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本邸の庭2
しおりを挟む「ガガ様も…戦いましたの?」
「もちろん!」
私の対面に座っているガガ様は音がなるほど胸を叩いた。私はその姿に頬が緩み、またレモン水を口に含む。
「怪我はなさそうで…安心しました」
にこにこと焼き菓子を頬張り飲み込むガガ様は歯を見せて笑った。
「背中を切られましたよ。刃に毒が塗ってありましてね、手足が痺れて痺れて立てずに担架で運ばれて」
私はつまみ上げていた焼き菓子を離してしまった。テーブルに落ちると思ったけれどエコーが受けてくれた。
「…毒」
侵入者の話は昨夜のことよ…担架で運ばれるほどの毒を受けたのに…
「斑蛙の毒は何度か受けていまして慣れていたうえに、ダートがすぐに解毒剤をくれたのですぐに回復しました。でもまだ本調子ではないです。今ならエコーに負けます。ははっ」
なんてことのないように言っているけれど、どうなのかとエコーに視線を送る。
「ガガは強いので心配なさらず」
「…強いとわかっているけれど…」
ガガ様はあの森で私たちに敵を近づけなかった。私たちを襲うのは矢だけで人はいなかったもの。ガガ様とスモーク様とダート様が守ってくれていた。
「もう終わりっす」
私よりずいぶん年上のガガ様だけれど、そんな雰囲気は感じさせないくらい子供っぽい笑顔だった。
「はい。ありがとうございます、ガガ様」
「はは!ガガ様ってのは慣れなくて、くすぐったいっすね。そうだ!俺と閣下の出会い話を聞いてくれますか?」
「聞かせてください、ふふ」
「俺は四つん這いになって背中に人を乗せてたんですよ。王国騎士団に所属する奴隷は貴族籍の騎士の言いなりでして、逆らえば殺されはしませんが、戦闘に支障をきたす怪我を負わされるんっすよね。だから人間椅子になれと言われれば、はいっと」
「ガガ、楽しい話ではない」
エコーがガガ様の話を遮った。きっと私に聞かせたくないと思ったのね。
「…なら…閣下のセリフを…ん!ん……おい…貴様らにその椅子は大きすぎるだろう…俺の方が合う…どけ……とここで貴族騎士が腰を上げました。閣下はどかっと私の背中に座り……ほらな…俺専用だ……と令息らを睨み、足を組んだのです……かっこよかったぁ…」
私はガガ様の声真似と、恍惚と宙を見る姿に釘付けになっていた。
「今でもあの夜の閣下の重みを覚えていますよ」
ガガ様は懐かしそうに微笑み私に視線を戻した。
「声が…似ています」
「ははっ…それから私は閣下の椅子になろうと後ろをくっつき回り、戦場では閣下の背後を守り…と絆を深めたのです」
「それからも…椅子…」
騎士たちはそうして過ごすのかしら?ディオルド様はずっとガガ様に…そうやって絆を深めていく…
「いいえ。閣下が座ったのは一度だけです。専用と言ったくせに椅子になれとは言いませんでした」
なんだかディオルド様らしくて頬が緩んだ。立場の低い奴隷と貴族騎士、まとめるのは大変な仕事だわ。
「素敵なお話です」
「でしょう?ははっ…閣下に気に入られて奴隷上がりにしては幸運な生き方をしています」
奴隷上がり…アラント邸にもいたわ…彼らは常に働いていた。
「ガガ様も私もディオルド様に出会えてよかった」
「はい」
ジェイデン様に声をかけられなければ私は今頃どこでなにをしていたのかしら?きっと幸せと思う未来ではなかった。
顔を傾け、ディオルド様を見る。大きな背中はたくさんの人を救い、強大な公爵家の重責を背負う。そして私を守るために動いてくれる。ジェレマイア様は私を厭っている。私の存在を受け入れてはくれない。それでもいいと思う。ジェイデン様と過ごした短い日々は瞬く間だったけれど、ディオルド様は何十年先も近くにいてくれそうで、そう思う度に安堵が広がる。
「ディオルド様は本当に優しくて面白くて可愛らしい人です」
離れていても、私を気にして視線を向けるあの人が愛しい。
「閣下が面白くて可愛いってのはロシェル様しか言わないっすよ」
「はい、それでいいのです」
私だけが知っているディオルド様。
「それが嬉しいのです」
静寂が四阿に漂い、鳥の声が、葉と葉の擦れ合う音が音楽のように届く。この大きな公爵邸で無駄な音が聞こえない状況にもディオルド様の優しさを感じる。
「ブリアールを継ぐのはお前だ、ジェレマイア。俺はロシェルに子供を産ませない」
「それは…」
「子供を産むことの危険性を無視できん」
お前のことを考えてではない。俺はロシェルの身体を優先する。いつか、いつかロシェルが欲しいと、心から欲しいと願っても…俺の子を欲しいと…孕みたいと…ディオルド様の子種をくださいと…俺の子を宿し…腹を膨らませ……なぜ高揚するか…なぜ想像しただけで鼓動が速まる…いかんいかん… 孕ませんと決めたろ…
「あれが孕み、出産時に死んでみろ……俺は助けられなかった医師も産婆もその場にいる使用人も全てを殺し回る…」
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「バクスターは誰であれ平気で裏切る男だ。距離を保て」
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