ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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目覚めたロシェル

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「ロシェルお姉様!ちょっと!そこをどきなさいよ!ここはアラント邸よ!私に従いなさい!」 

 チュリナの声が聞こえて起きたくない気持ちが湧いても目蓋は朝日を感じて自然と上がる。 

 いつ眠ったのかしら? 昨夜は夜会に…ジェイデン様と話して…あれは夢…? 

「ロシェル」 

 声が聞こえて視線を動かすと朝日を受けた銀髪が見えた。 

「…おと…父様」 

「起きたね、ロシェル。よく眠っていた…おはよう」 

 やっぱり私は夢のなかにいるのかしら? 

「ふふ…夢ね…お父様…お話しするのは久しぶり」 

 悲しそうに垂れた眉毛に私は微笑む。 

「おかしな夢…ジェイ…ブリアール前公爵閣下と国王陛下がね…私と話をしてくれたの…」 

「ロシェル」 

 お父様の指先が頬に触れて、それからその手は私の頭を優しく撫でた。 

「お父様」 

「ロシェル」 

 夢じゃないわ…お父様の後ろに人が立っている。 

「エコー…様」 

 何度も驚かされた人だもの…忘れるわけない。 

「ロシェル、公爵閣下から話は聞いたよ……迷うなら断ってもいい」 

 真剣なお父様の表情とその背後に立つエコー様を見る。 

「公爵家からのお話を断るの?」 

 久しぶりにお父様と話すからか言葉遣いが幼くなってしまう。 

「私は」 

「あなた!ウェイン!」 

 お父様の言葉はファミナの声で遮られた。 扉に視線を移して見ても開けられる気配はない。ファミナを止められる人がアラント邸にいるはずがないのに… 

「ロシェル、外の音は無視して私と話そう」 

 お父様の声に頭が冴えてきて起き上がり座る。 

「ロシェル」 

「…公爵閣下は私を守ると言ってくれたの」 

「だが…」 

 お父様の心配する気持ちはわかるわ。でも… 

「噂に惑わされず私を見てくれて…私はファミナ夫人とチュリナから離れられる…もう疲れたの」 

 本心だった。何度…お父様に伝えたいと思ったか。何度…私だけ領地へ…もしくは母の生家へ行かせてくれないか、逃げたい、どこかへ逃げたいと伝えたかったか。 

「ロシェル…すまない…すまない…」 

 お父様の顔が歪みうつむいた。 

「お父様…アラント家はファミナ夫人のおかげで裕福な暮らしができていると理解しているわ」 

 だから私をさいなむファミナを強く止められなかった。 

「ロシェル、私の大切な娘…本当に愛しているよ」 

 お父様は私の手を握り、体を震わせながら伝えてくれた。 

「ええ、私も大好きよ…お父様」 

 お父様なりに私を守ったと思うわ。 

「湯の準備ができている。仕度を終えるころ、ブリアール公爵閣下と純潔の証専門医師が来る」 

 純潔の…本当にアラント家から離れるのね。 

「私も浴室に入ります」 

 ピクリとも動かなかったエコー様が出した言葉にお父様は少し眉間にしわを寄せたけれど頷いた。 

「衝立てを運ばせます」 

 アラント家の使用人を信じないと言われてもお父様は抗議できない。

 アラント邸の全ての使用人は私よりファミナに従うし、僅かなことでも報告する。今、この部屋にいる使用人でさえファミナの意図を汲む。 

「きゃー!何をするの!? このわたくしを叩くなんて!ウェイン!出てきて!」 

「お母様になにするのよ!お父様!お父様!」 

 二人の大きな声は嫌いだった。怒鳴りながら私をののしるファミナとそのドレスに隠れて嘲笑あざわらうチュリナ。 

 二人のあんな声を聞いても動かないお父様に扉を守るのがブリアール公爵家の人だと察する。 

「お父様、私の行く末は決めていたの?」 

 この事が気になっていた。エリックとの婚約破棄のあと、お父様は決めかねていたのかなにも言ってくれなかった。ただ、ファミナが平民の金持ちにとか下位貴族の第二夫人、愛人にと夫人たちと話している声が聞こえてきただけ。 

「…修道院だ」 

「…もっと早く行きたかったわ」 

 私の言葉にお父様は傷ついたように顔を歪めた。 

「…ロシェル…」 

「ごめんなさい。意地悪を言ってみたの」 

 醜聞を持つ娘を修道院に入れることはよく聞く話。 

「湯に入ります」 

 早くジェイデン様に会いたい。臙脂色の優しい瞳で見つめてほしい。昨夜は夢じゃなかったと…安心したい。 




「ブリアール公爵閣下」 

「ああ…アラント伯爵」 

 数時間の睡眠のあと再びアラント邸に赴いた。 

「純潔の証専門医師だ」 

 伯の視線が俺の後ろに立つ医師に向かう。女の純潔の証専門医師は数が少ない。診察の依頼は早くしなければならないほどだがブリアールならば医師は予定も変える。 

「娘は自室で待っております」 

 伯の顔は一晩でずいぶんやつれたように見える。目の下のくまも酷い。 

 ホールを見回しながら耳を澄ませると僅かに声を拾った。 

『そこをどきなさい!娘と話をしたいのよ!』 

『お姉様!ブリアール公爵家でなにをしたのよ!? お姉様が公爵家なんて許さないわ!どうやってたぶらかしたのよ!?チュリのほうが相応しいわ!』 

 ここに聞こえてくるということはあの娘の部屋には入っていない。ガガは扉を守っている。 

「女というのはこれほど騒々しいものだったか?」 

 俺の嫌みに伯は無反応だ。 

「伯、医師をロシェルの部屋へ」 

 アラント家の執事だろう年老いた男が体を傾け医師を伴い上階へ向かった。 

「公爵閣下、こちらへ」 

 俺は伯のあとに続き邸内を歩く。そこかしこに絵画や彫刻、色鮮やかな花が飾られている。 視界に入った絵に足を止めてしまった。 

「ロシェルの母親です」 

 大きなキャンパスに描かれたあの娘の母親は濃い茶の長い髪を流し、水色の瞳でこちらを見て微笑んでいた。 

「似ているな」 

 あの娘に似ていた。切れ長の瞳も穏やかな雰囲気も…死してから十数年、伯はこの絵画を飾り続けている。第二夫人の生家の助けがあったといえ、娘を苛む夫人を強く諌めないのは理由があったのか? 伯をちらと見ると視線は絵画でなくくうにあった。その瞳からは考えが読み取れなかった。 


 俺は伯と共に応接室でロシェルを待つ。 

「ロシェルの荷物はいらん。本人が持ち出したいと思う物だけでいい」 

 朝日と共にマダム・ミールのドレスが離邸に運ばれた。何台もの荷馬車に積まれたドレスや日用品があの娘を待っている。 

「承知しました」 

「寝ていないのか?」 

 俺の言葉に対面に座る伯の頬が動いた。 

「…娘の部屋に」 

 一晩中か? それはエコーに聞けばいいか。 

「妻と下の娘がブリアール公爵家の騎士のお手をわずらわせて…申し訳ありません」 

「かまわん」 

 居心地の悪い沈黙のあと、扉が叩かれ夫人が顔を出した。臭い娘も来ると思ったがロシェルのほうに留まっているのかもしれん。 

「ようこそ、ブリアール公爵閣下」 

 ちらと視線を合わせただけで言葉を返さない俺に夫人は微笑み続ける。夫人は静かに伯の隣に腰を下ろした。 

「娘のために純潔の証専門医師を…感謝申し上げます」 

 殊勝な態度で佇んでいるが、先ほどの声が聞かれていたなど考えもしないか。 

「娘が戻ってから言葉も交すこともできず…扉の前に立つ騎士がわたくしに暴力を振るいましたの」 

「ふん…無理に入ろうとしたからだろう」 

 俺の言葉に微笑む唇が強ばる。 

「ここはアラント邸ですわ。女主人であるわたくしが入れない部屋などありません。正式にブリアール公爵家に抗議をしますわ」 

「そうか、やれ。ロシェルの出ていったあと城にでも騎士隊にでも駆け込め」 

「娘と話もできませんの? わたくしは娘が心配で心配で…」 

「実の娘ではないだろう」 

「ですが、あの子が幼い頃から産み母の代わりに育てましたのよ」 

「ふん…貴様がロシェルを虐げていたことが外に漏れていないと思っているのか?」 

「…なんの話ですの? ロシェルが公爵閣下にそんなことを言いましたの? あの子は幼い頃からチュリナに嫉妬するところがあります…婚約者もチュリナに想いを寄せてしまって…それを知って自暴自棄になり…私たちの関心を引きたくて…あんなことを仕出かして…」 

「あんなこととは卒業式後の夜会のことか?」 

「…ええ…公爵閣下の耳にも届いてしまうほどのことをあの子は…」 

 俺は夫人の話している間、伯を見ていたが夫人の言葉を止める様子がない。ここまで好きにさせる意味が理解できん。 

「公爵家に相応しくないと思いますの」 

「我がブリアールに相応しくないと貴様が決めるな、阿呆」 

 今度こそ夫人の眼差しが険しくなった。 

「あなた! 公爵閣下がわたくしを侮辱…」 

「したからなんだ? 伯は私になにも言わんし貴様を助けん。生家のシモンズに泣きつけ」 

 夫人は変な色の唇を固く結び体を震わせた。その様子にシモンズに泣きついても夫人の兄であるアイザック・シモンズは動かないと察する。 

「私はアイザック・シモンズの話なら聞くぞ」 

 聞くだけだがな。妹のために金は出しても自身から動くことをしない…奴はそういう男だ。 

「…忙しそうだがな」 

 下男と共に消えた娘を諦めずに探している。この女の話など聞いてる暇はないだろう。 

 的を射た俺の言葉に夫人は口を閉ざした。


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