ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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侵入

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「ジェレマイアたちは三日後には戻るだろう」 

「賊の警戒を?」 

「それもあるが、フランセーにマトリスがいるだろ?楽しく過ごせとマトリスに言っておいた。奴が出立するまで引き留める」 

 邸に帰る馬車のなか、私はディオルド様の膝に乗っている。下りようとしたら腰に腕が回されて留められた。 

「…アリステリアはお前が襲われたと騒ぐだろうが無視をしろ」 

「はい」 

 離邸で暮らすなら会う機会もないわ。 

「ロシェル」 

「はい」 

「何をして暮らす?」 

「何を…」 

 私はディオルド様の肩に頭を預け、これからのことを考える。 

 ジェイデン様は引退した身だったから話し相手になれた。ディオルド様が真横にいると言ってもお仕事があるわ。王宮にも行くから離れることになる。 

 貴族夫人のやること…茶会を開き、夜会に出向き、詩の朗読会や花の鑑賞会、買い物や芸術家の支援… 

「私…ディオルド様…私…私の知る夫人の過ごし方に少しの興味も湧かなくて」 

「ははっ、そうか」 

 興味が湧かなくてもしなければいけないこととわかっている。他家の夫人はそうして過ごして体面を保っているのだから。でもディオルド様は笑ってそうかと言う。屈託なく言うから嘘ではないわ。 

「離邸の庭を広げてもいいな。礼拝堂に続く道…ふん…生垣で囲ませるか?お前はピアノを弾きたくなったら弾け。俺は聞きたいしな。本邸から本も運ばせよう…図書室も広げるか?」 

 饒舌なディオルド様に頬が緩む。そんな私の視線にディオルド様は臙脂を垂らした。 

「お前が喜ぶかもしれんな…と考えると俺まで楽しくなるんだな…不思議だ」 

 もう無表情のディオルド様はいない。不機嫌を表す眉間の深いしわも薄くなっている。私がこの人をここまで変えたと思うと、受け入れられた感じがして高揚する。 

「嬉しそうな顔だ」 

「…本は本邸から借ります…ディオルド様…痛くないですか?私…」 

 あれの上に乗っているのよ。折れてしまわないかしら? 

「なにも痛くないが」 

「そうですか」 

 案外丈夫なのね。 

「ロシェル」 

 名を呼んだディオルド様は真剣な顔で私を見つめている。 

「…怖くないか?」 

「怖い…?馬車ですか?首都でおそ」 

「俺の顔だ」 

「顔…」 

「…顔」 

 太くて濃い眉、力強そうな彫りが深い目もと、高い鷲鼻、厚い唇を順に見ていく。 

「怖くないです」 

 ジェイデン様に比べれば面差しは険しいから強面と思っていたけど、内面はとても優しいと知った今は怖いと思わないわ。 

「よく目つきが悪いと言われる。女はだいたい拒否感を抱く」 

 確かに麗しい顔かと言われたら違うと答えるけれど… 

「お前に…怖いと思われたくない」 

「思いません」 

「そうか」 

「顔の造形は気にしません」 

「…ふん」 

 ディオルド様の眉間にしわが寄った。拗ねたように口を曲げてしまった。 

「…男らしい…お顔だと思います」 

「……ロシェル…顎がこそばゆい…かいてくれ」 

「ふふ」 

 本当に痒いのかしら?ディオルド様が面白い人とは知らなかった。

 私は指先でたくましい顎をかく。満足そうに鼻を鳴らすディオルド様に頬が緩む。 

「お腹が空きました」 

「ああ…」 

 ディオルド様の膝の上は揺れが少ない。心地よくて眠くなる。 




「久しぶりだな、シモンズ」 

 この状況、コモンドールの夜会で話したときには想像もできなかったよな。 

「…ブリアール公爵…なにを」 

「なにを?貴様の首に触れる刃は鋭い…俺を怒らせるな…力んでしまうぞ」 

 俺は今、鉄壁の邸と言われているシモンズ子爵邸、アイザック・シモンズの寝室にいる。 

「ガガ、人の気配は?」 

 顔を振るガガはシモンズの腹心である男の口を塞ぎ、腹に剣先をあてている。あの位置は深く刺されば死ぬ。 

「叫ぶか?シモンズ。貴様はできるぞ…一文字ならな…考えて叫べ…」 

 この男の元にエルマリア・シモンズのハンカチが届いたのは昼だ。それからシモンズ邸を見張らせたが動きはなかった。放っておくかと考えたが、ロシェルと二人きりでいると月の物を忘れて襲いそうでこうしてやってきた。 

「もう親心は消えたのか?薄情な奴め」 

 紫の瞳が激しく睨んだ。顔が近いが仕方ない。俺は片腕でこの男を拘束し、もう片腕で剣を持っている。体格的にも戦えるようには見えないが、油断はしない。 

「あれが娘のものとわからんのか?薄情な親だな」 

「私は関係ない」 

「なんの話だ」 

「夫人が凌辱され!ぐ!!」 

 俺はアイザック・シモンズの細い首を掴み持ち上げる。美男の苦悶する顔を見上げる。 

「んん!」 

「あ…こらこら…刺さっちゃったよ…しー」 

「シモンズ…よくもブリアールを襲ってくれた…よくも俺の…妻を襲わせた…償いは死んでも足りんぞ」 

 美男と評判の顔が歪み、みるみるうちに赤くなる。足のバタつきが弱くなったのを見て首を放す。 

「ぐっ!げほっ…げほ…はぁはぁ…」 

「すまんな、野蛮で」 

 床に尻餅をついていたシモンズはよろよろと立ち上がった。風呂上がりだったらしいガウンがはだけたが、気にならないようだ。 

「…私は…知らない」 

「だが息子と妹が会っていたことは知っていた…だな?」 

「息子から…ファミナに金は流れていない…」 

「息子の独断か?」 

「…私は息子の全てを管理しているわけではない」 

「俺は言ったぞ…手を貸すな…縁を切れと…嘘つきの前に娘の亡骸を置いてやろう」 

 俺の言葉にシモンズの瞳がぎらついた。 

「見つけたのか…?」 

「…なんの話だ」 

「私より先に」 

「…近づいているようだな」 

 半年の間にどれだけ金を注いだ? 

「…二人が泊った宿でも見つけたか?」 

 シモンズはわかりやすく表情を変えた。 

「太った男が泊ったか?風呂付きの上等な部屋に…そこに長い金髪か」 

 長旅で二人が使った宿は少ない。この男がどれだけの金を撒き散らし得たか想像もつかんな。 

「やはり…その髪はエルマリア…」 

 宿に娼婦を呼ぶ男は多い。宿帳に男一人の名でも女の形跡があるなどざらだ。情事の跡まであれば不審にも思われん。 

 寝台には髪の毛の一本もなかったが、浴槽の底に張り付いていた輝く金髪。娼婦にしては珍しい髪色は宿の者の記憶に残った。 

 追跡の状況を知るために手紙など送るべきではなかったな、エルマリア・シモンズ。だが、そのおかげで父親を脅せる。 

「…ハンカチは…首都の屋台で売られていた…売られているものは全て買うよう指示したが…まだあったのか…そんなものを堂々と送りつけた貴殿に笑った」 

 シモンズの言葉にガガを睨む。こんな状況で片目をつむり舌を出している。 

「笑われたぞ、ガガ。シモンズに馬鹿にされたぞ」 

「ごめんなさい」 

 謝って許せるか?許せんな。 

「東…辺境…北…辺境…」 

 シモンズの呟きに俺はガガと視線を合わせる。それを見たシモンズは紫の瞳をすがめた。 

「…情報は正しいか…金貨千枚の報酬は無駄ではなかった」 

 千枚…田舎の町のどこの誰に渡したか知らないが、人生を狂わせるぞ。しかし… 

「貴殿が娘を見つけていれば…わざわざ危険を侵してまで来ない…見つけてはいない…私と同じような情報しか手にしていないな…?」 

「…一泊しただけの宿を見つけてもな」 

「あの男は宿を使わない…一つしか見つけられなかった…道も使っていない…検問所も」 

 シモンズは訂正しなかった。男と娘は宿に二泊した。北西の町だ…北東は関係ないぞ。大きな間違いだな…

 太った男が金髪の娼婦を宿に呼んだ。時期も合っていたとは…なんたる偶然。さて…馬鹿にされたままだがどうする?東ではないぞと言っていいのか?ガガ。 

『金貨一万』 

 ガガの唇がそう言った。 

『なぜ』 

『対策練ろうかなって』 

 資金提供か?弟のためにそこまでやるか?俺には関係ないぞ。 

「金貨一万…対策を練るとは…なにを言っている?あの戦奴はなにを…」 

 読まれたぞ…ガガの阿呆め… 

「…シモンズ…もう落ち着いたのか?」 

「公爵…なんの話をしている…?」 

「貴様が話せば教えてやろう」 

 シモンズは乱れた髪を後ろに撫で付け、俺に背を向けた。そして棚の引き出しから二枚の紙を出した。 

「この男が関係しているのでは?」 

 差し出されたのは破られた借用書だった。金貨十万の債務者の名に見覚えがあった。 

「借金の帳消しか」 

 二枚を繋げると流れが見えた。バロン・シモンズの賭場で金貨十万を借り、その後署名付きで正式に無かったことにしている。 

「息子が捨てた書類だ。念のため拾っておいたが、トールボットにも恨まれているだろう?怪しい臭いがしますか?」 

「ああ…臭う…」 

 ファミナ・アラントの愛用している香水の臭いがこの書類から香る。 

 バクスター・トールボット…ギャンブルに溺れているとは知っていたが金貨十万か…それが無くなるなら手は貸すか。






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