ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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シモンズ邸

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『金貨二万』 

 ガダードの情報と陛下の犬の情報は一致している。シモンズが大枚はたいて得た情報が人違いとはな。 

『金貨三万』 

「どういう意味だ…あの男はなにを言っている…?私には読めるのだ…ふざけているのか…?」 

「金貨三万で情報を売れと言っている」 

「…私の情報は貴殿の役に立ったと思うが?夫人も賊に襲われたがすぐに助けたのだろう?どうせ噂はファミナが流したデマ、そうだろう?貴殿がここまでするとは…貴殿の言う愛とやらが嘘ではなかったか。ただそれは燃え上がった愛に目が眩んでいるからこんな常軌を逸した行動をしたか」 

 ガガはシモンズをイラつかせたぞ。 

『四万』 

「シモンズで遊ぶな、ガガ」 

「公爵…私の邸に侵入し」 

「夜の一族」 

 俺の言葉にシモンズは固まった。 

「夜の一族の女を首都に縛り付けるとはな」 

 夜の一族は流浪の民だ。異様なほど白い肌を持ち、黒髪が圧倒的に多い一族。一箇所に留まることを嫌い、常に動く。森を好み生きる者たちだ。自然と共に生きる者をこの男は閉じ込めたのだろうな。 

「なにを言っているのか」 

「俺は辺境にいた。そこで蛮族と戦っていた。森を住みかにする蛮族と戦うために協力を求めたのが夜の一族だ」 

 シモンズは感情を失くした瞳で俺を見ている。 

「彼らは見返りを求めなかったが、尋ねられたことがある。リアを知っているか…と」 

 夜の一族から尋ねられても、その時の俺はエルマリア・シモンズを見たことがなかった。求める答えを持ってはいなかったが、シモンズの娘が表に出たのは俺が戦場から戻ったあとだった。王宮の夜会にも参加せず、だがシモンズ子爵家が催す貴重な夜会に顔を見せたエルマリア・シモンズの特徴が俺の頭のすみに残っていた。 

 貴族の男が好みの女を孕ませるなど珍しいことではない。当たり前に近い。だが、正妻の子として記録させるのは珍しい。だから可能性の無いものと記憶から消していたが、ガダードの情報から記憶が甦り繋がった。 

「お前が閉じ込めていた女の兄はまだ探しているかもな」 

「…なんの話をしているのか」 

「愛した女との子供か…探すよな」 

 それにしては傷物となるのにフローレンに嫁がせた理由がわからんが…フローレンの鉱山から採掘される石のおかげでシモンズの財産は膨れ上がっていると聞く。 

「金を選んだのか?シモンズ。俺は金よりロシェルを選ぶぞ。覚悟がない奴め…やはり薄情だな」 

「…なにを言っているのか…」 

 無表情だったシモンズの頬が引くついた。 

「だな。今さらエルマリア・シモンズの母が流浪の民と知られても、当の本人は失踪中だ…無駄な会話だったな」 

 俺はお前の暗部を知っている。それを理解しろ。鉄壁のシモンズであれ、完璧な秘密などないと知れ。 

「貴様は息子を好きにさせた」 

「ただ賭場の借金を清算したという証拠しかないが」 

「なぜ清算したか息子の体に聞いていいか?」 

「私は止めない」 

「お前はそう言うと思った。シモンズ」 

 俺はシモンズに近づき、乱れたガウンを直してやる。 

「金貨千枚無駄にしたな」 

 俺の言葉に紫の瞳が見開いた。 

「金色の髪は部屋のどこで見つけたのか聞いたか?」 

「……寝台だ…」 

「五万!五万!」 

 俺が背を向けているせいでガガが声を出した。 

「五万か…ガガ…大金だな…明日やるから黙れ……人目を避け…道を通らず山を歩く男が寝台に髪を残すと思うか?奴は掃除をしてから宿を発ったと思わんか?」 

 下人なら掃除は仕事の一つだ。当たり前のようにできるだろう。貴族の頭で考えては捕まえられんぞ。 

「どこの…」 

「教える義理はない。貴様の間違いを正してやっただけで随分優しいだろ。これ以上無駄足を踏まずにすんだんだ…この借用書と同等だ」 

 紫の瞳は隠され、再び現れたときには怒りを含んでいた。 

「俺が欲しいものを貴様が持つとき、教えてやろう」 

「その前に探し出す…貴殿が持てるものならば私にも手が届く…必ず…資金は腐るほどある…息子を痛めつけても文句は言わない…あれの自業自得だ」 


「資金は腐るほどある…か…俺…あの鋭い瞳…惚れそうでしたよ…美男って得だなぁ…抱ける」 

 暗闇に近い路地をガガと歩いている。 

「閣下の威圧に平然としていましたね」 

「ガガ、金貨五万で弟と奴の娘を捕まらんようにできるか?」 

「閣下、大人げない…対抗するつもりっすか?」 

「シモンズが完全なる敵に回ったとき役に立つだろ」 

 俺の急所はロシェル、奴の急所は娘だ。娘を抑えておけばいい。 

「…俺だって確かな場所は知らないっすよ」 

「…知ってるような顔したろ…得意気に」 

「ガダードと手紙のやり取りしてるんっすよ?時間はかかるけど、慎重に辿っていけばいいんす……けどね」 

「なんだ?弱気な声だな」 

「ザザっすよ……例えば…閣下がロシェル様と共に隠れるなら、森とか村とかに住むならどうします?」 

 俺とロシェルが二人きりだと…?…いいな… 

「閣下…聞いてます?変な妄想やめて」 

「…森ならば地形把握の後、逃走経路の確認…周囲に罠を仕掛ける…村なら…村人の性格把握の後、金を渡して従わせる」 

「そう…罠…やってそうなんっすよね…あいつ…脅しじゃなくて死ぬやつ」 

「…ガダードに金を渡せ…お前の手紙でも入れてもらえ」 

「うーん…ガダードはなかなか信用しないっすよ」 

「お前でもか?」 

「うーん…ハンカチ…盗んじゃったし…ザザのことを聞きすぎで警戒されちゃったし…ガダードもいくら俺でもそろそろ怪しむ…かな…なにかそれ相応の対価がないと」 

 阿呆め…価値のないハンカチで俺はシモンズに笑われたぞ… 

「笑われたうえに信用を失くしただと…ガガ…」 

 手紙のことをガダードから聞き出せたのは褒めてやるが、女の楽園でかなりの金貨を落としてきたんだろ…阿呆め…怪しまれることをするな…

「…ごめんなさい」 

「ロシェルの声真似はするな…似ていない。エルマリア・シモンズの直筆の手紙…手に入れたい」 

「…二人を見つけてもシモンズに渡さないっすよね?」 

「ああ」 

 ロシェルと交換と言われたらわからんがな。 


 俺とガガは裏口から邸に戻った。

 ロシェルと食事をしたあとシモンズ邸に向かったが、目立たぬために馬を使わなかった。もう夜中に入る。 

「ビアデット公爵の…香水?薬?便利でしたね」 

 カサンドラから取り上げたものを使った。確かに便利だった。シモンズ邸は鉄壁と言われるだけあり塀は高く、警備の騎士の数が多かった。ガガと俺の手刀で昏倒させ、薬で眠らせた。明日には大騒ぎになるだろうことをやったがシモンズは口を噤むだろう。公爵の俺が壁をよじ登り、騎士を昏倒させ侵入したなど誰が信じる?陛下は信じるかもしれんな。 

「手に入れるか」 

「っすね。ロシェル様に護身用に持たせたらどうっすか?」 

「いい考えだな…だが、ロシェルはこの先俺と馬車に乗る…危険なめに…合うかもしれんよな…誰がなにを考えているかなどわからん」 

 離邸の使用人はこれから精査するが、腹に一物を持っていてもおかしくはない。俺にも敵はいる。 

「ガガ」 

「はい」 

「俺が罰した者の足取りを調べろ」 

「…めんど…かなりいますから…」 

「仕方ない…待つ……スモーク」 

 離邸の外を巡回していたスモークを見つけ、声をかける。 

「団長」 

「変わりはないな?」 

「はい。静かなもんです。ダートは邸の中に」 

 スモークの視線が離邸に向かう。それを追うとロシェルの部屋の灯りが見えた。 

「起きています」 

 窓辺に立っているロシェルが見える。顎を上げて空を見ている。離れていて表情は読めないが、父上を想っているんだろう。 先に寝ていろと言って出てきたが、悪夢を恐れているのかもしれん。 

「ロシェルがな…俺の顔が男らしい…いい顔だと褒めたんだ」 

「は?」 

「よせっスモーク…し…」 

「男らしいと…な」 

「きしょ…」 

「スモークっ」 

 背後で二人がバタバタと動いているせいか、ロシェルの視線が俺に向けられた。 額がガラスにつくように覗くロシェルが小さく手を振った。 

「唇が読めんな…」 

 なにか言っているように見えるが、ロシェルが振っていた手をガラスにつけた。俺はそれを見ながら走った。 

「閣下!?」 

「うわ…」 

 離邸の庭を突っ切り、大きな木を過ぎて向かう間にロシェルはテラスへ出ていた。 

「ディオルド様」 

「ロシェル」 

「…おかえりなさい」 

「ああ、帰った」 

 テラスから身を乗り出し、うつむくロシェルの銀髪が風に吹かれた。部屋の燭台の灯りを受けて輝く銀が後光のように神秘的に見せた。 

「落ちるぞ…下がれ」 

「ふふ、手すりがあります」 

 そうだな、だが心配なんだ。 

「部屋に入っていろ。走っていく…エコー」 

 俺が呼べばエコーがロシェルの背後に見えた。 

「冷える…部屋に入れろ……待ってろ…ロシェル」





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