すでに」
お父様の執務室には従者がいたけれど、私とは関わりがなかった。今考えればアラント邸には女性の使用人が多かったわ。
「下人の中にはいました…話したことはありませんけど」
私がファミナとチュリナから逃げていった場所は洗濯場だった。そこにはだいたい女性ばかりで、他にいるのは彼女らの子供くらいだった。男の子は数に入れていいのかわからないわ。
「そうか」
ディオルド様は視線を向かう先に戻した。
「ここからティンモント~」
ガガ様の陽気な声のあと、開けた場所に着いたのか、傾き始めた眩しい陽射しが降り注いだ。
眼下に町が見えた。家がひしめき合うように置かれ、所々に広場もあってティンモント領地を一望できた。
「絵画のようです」
美しい一望にため息が出る。緑に囲まれた町を上から見ることができるなんて想像もしていなかった。なにもかも忘れる瞬間があるとはじめて知った。
「暗くなる前に到着するぞ。傾斜が緩やかになったら騎乗」
ディオルド様の言葉にガガ様とスモーク様が頷いた。
緩やかな斜面を馬に乗って下ることは少しだけ怖かったけれどディオルド様は片手で器用に操っていた。
「あー、今夜は寝台で寝たいっす」
ガガ様の言葉にディオルド様を見上げる。
「ティンモントの宿はジャーマンより若干大きい。部屋が空いていれば取っていいぞ」
「わーい」
ガガ様の無邪気な声に頬が緩む。
「お風呂~お風呂」
「ティンモントで宝飾品を売れ。傷はついてもいい、分解しろ」
私たちは着の身着のまま、ブリアール公爵列から離脱した。私はもちろんディオルド様もお金を持っていない。でもエコーは金貨と銀貨を持っていた。そのおかげで馬を買えた。頼りになるエコーに視線を向けたとき、下腹が鈍く痛んだ。知っている痛みに体が震える。
「ロシェル?どうした?」
ディオルド様は揺れる馬上でも私の変化に気づき馬を止めた。
「ロシェル?」
「あ…の…」
ディオルド様には話しづらいわ。私は無意識にエコーに視線を向ける。
「ロシェル様」
「エコー…」
私はエコーに向かって手を伸ばす。
「ロシェル…痛むか?」
ディオルド様の言葉に見上げると臙脂の瞳が険しく見ていた。
「あ…」
「町で必要なものを買う」
私はなにも伝えていないのにディオルド様は察したようにガガ様たちに指示を送った。
私の腰に回された腕が動き、手のひらが下腹に触れた。大きな手のひらから伝わる熱が下腹の痛みを和らげたような気がして、それは確かに月の物と言える痛みで私は安堵を感じ、その後落胆も感じて目蓋をきつく閉じる。
「ロシェル様」
「エコー」
ディオルド様は馬を駆けさせ、寄り道をせず宿へ向かってくれた。
「月の物が…きたわ」
今は宿の浴室にエコーと共にいる。
「はい。いつもと違う痛みはございませんか?」
「…同じ痛みよ…同じ…」
私は浴室に置かれた椅子に腰かける。
「ジェイデン様の子供がいるかもしれないと…」
「はい」
「欲しいと思ったのに…本当は怖くもあったの…私は…母を知らないから…だから…今は安堵もしているし…でも…ジェイデン様との繋がりを失くした思いも」
「ロシェル様」
エコーは床に膝をついて私を見上げた。
「大旦那様との繋がりは失くなりません。耳を澄ませば大旦那様の声が聞こえるように」
『愛しているよ、ロシェル』
「ええ…エコー…聞こえるわ」
ジェイデン様と閨をした翌日の朝は喜びを感じ、その後の告白に悲しみ、涙した。あの日に感じた気持ちが甦り涙が溢れる。
「ロシェル様」
エコーの優しい指先が私の頬から涙を払った。
「ハンカチがなくて…申し訳ありません…触れてしまいました」
「いいえ…エコー…ありがとう」
エコーに手を伸ばし、髪を一つに纏める。
「紐も…頼めばよかった」
エコーは髪を縛っているほうが似合うわ。
1,486
あなたにおすすめの小説
おしどり夫婦の茶番
Rj
恋愛
夫がまた口紅をつけて帰ってきた。お互い初恋の相手でおしどり夫婦として知られるナタリアとブライアン。
おしどり夫婦にも人にはいえない事情がある。
一話完結。『一番でなくとも』に登場したナタリアの話です。未読でも問題なく読んでいただけます。
帰国した王子の受難
ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。
取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。
マリアの幸せな結婚
月樹《つき》
恋愛
花屋の一人娘マリアとパン屋の次男のサルバトーレは子供の頃から仲良しの幼馴染で、将来はマリアの家にサルバトーレが婿に入ると思われていた。
週末は花屋『マルゲリータ』でマリアの父の手伝いをしていたサルバトーレは、お見舞いの花を届けに行った先で、男爵家の娘アンジェラに出会う。
病気がちであまり外出のできないアンジェラは、頻繁に花の注文をし、サルバトーレを呼び寄せた。
そのうちアンジェラはサルバトーレとの結婚を夢見るようになって…。
この作品は他サイトにも投稿しております。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
お姉様のお誕生日を祝うのが、なぜ我儘なの?
月白ヤトヒコ
ファンタジー
健康で、元気なお姉様が羨ましかったの。
物心付いたときから、いつも体調が悪かった。いつもどこかが苦しかった。
お母様が側にいてくれて、ずっと看病してくれた。お父様は、わたしのお医者様の費用やお薬代を稼ぐのが大変なんだってお母様が言ってた。
わたし、知らなかったの。
自分が苦しかったから。お姉様のことを気にする余裕なんてなかったの。
今年こそは、お姉様のお誕生日をお祝いしたかった……んだけど、なぁ。
お姉様のお誕生日を祝うのが、なぜ我儘なの?
※『わたくしの誕生日を家族で祝いたい、ですか? そんな我儘仰らないでくださいな。』の、妹視点。多分、『わたくしの誕生日を~』を先に読んでないとわかり難いかもです。
設定はふわっと。
今日は私の結婚式
豆狸
恋愛
ベッドの上には、幼いころからの婚約者だったレーナと同じ色の髪をした女性の腐り爛れた死体があった。
彼女が着ているドレスも、二日前僕とレーナの父が結婚を拒むレーナを屋根裏部屋へ放り込んだときに着ていたものと同じである。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】
星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる