ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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盗み聞き

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 盗み聞きがしたかったわけじゃない。布と着替えを渡そうと近づいたらたまたま聞こえてきただけだ。 

「…ガガ」 

 浴室の二人に声が届かないよう小さな声でガガを呼ぶ。 

「ロシェルが…流産した可能性は?」 

「私は何度も出産に立ち会い、妊婦と過ごしましたが、流産ならばいつもより下腹が痛み、血の量も変わるはずです。ロシェル様自身がなにかおかしいと感じるかと」 

「お前は博識だな…だから手放せん」 

 ロシェルの月の物は長らく止まっていた。平穏な暮らしのなか正常に戻ったばかりだった。一夜で妊娠するなど奇跡に近い確率だったろう。 

「…何度も立ち会った…?」 

「はい」 

「…出産で母体が死ぬ確率は?」 

「…十分の一…産後も同じくらいの確率で」 

 高名な医師を雇っても、出産時の母体の死亡はあるんだ。 

「孕ませたくなくなるな」 

「閣下、孕む前に入れなきゃ出さなきゃ」 

 いつかそうしたいが… 

「エコー」 

 俺は浴室のエコーに声をかける。薄く開いた扉から、布と着替えを差し出す。隙間から見えた銀髪は顔を向けてくれないが、声をかける雰囲気ではないと無神経な俺でも察する。 

 浴室の扉が閉まり、窓へ向かう。外は夕闇で家に帰る者たちが足早に移動している様子を覗き見る。 

「ダートはなかなか来ないな」 

「そうっすね。ジェレマイア様たちはジャーマン子爵領邸を発っていない可能性もありますね」 

 賊に襲われたんだ。残党がいると考え、足止めを余儀なくされる。完全な安全を確認してから動くとすれば… 

 上階から見下ろしていた町並みのなか、スモークを見つけた。町の偵察は終えたようだ。俺の視線に気づいたスモークは巧みに指を動かし、外の状況を報せる。 

「…ガガ…マトリスが首都を発った」 

「え?王太子?」 

「ああ…予定より早いぞ」 

 すでに王孫レイモンド・フローレン侯爵令息と隣国の女王の結婚式は行われた。ベルザイオ王国から王族が式に出席をしなかったのは、侯爵令息が五番目の王配という微妙な位置を理由にしている。政治的にあまり価値がないが、王孫という立場。マトリスは結婚式の名残を残す隣国へ様子を見に行くというていで国境を越える。だが、俺の知る予定よりも半月早い。ただでさえブリアールが王国騎士団から騎士を借りているのに急ぐ理由はなんだ?マトリス。 

「首都を離れると情報が遅れる」 

 俺たちは少数で動いている。マトリスごときに人員は避けない。 

「閣下、スモークの足音」 

「ああ」 

 ガガは扉に向かい、薄く開いた。その隙間をスモークが滑るように通る。 

「怪しい奴は?」 

「賊らしい男たちはいません」 

「マトリス」 

「はい。会話を拾ったので断片的ですが、フランセー領地に入ったことは確かなようです」 

 王族の移動は時間がかかる。途中で会うかもしれんな。 

「他になにか聞いたか?」 

「いいえ。ジャーマン子爵領地の襲撃も伝わっていないようです」 

 民には報せないと領主が決定したのなら知れ渡るのは遅くなる。 

「このまま進みますか?」 

 スモークの問いに一考する。ティンモント子爵領邸に寄ったほうがロシェルの体は休まるだろう。行き届いた世話を受けさせたい。 

「…ティンモント子爵領邸に向かう…明日の朝遅くに出立だな」 

 マトリスの馬車列は俺たちの通った道を使うだろう。今夜はフランセー領邸に泊まるだろうな。 

「ステイシーの動きが不明だな」 

 未だティンモントにいるのか、フランセー領地に向かったのか。 

「ディオルド様」 

 浴室からロシェルが出てきた。 

「ロシェル、痛むか?」 

 窓から離れ、ロシェルに向かい泣いた目尻を見て頬に手を伸ばすが、止めて下ろす。 

「大丈夫です」 

 無理をしているような顔に見えず、頷く。 

「新しい服をありがとうございました」 

「ああ。スモークの選んだものだ。趣味が合わないかもしれんが」 

「いいえ。シンプルで好きです。スモーク様、ありがとうございます」 

 ロシェルは俺の後ろにいるスモークに視線を移し、礼をした。

「…スモーク!ロシェル様に礼を言われたぞ!お前も礼をしろ!」 

「ふふ、ガガ様、礼に礼を返すのですか?」 

「いや…変っすね…それは…」 

 コイツらは感謝をされることが珍しいんだ。スモークもなにを言えばいいのか戸惑っているんだろ。 

「ロシェル、明日はティンモント子爵領邸に行く。ドレスはティンモント子爵に譲ってもらう」 

「はい」 

 気落ちしていた様子だったが、今は気丈に振る舞っている。 

「スモーク、ガガ」 

「はい」 

「エコーが見張りをする。二時間休憩。行け」 

 向かいの部屋は取れた。三人で交代すれば体は休まるだろう。 

「ロシェル」 

 俺を見上げるロシェルになにを言ったらいい?お前の求める言葉はエコーが言っていた。俺はどうしたらいい? 

「痛むか?」 

 銀色の毛先に触れてつまむ。ここに触れても体は強ばらないと知っている。 

「少しだけです」 

「…そうか」 

「手間をおかけしました。申し訳ありません」 

 ロシェルが俺から距離を置いたような気がした。心を閉ざしたような気がした。 

「触れていいか?頬や頭に」 

「…ディオルド様は夫です…好きに」 

「ロシェル…違う……俺はお前の夫だ…それはそうだが…大切だと言ったろ…ロシェル…俺が触れると不快か?」 

「いいえ」 

「お前が返答に困るなら俺はこれから遠慮なく触れる」 

 うじうじするなんて俺らしくないだろ。ロシェルの頬を包むと体は強ばらなかった。俺は上体を屈め、白い額に口づけ、引き寄せる。苦しくないよう緩く抱きしめ銀色の頭に鼻を埋める。 

「…ロシェル」 

 エコーに頼らず俺を頼れと言いたいが、月の物の処置の方法を知らない。俺は女に対してかなり無知だ。女体の本も読まねばならんな。 

 腕の中のロシェルはなにも言わない。ただされるがまま俺を受け入れている。 

「ロシェル、顔を見せてくれ」 

 ゆっくりと現れた水色の瞳はなにを考えているのかわからないほど感情を失くしていた。俺が知らないと思いなにを言うべきか考えているのか。 

 父上の子を宿しているかもしれないという希望は消えてしまった。ロシェルが言った通り落胆はあるんだろう。 頬に涙の痕を見つけてそこに口を落とす。反対の頬にも落とし、鼻にも落とす。唇には落とせず、ロシェルの顔を俺の胸に押し付けるようにまた抱きしめる。 

「お前の悲しみを俺はわかってやれん…こうしてそばにいることしかできんし…気のきいたことも言えん」 

 ロシェルの耳に俺の情けない弱音を囁けば、ロシェルの垂れていた腕が上がり、俺のシャツを掴んだ気配がした。拳が震えて、それが伝わる。 

「知って…?」 

「ああ。俺には父上の残した記録がある。ブリアール公爵家のこと王家、王国…ロシェル、お前についても知るべきことは知っている」 

 言えん。あの夜の真実はロシェルに言えん。俺は地獄まであの真実を持っていく。 

「父上が…残されるお前を案じて俺に伝えたんだ…知っておけば動けるからな」 

 その記録はもう燃やしたから俺の頭にあるだけだ。 

「ディオルド様…ありがとうございます」 

 礼なんて要らない。だが、お前が伝えたいならもう止めない。 

「ああ」 

 シャツにロシェルの涙が染み込んでいく。そんな感触に胸が締め付けられる。




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